レポート

シリーズ「日本の安全と科学技術」ー「容易ではない感染症の克服」第3回「インフルエンザごときで、なぜ騒ぐ!?」

2012.01.05

倉田毅 氏 / 国際医療福祉大学塩谷病院 教授

日本で少なかった犠牲者

倉田毅 氏(国際医療福祉大学塩谷病院 教授)
倉田毅 氏(国際医療福祉大学塩谷病院 教授)

 20世紀からのインフルエンザのパンデミックは「スペインかぜ」(H1N1)が1918年、「アジアかぜ」(H2N2)が57年、それから68年の「香港かぜ」(H3N2)、77年の「ソ連かぜ」(H1N1)、そして2009年に発生した今回の新しいインフルエンザ「カリフォルニアかぜ」(AH1N1pdm/カリフォルニア/2009-2010)です。

 今回の新しいインフルエンザによる被害を話すと、皆さんが驚かれます。亡くなった人の数は日本では198人、そのうち典型的なインフルエンザの肺炎は4人だけでした。人口が日本の約2.4倍という米国では死亡者16,701人、そのうち小児の死亡者は317人です。日本での小児の死亡例は37例でした。この米国の死亡者16,701人のうちインフルエンザ肺炎の症例は450人以上と、日本に比べてかなり多い数です。インフルエンザ肺炎による死亡者の代表的な病理標本を米国疾病予防管理センタ(CDC)で見せてもらい、確信を得たのですが、今回の日本での198例というのは異様な少なさなのです。これについては「けいゆう病院」(横浜市)の菅谷憲夫博士によって世界保健機関(WHO)の会議で公表され、世界の国々から驚かれています。

優れる日本の医療体制

 この「日米の差はなぜか」ということが大事です。日本の医療は24時間態勢で、お金のない人であっても、来院すればすぐ診て調べてくれますが、米国では医療保険に加入していない人が40%近くもいて、日本のように気軽にいつでも診てくれることはあり得ません。英国の場合は家庭医制になっていますので、もっと悲惨です。例え身体に不調をきたしても、自分がかかる家庭医を経なければ感染症の病院に行くこともできないし、もちろん感染症の薬ももらえません。家庭医が固定されているうえに、1日当たりの診療する患者数が決まっていますから、鼻水が出る、熱が出る、のどが痛い、せきが出るといっても「予約が必要ですから3日後の午後3時に来てください」といった話になります。

 日本でそうしたことが報道されたら、医療も厚生労働省も袋だたきにされ、それが県立病院ならば県知事まで謝る事態になってしまいます。日本では「いつでも、だれでも、どこでも診療拒否はしない」ということが、国としての感染拡大の抑制になっているのです。

 にもかかわらず、ある政治家や一部の専門家などは、欧米先進国の対応に比べて「日本の医療はなっていない」と言う。先ほどもお話ししたように、「カリフォルニアかぜ」による犠牲者は日本が米国よりもかなり少ない。日本の犠牲者198人には心筋梗塞や脳出血も含まれているので、直接、インフルエンザによって死亡した人はこれよりもかなり少なくなります。ところが米国の場合は全部トレースしているので、すべてがインフルエンザによる犠牲者の数字です。このことは、米国の医療アクセスが悪いことが証明されているようなものです。

 ところが一部の日本の“有識者”と自称する方々は、米国や英国などの先進国に比べて「日本は劣る、なっていない」というのです。ある政府系の会議で、私は怒りました。日本の医療をばかにしているし、日本の医療の第一線にいる病院などの方々が24時間態勢で大変な努力を重ねていることを、本当に分かっていない。メディアも「わが国の対応に問題があった」と追い打ちをかけます。結果が欧米に比べて素晴らしかったにもかかわらず、その正しい評価は全くしていないのです。何百万の犠牲者が出ると報じた方々は、パンデミックが終わっても、わが国の医療対応に正当な評価をしてはいません。

インフルエンザの診断と治療

 インフルエンザの診断は、迅速診断キットの登場によって今では簡単にできます。外来患者の鼻汁を検査用スライドに塗って少し置けば、すぐに結果が出ます。陽性と判断されれば、その場で抗ウイルス薬が投与され、みんな2、3日で治ってしまいます。

 陽性となった検体(鼻汁)から今度は地方衛生研究所でウイルスを分離し、遺伝子検査によってウイルスの亜型を同定します。これを全国77の地方衛生研究所が行うので、国内で発生している正確なインフルエンザの型や亜型はすべてつかめています。なのに、こうした24時間を通しての努力を、メディアはまったく理解していない。国立感染症研究所では全国の集計結果を発表していますが、ウイルス検査をしているわけではありません。

平安時代から記載されている“インフルエンザ”

 インフルエンザウイルスはどうやって広がるのか。くしゃみをすると、つばきの粒の大きなもの(しぶき)は1メートル以内に落ちていきますが、さらに小さな2-8マイクロメートル径の「エーロゾル」は、その先まで、空中をフワフワと浮遊しています。ですから、喀痰(かったん)が飛び散って目の前で浴びれば当然ウイルスに感染しますし、風向きや空気の温度、湿度、換気状態などによってはエーロゾル感染をしてしまいます。

 インフルエンザのことを、日本語では「流行性感冒」とも言います。これに類する初めての記述が平安時代の862年(貞観4年)にあります(『三代実録』)。その後の古文書の記述によると、「流行性感冒」は秋口から春まで毎年繰り返されていること。これは、今のインフルエンザと同じですね。さらに、時々大流行を起こすこと。まさにパンデミックです。また、この病気は老若男女、職業、貴賤(きせん)を問わずに誰にでもみられること。とくに青年期の若者に多く、その理由は、若い世代での交流が頻繁であることなど。全く、今と同じですね。何も今回(09年)の新しいインフルエンザに特異的な傾向があるわけではないのです。

 ところが、新聞やテレビなどでは“専門家”と称する人が「今回のウイルスの特徴は……」と語り、まさに“世界が終わるか”のように騒ぎます。私に言わせれば「千年以上も遅い」のです。インフルエンザについては、歴史的にも日本には記録があり、それが戦前の内務省から戦後の厚生省、厚生労働省に引き継がれて残っています。実は、スペインかぜ(1918年)の30年前にも、東京でインフルエンザの流行が起きています(「お染風」:1890(明治23)-91(同24)年)。このときの記録も詳しく残されていて、特定感染者数が13万人、その10%が死亡したと言われます。まさにパンデミックですね。薬も何もない時代ですから、死亡者も多い。しかし、今は薬もありますから、何も大騒ぎすることはないのですが、どうして騒ぐのか、私にはよく分からない。“専門家”も政治家もメディアも、もっと謙虚に歴史に学ぶ必要があるのではないでしょうか。

“経鼻”効果

 口や鼻から入ったインフルエンザウイルスは、気管から気管支、肺の中へ侵入し、その上気道で一般的に増えます。粘膜にウイルスがくっつき、ワクチンによって「IgA」抗体が分泌されていると、IgAが反応して感染が防げます。このことは、私たちが動物実験を87年から開始し、あらゆる条件を検討して行った実験結果の英文論文をすでに120本出しており、世界の研究者たちも認めてくれています。

 さらに今年1月からの研究では、IgA抗体はヒトの鼻にワクチンを投与することでも分泌されることが分かり、そのIgA抗体によって、生きたウイルスの感染をブロックできる確信もヒトで実験的に得られました(長谷川、田村ら、投稿中)。ウイルスはIgA抗体によって中和され、活性を失うことまで証明されているので、いよいよ自信をもって治験に進む段階に来たのかなと、思っています。

各リスクへの対応

 今回の「カリフォルニアかぜ」では、インフルエンザウイルスの感染によって重症化や致死に至るリスク要因がいくつか挙げられ、日本でも大騒ぎしました。

 「肥満の人」や「肥満と心臓あるいは肺に疾患ある人」。「ぜんそくの人(特に子ども)」については、富山県では医者がぜんそくの人を全部把握し、小児科医には「何かあったらどこの病院に行くかを、親たちに指示するように」と県が指導していたので、死亡した人は1例もいませんでした。中には病院に行くのが遅れて重症化したケースもありましたが、完全に回復しています。そのほか「気管支拡張症の人」や「肺気腫のお年寄り」、日本では「妊婦」は全然感染していません。さらに「乳幼児」も突然死のリスク因子でしたが、これも今回のインフルエンザでは全くありませんでした。こうした高齢者を含めた方々を医者は把握し、きちんとした対応を取っていたので、非常に少ない犠牲者で済んだのです。

「スペインかぜ」との相違

 今回の「カリフォルニアかぜ」について、インフルエンザ研究の特に基礎系の先生方は、1918年のスペインかぜと一緒で、多くの人が死亡するようなことを言いました。当時と現在とでは医療対応が比較にはならないし、90年前の医療や社会状況で現在を律することは、きわめて作為的だとも思います。

 1918年とは何が違うのか。まずは「検査」です。あっという間に抗原の診断ができ、さらにウイルスの遺伝子の亜型同定までは2-3時間で可能です。それから「抗インフルエンザウイルス剤」も今では5種類もあります。「抗生物質」についても、インフルエンザの症状が長引くと細菌性肺炎を起こすので、日本では大抵、インフルエンザの薬と同時に抗生物質を投与します。これも、すごい効果を発揮し、犠牲者は極めて少なくて済みました。もう一つは「ワクチン」です。これは感染予防には役立ちませんが、肺の奥までウイルスが入ってきたときには、ワクチンによるIgGが闘い、死ぬような事態にはなりません。

 それから「患者対応」。昔と今とでは病院の施設がまるで違いますし、スペインかぜのときのように、患者をどこかの体育館に並べて、薬もなければ医者もいないといった状態は、第一次世界大戦の時代のことです。そして「情報」についても、インターネットなどから今では、どこでも世界の情報が瞬時に入る状況になっています。

 もう一つ大事なことは、抗インフルエンザウイルス剤としては「タミフル」「リレンザ」「ラピアクタ」「イナビル」、それに、もうすぐ発売になると言われる、富山化学工業の「T-705」(一般名「ファビピラビル」)の5種類がありますが、これらを自由に医者が使える国は、世界では日本だけです。米国や英国など、どの国の、どの医療機関の、どの医師もが5種類全てを自由に使える状況にはないのです。

 こうしたことを無視して「スペインかぜ」を比喩とするのは国民に不安感を与え、事態を悪く大げさに言うだけの、ただの無知でしかありません。

質が違う国産・外国産ワクチン

 インフルエンザワクチンは、経鼻接種しないと感染防御の役に立ちません。これは実験動物のサルでも多数の実験を行い、明らかにされています。もちろん現行の皮下接種ワクチンが役立たないというのではなく、これはこれで重症化を防ぐことはできます。

 インフルエンザワクチンといっても、外国のものと日本のものとでは、まったく質が違います。日本のワクチン「HAワクチン」(スプリット・ワクチン)は、血球凝集素(Ha)の分子だけを取り出してワクチンにしています。外国のものは、ウイルス粒子をぐちゃぐちゃにして壊した、ウイルスの病原因子がすべて入っているワクチン(全粒子をデタージェント〈detergent〉で壊しただけのワクチン)です。余計なものがたくさん入っているので、皮下接種の結果、腕が腫れるなどの副反応が出てきます。H5N1(鳥インフルエンザウイルス)ワクチンの場合は、テストの段階で、10日間も寝込んでしまった健康男性がいるともいわれます。インフルエンザごときのワクチンで寝込んでしまっては、話にはなりません。

 外国のワクチンは、日本のものとは「似て非なるもの」です。それを知らずに「ワクチンなら何でもいいから」と輸入を推進された方がいて、1,300億円もかけて、全く使えない「泥水ワクチン」(注:ある承認会議での座長の発言)も登場しました。すでに廃棄されたはずですが、そうしたわけで、いかなるワクチンも品質問題は非常に重要です。

「経鼻ワクチン」の利点

 私どもが「良し」として研究してきたのは、鼻の中にシュッと噴霧するだけの経鼻接種タイプのワクチンです。利点の一つは感染自体を阻止できること、さらに流行株がワクチン株とある程度一致しない場合にも「交さ防御能(cross-protection)」があること、そして流行株の予測が不可能な新しく登場してくるインフルエンザウイルスにも対処できることです。

 例えば今の皮下接種のワクチンは、同じH3N2でも香港、東京、カリフォルニアで流行したものなど、少しの違いで効果がなくなってしまいます。しかし、経鼻接種の場合は、同じ亜型なら全部カバーできることが実験的にもはっきりしているので、予測不能な新しいインフルエンザにも対応できるのです。

 このようなことから経鼻接種ワクチンは、必要ならば本格的な流行が始まる前の「プレパンデミック・ワクチン」、あるいは次の流行までの「インターパンデミック・ワクチン」としての活用も期待できます。ただしそれには、ヒトで安全に使えるためのアジュバント(免疫増強剤・免疫賦活剤)が必要となります。

「経鼻ワクチン」の効果

 経鼻接種ワクチンによる、鼻粘膜でのウイルス量を調べました。サルやマウスでみると、皮下接種の場合とワクチン接種のない場合は鼻粘膜でのウイルス価は上がりますが、経鼻接種の場合は全く上がってきません。このことは経鼻接種でウイルスが見つからない、つまり感染していないことになります。動物を使った感染後の生存率の実験では、ワクチン接種のない場合には9日後あたりから低下して、12日後にはゼロなりましたが、ワクチンを接種した場合は、皮下接種でも経鼻接種でも18日後の生存率は100%と、いずれも死にませんでした。これらのことから、経鼻接種がワクチンの新しい投与方法として注目されています。

倉田毅 氏
(くらた たけし)

倉田毅(くらた たけし) 氏のプロフィール
1940年長野県生まれ。59年松本深志高校、66年信州大学医学部卒。71年信州大学大学院修了(医学博士)、国立予防衛生研究所病理部研究員、東京大学医科学研究所病理学研究部助手、同助教授。85年国立感染症研究所病理部長、99年同研究所副所長、2004年国立感染症研究所所長、06年富山県衛生研究所所長などを経て、11年から現職。

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