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新型インフルエンザ長期戦の覚悟で(尾身 茂 氏 / 自治医科大学 教授、元WHO西太平洋地域事務局長)

2009.07.31

尾身 茂 氏 / 自治医科大学 教授、元WHO西太平洋地域事務局長

記者会見(2009年6月24日、日本記者クラブ主催)から

自治医科大学 教授、元WHO西太平洋地域事務局長 尾身 茂 氏
尾身 茂 氏

 今回の新型インフルエンザは、国際社会が新しい感染症に対し、長い間、警戒、準備していた最中に発生した。感染症の歴史の中で初めてのことであり、それが最大の特徴といえる。

 水際作戦にはいろいろ批判はあったが、まだ一人の感染者も出ていないというあの時点で、検疫強化策をとらないという選択はなかったと思う。最初から百パーセント防げるなどとは誰も思っていない。潜伏期の人は検疫を通り抜けてしまうし、症状の軽い人もひっかからないことは最初から分かっている。しかし、やらなかったらどうだったか。現に感染者が見つかったし、さらに感染者の近くの席にいたということで成田の病院に入った人の中には関東地域の人もいた。もしそのまま帰宅していたら、当初の感染の中心が関西だけでなく、関西と関東と2カ所以上になった可能性がある。

 さらに水際作戦は空港の中のことに注意が向きがちだが、感染が確認された乗客の接触者たちは帰宅後も十分フォローされて、熱が出たりするとすぐ、入院、治療されるというもう一つの側面にも目を向けるべきだ。検疫強化がなければ野放しになった可能性があり、一定の効果はあったと思う。

 ただ、水際作戦と同時に国内対策もしなければならなかった。水際作戦にあまりに注意が向き、重要なメッセージが都道府県に伝わらなかった点は今後、改善すべき点だろう。

 次に学校閉鎖だが、これももしやらなかったら感染はもっと広がっていただろう。学校は一般社会と異なり、集団が一日中狭いところで過ごす。感染拡大の温床になりうるため、閉鎖措置が有効なことは分かっている。1918年のスペイン風邪の時、米国のセントルイス市は思い切って学校を閉鎖した。これに対しフィラデルフィア市は、人の動きを制限することは人権侵害だ、マスコミにもたたかれるといった理由から学校閉鎖をしなかったため、両市の被害には明らかな差が出ている。企業の活動を制限するのと異なり、学校閉鎖の影響はそれほどではない。感染初期にはなるべく広い範囲で行うのが合理的だ。

 行動計画というのは最悪の場合を考えるのが危機管理の常道。ただし元々「ここまでできる」というもので、弾力的な運用が可能になっている。反省点があるとすれば、それをしっかりメッセージとして出すべきだったということだ。すべての場合について行動計画を作るのは実際的ではないから、病原性と感染性という2つの軸に依った弾力的な対策が求められる。

 今回は、地方自治体はよく頑張ったと思う。ただ、ややもすると国の指示を待つ姿勢が見られた。発熱外来の設置、職員の能力開発など中央からの指示がなくともやるべきことはあったはずで、そういう地方の動きを国が支える形が望ましい。

 マスコミの役割は非常に大事で、今回も十分、役目を果たしたと評価するが、同時に要望もある。季節性インフルエンザに比べて病原性が強いか、弱いかと、丸めて書いてしまいがちで、ほとんどの人には病原性は弱いが、一部の人たちには強いといったことは、なかなか書いてくれない。表面的な現象を追うだけでなく、新聞は、全体が分かる専門家のインタビューなどの記事にもスペースを割いてもらえないだろうか。テレビ局はニュースの放送時間を延ばすことなどできない、というかもしれない。しかし、新型インフルエンザのようなケースでは、その程度の柔軟性を持たないと、役所の対応を官僚的だなどとマスコミも批判できないのではないだろうか。

 感染症の危機の特徴は「あいまいに始まって、突然、気づかされる」ことだといわれる。ウイルスの実態はなかなか分かりにくく、目に見えるものでもない。気づいたときは、被害が出ていることが多い。感染症に対する危機管理の要は、見えないものをどうやって見るかという努力をすることだ。

 その後の世界的な感染の拡大を見れば、長期戦の覚悟が必要。感染の拡大はある程度仕方がなく、誰の責任でもない。どれだけ死者を減らすかが、これからの最大の課題だ。

自治医科大学 教授、元WHO西太平洋地域事務局長 尾身 茂 氏
尾身 茂 氏
(おみ しげる)

尾身 茂(おみ しげる)氏のプロフィール
1969年東京教育大学付属駒場高卒、慶応義塾大学法学部法律学科で学んだ後、72年自治医科大学の一期生として入学、78年同大学卒、東京都衛生局医系技官、自治医科大学助手、厚生省保険局医療課指導監査室特別医療指導監査官を経て、91年から世界保健機関(WHO)西太平洋地域事務局で拡大予防接種計画課長、感染症対策部長などを務め、98年WHO西太平洋地域事務局長に就任、重症急性呼吸器症候群(SARS)対策で力をふるう。09年から現職。06年にWHO事務局長に立候補したが、マーガレット・チャン現事務局長に敗れる。

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