「動き始めた科学技術外交」
日本の科学技術力を人類が直面する課題の解決に活かし、同時に日本の国際的地位の向上も図ることの重要さが叫ばれている。総合科学技術会議が重要目標のひとつとして新たに打ち出した「科学技術外交」の有力な具体策といえる、新しいプログラムが今年度から始まった。科学技術振興機構が国際協力機構(JICA)の開発途上国に対する政府開発援助(ODA)と連携して進める地球規模課題対応国際科学技術協力事業である。この事業は、単なる技術支援ではなく、国際共同研究によって課題を一緒に解決しながら開発途上国の科学技術の向上と自立も支援するという考えによる。このプログラムを先導する井上孝太郎・科学技術振興機構上席フェローに事業の狙いと概要を聞いた。
―外務省と文部科学省の役割分担はどのようになっていますか。
外務省側と文部科学省側の具体的業務は、それぞれ国際協力機構(JICA)と科学技術振興機構が担当します。国内の研究者・機関が必要とする費用は、科学技術振興機構が競争的資金で手当てし、共同研究相手の開発途上国の研究者・機関が必要とする費用は、JICAがODA予算から出すことになります。初年度の予算は、科学技術振興機構が約5億円、JICAが約10億円です。
開発途上国が抱える問題の多くが、当該国だけではなく、日本にとっても世界全体にとっても大きな影響を及ぼすことは前に話した通りです。日本を初めとした先進国がいま持っている技術を単に移転したり、途上国の人たちを教育したりするだけでは対応できない課題が増えています。これまでの日本の研究者の海外での活動は技術移転や技術指導に近いものや、先方のニーズにマッチしない研究が少なからずあります。成果を、社会に還元できるニーズの高い研究をする。こちらも研究するが、先方にも一緒に研究してもらう。教えるのではなく、研究力を身につけてもらい、自分たちで実践してもらえるようにするなどが狙いです。真に役立つ研究経験を蓄積してもらい、課題解決に資する研究成果を出すとともに研究推進について自立してもらうということです。生態系の保全にしろ、汚染の防止やエネルギー対策にしろ、自分たちの問題として解決、開発する能力が重要です。さらには、世界的な視野を持ってもらうことも必要です。
魚そのものを援助するより、魚の取り方を教えた方がその地域のためになると言われます。しかし、日本と現地では状況が異なることは多いわけで、風土にあった魚の取り方を研究すること、研究を続けられるようにすることが大切です。さらに、魚資源を持続的に利用できるように根絶やしにしない、強化するという発想も重要です。これらを目指した共同研究というのがこの事業の本旨です。
また、日本の研究者にとっても、多くの研究課題が海外にあり、その研究によって科学技術の発展や展開を図れること、開発途上国との共同研究という形でそれがスムーズに行えること、さらには、国際的に活躍できる日本の研究者を育成することなども重要な視点です。
外務省と文部科学省が、このような形で協力して一緒に仕事をするのは初めてなのではないかと思います。JICAも良い仕組みだと思っているようです。多くのトップレベルの研究者がODAにかかわり、現地が抱える課題の解決、そして世界全体への貢献に向けて協力することになりますから。
―初年度には具体的にどのような協力事業が行われるのでしょう。
急な立ち上げでしたので趣旨が広く浸透するか、開発途上国の共同研究先との協議が間に合うかなど心配しましたが、先に述べた、環境・エネルギー、防災、感染症の分野を対象とした研究提案の募集に対し、国内の研究機関から127件もの応募がありました。貴重な提案が多く、採択したい案件は数多くありましたが、予算の制約があるのでそのうちの12件を条件付きで採択しました。研究は、政府開発援助(ODA)と対になっているわけで、「条件付き」というのは、対応する案件について相手国からODAの要請が出されており、外務省が妥当と認め、かつ詳細計画策定調査が終了して正式に合意文書が交わされたら確定、という意味です。
応募する研究者たちは、国際共同研究計画を作成するとともに、相手国の研究者にODAを要請するよう働きかけなければなりませんから時間と労力がかかります。しかしながら、これまで開発途上国との共同研究というのは、相手国の研究者に研究費がないため、やりたくてもできないことが多く、研究者たちは苦労していたので、この事業は大きなインパクトがあったようです。12月から来年春にかけて、JICAが詳細計画策定調査に出かけますが、科学技術振興機構も共同研究が計画通り行えることなどを確認する必要があり、この調査に同行します。
環境エネルギー分野で採択された研究課題の一つとして「気候変動に対する水分野の適応策立案・実施システムの構築」があります。研究代表者は沖大幹・東京大学生産技術研究所教授で、国内では東京大学のほか京都大学、国立環境研究所、農業環境技術研究所、東北大学が参加、タイではカセサート大学、王立灌漑(かんがい)局、タイ気象局が共同研究機関となります。水災害予測・統合的水資源管理支援のための人間活動も考慮した水循環・水資源モデルの開発など、途上国における水分野の適応策立案・実施支援システムの構築を行います。
「海面上昇に対するツバル国の生態工学的維持」も採択された課題のひとつです。研究代表者は、茅根創・東京大学大学院教授、共同研究機関は、国立環境研究所、茨城大学、国土技術政策総合研究所、それと相手国のツバル天然資源環境省環境局、太平洋島しょ応用地球科学委員会、南太平洋大学などです。サンゴ礁を形成する生態系の修復・強化やサンゴ礁で作られた砂の移動・堆積量を予測、評価して、海岸浸食対策や海岸管理計画の策定を支援するなど、長期的な島の維持を図るのが目的です。
このほか「サトウキビ廃棄物からのエタノール生産研究」(代表研究者・坂西欣也・産業技術総合研究所バイオマス研究センター長、相手国研究機関、ブラジル・リオデジャネイロ連邦大学、サンタカタリーナ連邦大学)、「インドネシアの泥炭における火災と炭素管理」(研究代表者・大崎満・北海道大学大学院教授、国内共同研究機関、宇宙航空研究開発機構、東京大学、愛媛大学、相手国研究機関、インドネシア研究技術省、パランカラヤ大学などインドネシア6機関)、「熱帯地域に適した水再利用技術の研究開発」(研究代表者・山本和夫・東京大学環境安全研究センター教授、国内共同研究機関、東京大学、東北大学、立命館大学、早稲田大学、相手国研究機関、タイ国環境研究研修センター、チュラロンコン大学、カセサート大学)、「熱帯林の生物多様性保全および野生生物と人間との共生」(研究代表者・山極壽一・京都大学大学院教授、国内共同研究機関、京都大学、山口大学、中部学院大学、相手国研究機関、ガボン科学技術開発省熱帯生態研究所)、「ナイル流域における食糧・燃料の持続的生産」(研究代表者・佐藤政良・筑波大学大学院教授、国内共同研究機関、鳥取大学、三重大学、相手国研究機関、カイロ大学、エジプト国立水資源研究センター水管理研究所)など、環境・エネルギー分野では総計7つの課題が、採択されています。
(続く)
井上孝太郎(いのうえ こうたろう)氏のプロフィール
1964年東京大学工学部機械工学科卒業、(株)日立製作所 入社。同社エネルギー研究所副所長、機械研究所所長、研究開発本部兼電力・電機グループ技師長などを歴任。2003年8月科学技術振興機構研究開発戦略センター上席フェローとして環境・エネルギー、安全・安心、産業技術、先端計測などの研究開発戦略策定を担当。08年4月から現職。05年4月東京農工大学大学院(技術経営)教授、07年4月から同客員教授も。日本学術会議連携会員、日本工学アカデミー政策委員、日本機械学会フェロー。工学博士。最近の論文としては、「持続可能な社会に向けて」(オーム誌2008年5、6月号)など。