日本列島に衝撃が走った2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震。その規模は日本では観測史上最大のマグニチュード9.0を記録し、沿岸を襲った巨大津波は戦後最悪の被害をもたらした。さらにそれに引き続く原子力発電所の事故により、地震・津波対策のあり方を再認識させられることになった。
今回の地震・津波はほとんどの人にとって想像だにしなかったことだろう。専門家でさえ「想定外」という言葉を使い、全く予測できなかったかのようなコメントが目立つ。だが果たして本当に想像もできないような巨大地震・津波だったのだろうか? 過去に目を向ければ、今回のような巨大津波を伴う地震が起こり得ることは多少なりとも想像ができたのではないだろうか。本来はそれを多くの方々へ伝える役割の一端を担っていたはずの筆者の自戒の念も込めてここに緊急寄稿する。
歴史をひも解くと、実は東北地方太平洋岸各地には巨大津波の伝承がある。日本三代実録という平安時代の歴史書の中に「貞観11年(西暦869年)に陸奥の国(現在の東北地方)において大地震があり、津波で多くの犠牲者が出た(意訳)」と記されており、貞観地震と呼ばれる。この記述だけでは貞観地震の津波が、今回のような巨大なものであったかどうかまでは判断できないが、一方でこの津波の規模を物語る証拠が、地層として記録されている。
仙台や石巻の平野に広がる田んぼで穴を掘ると、地表から深さ数十センチのところに厚さ数センチの砂の層が観察できる(図左)。これが過去の巨大津波を示す地層の証拠、津波堆積物である。津波堆積物は海底や海岸の砂礫(れき)が津波の営力によって内陸に運ばれて堆積し、地層として保存されたものである。つまり津波堆積物の分布を調べれば、過去の津波の浸水範囲を知ることができる。東北大学や筆者らの研究チームによるこれまでの地道な地質調査により、宮城県から福島県の沿岸各地で貞観地震の津波堆積物が発見され、その分布範囲は当時の海岸線から内陸約3〜4 キロまで分布していることが分かっていた(図右)。つまり過去にも今回の地震と同様に、仙台や石巻の平野を一面浸水させるような規模の巨大津波が生じていたのである。
過去の巨大津波は貞観地震だけではない。貞観地震の津波堆積物よりさらに深く掘り進めると同様の地層の証拠が数層見つかる。巨大津波ははるか昔から繰り返し起こっていたのである。地層の積み重なりを丹念に調べ、各種の分析から津波の発生時期を検討した結果、その繰り返し間隔は約500〜1000年間隔であることが解明された。貞観地震からの経過時間を考えると次の巨大津波はいつ来てもおかしくない状況にあったのだ。
これは地震が起こってから、今思えばそうだったと言うような、いわゆる後出しジャンケンでは決してない。これらの地質学的な調査結果はすでに論文や報告書でも公表していたし、それに基づいて国の地震調査研究推進本部(地震本部)がまとめ、三陸沖から房総沖にかけての地震活動の長期評価として早ければ今年4月にも公表する予定だったのである。筆者もこれに関連し、3月23日に地震本部とともに福島県庁に長期評価の内容を説明しに行く予定であった。
あともう少し地震の発生が遅れてくれていたなら…。地震本部の評価が公表され、各自治体に周知され、それが防災対策に活かされた後であったなら、もっと多くの命が救えたのではないか…。そう思うと非常に無念の思いである。津波が家や車を次々と飲み込んで内陸奥に浸水していく様を映像で見るにつれ、地層の観察から想像していた巨大津波が現実となったことに背筋が凍り付くと同時に、なんともやるせない気持ちになった。
仮に地震前に防災対策が施されたとしても、おそらく通常の防波堤では今回のような巨大津波は防げなかっただろう。かといって500〜1000年に1回という事象のために、莫大(ばくだい)なお金をかけ、自然景観を著しく害するような巨大な壁を海岸に配することはナンセンスである(ただし原発周辺は別問題)。残念ながら巨大津波をハード面で防御することは難しい。しかし物的被害を防ぐことは無理でも人的被害を減らすことは可能である。すなわち津波警報の発令から住民への周知、そして避難場所、避難経路の整備、さらにハザードマップの作成や定期的な避難訓練といったソフト面での防災対策である。
仙台や石巻の住民の方々は、1978年の宮城県沖地震(マグニチュード7.4)のような地震はよく記憶にとどめているが、この地震では津波被害が小さかった。このため地震の大きな揺れがあっても、その後に大きな津波が来るという意識はほとんどなかった。ましてや海岸から3〜4 キロも離れた内陸部にいる人は、まさか自分のいるところまで津波が浸水してくるとは夢にも思わなかったであろう。われわれはその意識を少しでも変えようと、これまでも微力ながら努力してきたつもりである。かつて内陸奥まで浸水する津波があったという事実を一人でも多くの方々に伝えようと、津波浸水履歴図という地図を作成して、住民の方々に無料配布しようという計画も以前から進めていた。
しかしわれわれ研究者の思いは、うまく行政に伝わらないことも多かった。500〜1000年に1回という地質学的な時間スケールのメガイベントは、行政もこれまで実感がなかったのである。2004年にインド洋沿岸に大きな津波被害をもたらしたスマトラ島沖地震(マグニチュード9.1)という例があってもそれは対岸の火事であった。筆者がかつてある地方自治体の防災担当者に巨大津波の可能性について説明した際には「お宅らの研究は迷惑だ」とさえ言われたこともある。だが実際に巨大津波が起こってしまった現在、行政だけでなく多くの国民が、今われわれが生きるこの時代にも地質学的なメガイベントが起こり得るのだということを理解していただけたと思う。
今後は過去の地震、津波に対する研究がますます重要になってくることは言うまでもない。今回のようなプレート境界の巨大地震は、日本海溝だけでなく、北海道東部沖の千島海溝、南関東沖の相模トラフ、西日本太平洋沖の南海トラフ、南西諸島沖の琉球海溝と日本列島のほぼ全域において起こる可能性があるし、事実、そのような地質学的証拠が見つかりつつある。
筆者は2年5カ月前、当欄のコラム「東海・南海『連動型』巨大地震の発生予測」においてその一例を紹介した上で、将来の地震を予測するには過去の事象を知らねばならず、フィールドワークを主体とした地質学的な研究が重要であることを説いた。まさに今、それをさらに推進していく時なのではないだろうか。そしてその成果をいち早く行政の施策に活かし、二度と同じ轍(てつ)を踏まぬようにしていかなければならない。
宍倉正展(ししくら まさのぶ) 氏のプロフィール
1969年千葉県生まれ、千葉県立長生高校卒。2000年千葉大学大学院自然科学研究科博士課程修了、通商産業省工業技術院地質調査所入所、01年産業技術総合研究所活断層研究センター研究員、09年から現職、理学博士。海溝型地震の履歴にかかわる地形、地質の調査研究に従事。特に関東地震の履歴を詳しく調査しており、最近では1960年チリ地震、2004年スマトラ島沖地震などに関連した海外での調査も行っている。09年6月-10年5月の1年間、文部科学省研究開発局地震・防災研究課に出向し、行政の立場から地震研究に携わった経験も持つ。著書に産総研ブックス「きちんとわかる巨大地震」(白日社)など。