レポート

シリーズ「日本の安全と科学技術」ー「容易ではない感染症の克服」第2回「天然痘・ポリオ・はしか」

2011.12.27

倉田毅 氏 / 国際医療福祉大学塩谷病院 教授

安全・安心に対する科学技術

倉田毅 氏(国際医療福祉大学塩谷病院 教授)
倉田毅 氏(国際医療福祉大学塩谷病院 教授)

 それではこれまで、世界はどうやって重症・重篤な感染症に対応してきたのか。天然痘について話します。

 天然痘は紀元前1万年くらいに、アフリカか東南アジアの農村地帯に出現したと言われていますが、定かではありません。20世紀だけでも、世界で2-3億人が天然痘により犠牲になったと推定されています。そして1977年10月26日にソマリアの19歳の男性患者が最後に治癒され、人類の戦いは終わりました。67年から天然痘根絶計画に取り組んでいた世界保健機関(WHO)は、80年5月の総会で根絶宣言を行いました。次はポリオを対象として、WHOは89年から根絶計画をスタートさせましたが、現在のところ根絶の見込みは分かりません。ポリオの次の対象としてはしかが順番待ちで、各国が減らす努力をしています。

 これらの感染症が根絶の対象になったのは、いずれもウイルスですが、蚊やダニなどといった中間宿主がなく、ヒトからヒトにしか感染しないこと。さらに、優れたワクチンがあることも最大のポイントです。これらの後、根絶できるウイルスやバクテリアの候補は、今のところありません。

米ロ保有の天然痘ウイルス

 天然痘は根絶されましたが、各国が保管していた天然痘ウイルス(Variola virus)は1980-81年にかけて、共産圏の国々からは旧ソ連のモスクワへ、自由主義国からは米アトランタの疾病予防管理センター(CDC)に送付、保管されました。天然痘の疾患が根絶されたことにより、WHOでは「保管されているウイルスを破棄するか、しないか」の会議がおおよそ2年ごとに開催されていますが、いまだに解決されていません。

 米国では2001年に炭疽(たんそ)菌によるテロがありましたが、次なる問題は天然痘だと、米国政府は指摘しています。なぜなら、モスクワに保管されていたバリオラウイルスはその後、ノボシビルスクの南のコルツオボにある軍の施設(VECTOR研)に移されました。160株のウイルスのうち13株が再び培養分離され、いろいろな実験が行われているとの疑念が起きました。米国はロシアの約束違反を批判しました。米国も保管している460株から45株を分離し、バリオラウイルスの塩基配列の全シークエンスを決めました。米ロがそれぞれに得たシークエンス情報を公開し、ウイルスを破棄しようということだったのですが、依然として情報は公開されていません。2011年の現在も、破棄されてはいません。

 みんなが天然痘を恐れているのは、実は、89年に旧ソ連が崩壊したときに、保管に関わっていた人のうちの数人が行方不明になった、と言われているからです。テロなどに使用されて、そのウイルスの遺伝子情報を分析すれば、どこに保管されていた株か分かってしまいます。そのために「モスクワはシークエンスの公表を拒んでいるのでは」とも言われています。天然痘のウイルスは、マイナス20度以下で保管していれば、ほとんど半永久的に生きているのですから。

天然痘の診断

 しばしばわが国の学者が新聞などで「天然痘は実験室診断ができない」と言いますが、それは彼ら自身がただ無知なだけです。今ある診断方法は、40年以上前からわが国でも使われているものです。ウイルス粒子や抗原の検出は、電子顕微鏡や免疫蛍光法などによって30分で可能です。ウイルスの分離も卵を利用することで簡単にできます。

 ウイルス遺伝子の検出についても、ホルマリンに固定した卵の漿(しょう)膜から遺伝子を引き抜き、PCR(ポリメラーゼ連鎖反応)法で確認する方法を、感染研が2002年に確立しました。米国では2001年の9.11テロ以降、天然痘ウイルス45株の遺伝子配列情報を一切出さないことにしましたが、感染研の方法により、ホルマリン固定材料から得ることができました。

ワクチンの開発

 ワクチン開発は非常に重要です。臨床医特に小児科の医師は「日本が遅れている」と言いますが、これは外資系企業の宣伝に乗っているのではないかと思えます。日本には「千葉県血清研究所」にいた橋爪壮先生が創られた「LC16m8」という細胞培養による天然痘のワクチンがあります。これは現在でも世界で最も優れたワクチンです。まず、副反応が少ないので死亡者が出ることは、まずありません。それから免疫を付与する力(immunity)がとても強いのです。このワクチンは千葉県血清研究所が2002年に閉鎖後、「化血研(化学及血清療法研究所)」(熊本市)に製造所が移され、米国がテストしていますが、「今まで開発されたものでは一番よい」とのことです。数年前に感染研の小島らは、このワクチン株には中和活性を誘導すると考えられていた「5BR」部分の遺伝子が培養過程で欠落していることを明らかにしましたが、免疫原性の点からは、有効性が確認されています。

 米国にもバクスター社製のワクチンがありますが、28歳以下の兵隊7万人に接種したところ死者が出たり、脳炎が発症したり、1,000人当たり1人に重篤な全身感染などの症状が起きたりしています。しかし米国は「1,000人に999人が助かればよい、1,000人に1人の犠牲が出てもやむを得ない」ということで、このワクチンをストックしています。日本でそんなことを言ったら大変な騒ぎです。幸い「LC16m8」はそのようなワクチンではありませんし、免疫原性の点から全く問題はありません。その他の国もいろいろなワクチンを作っていますが、質的には昔使われたものと、全く変わりがありません。つまり、子牛の背の皮膚に接種して、病変部からウイルスを回収するものです。

克服されつつある感染症(ポリオ)

 1989年にWHOからポリオ根絶計画が提唱されて以来、一生懸命取り組んでいますが、いまだインド亜大陸やアフガニスタン、パキスタン、アフリカのナイジェリアなどで野生株ポリオウイルス(強毒型)の伝播(ぱ)が続いています。内戦や混乱状態が続いている国や地域では、根絶はなかなか難しい状況です。日本においては、流行地からの輸入ポリオウイルスによるまひ症例が出ない限り、とくに問題はないのですが、世界においてはまだまだ問題があります。

 日本では現在、生ワクチンをシロップと一緒に飲む経口式(OPV)をやめて、注射タイプの不活化ワクチン(IPV)にすべきだという話があります。もはや市場に出る段階にまで来ています。IPVになれば、副反応として軽度のまひが出ることも、ポリオ様の症状が出ることもなくなるからです。

   * (編集部注):ポリオワクチンには、生ワクチンと不活化ワクチンの2種類がある。生ワクチンは現在日本で接種しているもので、セービン株の血清3型(Ⅰ型、Ⅱ型、Ⅲ型)のポリオウイルスの病原性を弱めたものを、経口投与する。不活化ワクチンは3タイプのポリオ強毒株ウイルスを増殖精製し、ホルマリンで不活化させたものを注射する。

下水から検出されるワクチン由来のウイルス

 ポリオウイルスは、飲み物や食べ物と一緒に口から入ると、腸管で増えて病気を起こします。ウイルスの大きさは20ナノメートル(1ナノメートルは100万分の1ミリメートル)と非常に小さく、腸管の粘膜で増えた後はリンパ管を伝わって、脊髄の「前角」にある運動神経細胞を襲い、まひ症状を発生させます。また、腸管で増殖したポリオウイルスは便とともに体外に排せつされ、新たな感染源ともなります。

 ポリオウイルスは、生ワクチンの集団接種後に、下水の中からも検出されます。富山県では2006年4月から毎月、ある下水処理場に流入する下水を調査しています。同県では乳幼児へのポリオワクチン集団接種を春期(4-5月)、秋期(9-10月)に行っていますが、ポリオウイルスの検出時期は、その集団接種の2-3カ月後に限られました。下水から分離されたポリオウイルスは、遺伝子解析の結果、すべてがⅠ型、Ⅱ型、Ⅲ型のワクチン株で、野生型ポリオウイルスの侵入の可能性は低いと考えられました。

 こうしたワクチン由来のポリオウイルスをなくすためにも、不活化ワクチンの使用が勧められています。ただし、生ウイルスの経口投与の場合と不活化ウイルスの皮下接種とでは、体内で関与する免疫機構は大きく異なるので、もし野生株が侵入したときに問題がないかどうかは、今は不明です。

日本産の不活化ワクチン

 日本の経口ポリオ生ワクチンは、Ⅰ-Ⅲ型ウイルスの弱毒セービン株から作ったものです。不活化ワクチンについても、海外のものはⅠ型がMahoney株、Ⅱ型がMEF1株、Ⅲ型がSaukett株といずれも高病原性株を使っているのに対し、日本で開発された不活化ワクチンは初めてセービン株を用いたもので、その高いワクチン効果とともに、世界のどこでも、通常の実験施設であれば製造が可能であることが大きな利点ともいえます。外国で製造使用されている不活化ワクチンは全て野生株由来で、根絶後は、その扱い・保管には高度安全実験施設(BSL-4)でしか培養してはならないことがWHOで数年前に決められています。

海外で恐れられる日本の「はしか」

 日本を除く世界先進諸国では、地域ごとにはしか征圧がほとんど終わり、恐れているのは日本のはしか対策です。厚生労働省の用務で外国の検疫所を訪問したときに、そこの職員などに「若い日本人旅行者が入ってくると、はしかが国内で発生してしまうから、外国への旅行を止めてほしい」と言われることがあります。米国でもカナダ、台湾でもそうでした。

 米国というのは、お金があるので、すぐに余計なことをやる国です。アトランタやヒューストンの空港では、飛行機1機分の人数(約350人)を全員収容できる部屋をつくり、そこで検疫や入国審査を行えるようにしました。飛行機で到着した乗客をいきなりその部屋へ収容するわけです。「何のために」と聞いたら、「日本のはしか感染が怖い。日本から持ち込まれることがあり得るので、それを防ぐためにここで徹底的に検査し、はしかに感染していない人しか入国させないようにしている」といいます。しようがないですね。

インフルエンザ

 「インフルエンザ」はヒトの病気の名前です。「鳥インフルエンザ」は鳥のインフルエンザのことで、鳥の病気の名前です。日本の厚生労働省は「鳥インフルエンザ」をヒトの病気に入れていますが、世界的にはそういうことはありません。インフルエンザウイルスにはA型、B型、C型の3種類があります。A型ウイルスの表面には「血球凝集素(HA)」と「ノイラミニダーゼ(NA)」という2種類の糖タンパク質があります。さらにHAには1-16種類の亜型、NAには1-9種類の亜型があるので、この組み合わせによってH1N1やH3N2など、A型ウイルスには144種類の亜型が存在します。B型やC型ウイルスには亜型はありません。

渡り鳥の調査

 総合科学技術会議による農水、文科、厚労、環境各省横断的な「科学技術連携施策群」(新興・再興感染症)の取り組みの中で、渡り鳥が運ぶウイルスの調査として、鳥に発信器を付けて世界中に飛ばしました。日本の各所から飛ばすと、翌年、同じところに帰ってきます。10羽飛ばして2羽でも戻ってくれば、そのグループは同じところから帰ってきたと言えます。その鳥のふんからウイルスを分離して、遺伝子を解析し、病原体ゲノムのデーターベースに蓄積していこうというものです。

 面白いことに、宮崎県で放した鳥も秋田県で放した鳥も北の方へ飛んでいきます。北上して朝鮮半島や中国北東部の方に飛んで行くもの、樺太からさらにカムチャッカ半島へ飛んでいくもの、あるいは、モンゴルを越えてもっと北まで行ってしまうものもいます。これらの渡り鳥は、また春になると、日本の飛び立ったところへ帰って来るわけです。

パンデミックの定義

 WHOによる「パンデミック」の定義は、南北半球の2カ国以上において連続的に流行・拡大が起きていることを問題にした言葉であって、感染者の数は5万人だろうと50人だろうと関係ありません。

 また、パンデミックというとすぐに1918年の「スペインかぜ」の写真を例に出しますが、あの時代の医療を行っているところは、今はどこにもありません。ところが、パンデミックとなると米国もそうだし日本のインフルエンザの研究者も、野戦場みたいな、どこかの体育館で毛布だけの簡単なベッドの上に患者が寝かされていて、医療も何もないようなことが起こると思っているのです。開発途上国は別として、今は日本にもそんなところはないにもかかわらず、インフルエンザの研究者たちが盛んに「こうなる」とテレビや新聞、雑誌などで話したり、書いたりするので、かなりの悪影響を与えています。まさに「無知の極み」です。

倉田 毅 氏
(くらた たけし)

倉田 毅(くらた たけし) 氏のプロフィール
1940年長野県生まれ。59年松本深志高校、66年信州大学医学部卒。71年信州大学大学院修了(医学博士)、国立予防衛生研究所病理部研究員、東京大学医科学研究所病理学研究部助手、同助教授。85年国立感染症研究所病理部長、99年同研究所副所長、2004年国立感染症研究所所長、06年富山県衛生研究所所長などを経て、11年から現職。

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