レビュー

放射線防護の専門家への期待は?

2011.04.30

 小佐古敏荘・東京大学教授が29日、内閣参与を辞任したことは、科学者と社会とのかかわりという観点からもあらためて議論を呼びそうだ(2011年4月30日ニュース「小佐古内閣参与が政府の放射線防護策批判、辞任」参照)。

 オピニオン欄に寄稿していただいた吉川 弘之・科学技術振興機構 研究開発戦略センター長は「原発事故処理において(残念なことに大震災の復興計画についても)、科学者がまとまった活躍の場を与えられていない。いろいろな場面での助言が求められ、個々の科学者はそれに忠実に答えているが、異なる場面と状況で、また限られた情報をもとにした助言であって相互に一貫性がなく、一般社会に混乱を与える可能性がある」と指摘している(2011年4月29日オピニオン・吉川 弘之氏・科学技術振興機構 研究開発戦略センター長・緊急寄稿「福島原子力発電所事故の対応における科学者の役割」第1回「『合意した声』で速やかに行動を」参照)。

 小佐古氏は菅首相からの要請で東京大学教授のままで内閣参与に就任したから、吉川氏が言う普通の科学者とは立場が違う。得られる情報も「限られた」ものではなく、「一貫性がない」さまざまな助言とは異なり、政府に対し大きな影響力を持つ提言ができる任務と責任を与えられた科学者と言える。

 辞任の理由の中に挙げられている原子力安全委員会に対する批判などは、もっともな指摘だと評価する人も多いと思われる。しかし、福島県の小中学校や幼稚園などで屋外活動を制限する目安に政府が年間20ミリシーベルトの放射線被ばく量を設定したことに対する批判についてはどうだろうか。氏は「約84,000人の原発の放射線従事者でも極めて少ない」という例を挙げて、「この数値を乳児、幼児、小学生に求めることは、学問上の見地からのみならず、私のヒューマニズムからしても受け入れがたい」と言っている。しかし、この例だけで「通常の一般人の放射線防護基準に近いもの(年間1ミリシーベルト、特殊な例でも年間5ミリシーベルト)で運用すべきだ」という氏の主張に十分、納得できる人がどれくらいいるだろうか。

 氏がもう一つ強調しているのは「国際的常識の重視」だ。国際的常識というのは、放射線防護委員会(ICRP)が示した放射線被ばくに関する指標を指していると思われる。一般人の年間被ばく線量1ミリシーベルトや作業者に対する年間20ミリシーベルト(5年平均)といった指標である。しかし、これらの指標も「何事もない時ならそうあるべきだ」という数値であるらしいことは、今や科学者以外の少なからぬ人間でも薄々気づいていることではないだろうか。今放射線に詳しい科学者に政府や多くの人が求めているのは、健康被害と日常生活の支障のどちらも許容できる範囲内に収める「心配ない放射線被ばく量値」と思われる。住民の生活をいくらでも犠牲にして、被ばく量を抑えることなら科学者の意見など聞くまでもない、ということにならないだろうか。

 同じ被ばく量でも1回の照射で受けた場合と、1年間じわじわ受け続けた場合とで人体に与える影響の違いなどは十分、研究されてきたのか。ICRPの指標をバイブルのようにして、被ばく線量の指標はできるだけ低くした方がよい、とこの半世紀ものの間、言ってきただけなのでは…。

 放射線防護の専門家たちがそのように見られないためにも、一般の人たちにもっと分かりやすい説明、行動を期待する声が今後さらに高まるのではないだろうか。

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