「新型インフルエンザへの対応」
米国、メキシコを中心に感染拡大が続く新型インフルエンザは、恐れられていた鳥インフルエンザほどの強毒性は持たないことが分かりつつある。しかし、ヒトの移動が激しい現代において1カ所で発生した新型ウイルスがあっという間に広がる恐ろしさをあらためて世界中に知らせる結果となった。日本記者クラブ主催の「新型インフルエンザ研究会」(2009年5月8日)における岡部信彦・国立感染症研究所感染症情報センター長の講演内容から、今回の新型インフルエンザ感染の特徴と、これから必要となる対応を紹介する。
現在取り組んでいる水際作戦、封じ込め作戦だけではなく、実際に患者数が多くなった場合の医療体制や一般社会での対応を考えることが重要だ。よく感染者が出ると水際作戦が失敗したなどと言われるが、失敗や成功という問題ではない。検疫強化という水際作戦で完全に防ぎ切れるわけではないからだ。検疫体制を強化するために、各地の国立病院機構などから急きょ、応援に来てもらっている。患者が急激に増えた場合、医療水準は落ちることになる。水際作戦がうまく行っているところでいつ検疫体制を見直すかは難しい問題なので、議論が必要だが、韓国やアジアの状況を見ると早晩、ウイルスが侵入する可能性があると考えた方がよい。
パンデミック(地球規模での大流行)対策で最も重要なことは、患者が急増した際に判断する立場にある人たち政治家や行政担当者、医療関係者、メディア関係者たちがパニックになると一般の人々もパニックになってしまうということだ。判断する人たちをパニックにしないようにすることが重要になる。だが、実際にはどうか。思い通りにはならないという気がしている。われわれの役目はできるだけ正しい情報を提供することが大切だといつも話し合っている。
新型インフルエンザには「過剰心配症候群」と、それと正反対の「無視症候群」の両方に対する対策が必要だ。これらのバランスをうまくとって説明したり、実際の対策をするのは難しいのだが、そうしなければならない。
感染が拡大し患者がだんだん増えていくと、医者の立場としては目の前にいる人を診断、治療して少しでもよくすることとともに、できるだけ感染が広がらないよう予防も考えなければならなくなる。患者が1人出たら、周辺地域の病気でない人も相手にしなければならない。公衆衛生学的考え方も必要になって来るが、実際の現場においては、これがなかなか難しいことになる。ある場合には、大まかに考えることも必要になるわけだ。バランスをとることが重要になる。患者があふれたら医療だけでは対策はとれない。社会の協力が必要だし、患者1人1人の協力も必要になる。
新型インフルエンザのパンデミックというのはいつ起こるか、ということをよく聞かれる。これは分からない。新型インフルエンザウイルスができる遺伝子の変異に規則性がないからだ。ただし規模については米疾病対策センター(CDC)のメルツァーという人が作った推計モデルがある。新型インフルエンザに全人口の25%が罹患すると想定して、CDCのモデルを当てはめると日本国内で1,300-2,500万人が医療機関で受診するということになる。2,500万人というのがべらぼうな数字かというとそうではない。2004-05年のシーズンには約1,800万人が季節性インフルエンザにかかったと推定されているからだ。さらに過去のパンデミックのデータを基に推定すれば「アジア型インフルエンザ」(1957年)並みだと、入院患者数約53万人、死者約17万人、「スペイン型インフルエンザ」(1918年)並みだと入院患者200万人、死者約64万人となる。
新型インフルエンザでパンデミックは起きるかと聞かれれば、起きないという保証はない。スペイン型インフルエンザ並みの規模や致死率になるかと聞かれたら「明確な答えはないが、侮って小規模に備えることはない」という答えになる。
(続く)
岡部信彦(おかべ のぶひこ) 氏のプロフィール
1971年東京慈恵会医科大学卒、帝京大学小児科助手、慈恵医大小児科助手、神奈川県立厚木病院小児科、都立北療育園小児科など勤務を経て、78-80年米バンダービルト大学小児科感染症研究室研究員。帰国後、国立小児病院感染科医員、神奈川県衛生看護専門学校付属病院小児科部長を経て、91年フィリピン・マニラの世界保健機関(WHO)西太平洋地域事務局伝染性疾患予防対策課課長、95年慈恵医大小児科助教授、97年国立感染症研究所感染症情報センター・室長、2000年から現職。