レポート

シリーズ「日本の安全と科学技術」ー「容易ではない感染症の克服」第5回「「国の責任」と「自己責任」」

2012.01.18

倉田毅 氏 / 国際医療福祉大学塩谷病院 教授

すべてが厚生労働省の責任か

倉田毅 氏(国際医療福祉大学塩谷病院 教授)

 もう一つ、新聞をにぎわしている食品由来の感染症の問題があります。O-157やO-111などの「腸管出血性大腸菌」の感染問題について、日本では「厚生労働省が無責任だ」と批判されていますが、それは違います。大体が「牛肉や豚肉を生で食べてよい」とは誰も言っていないし、厚生労働省の書類にも一言も書いていません。そもそも生で食べることの方がおかしく、「加熱して食べなさい」とどこでも推奨されているのですが、日本人は「生で食べることがグルメだ。食の楽しみ方だ」と全く勘違いしています。ヒトはライオンやヒョウではないことを知るべきなのです。

 この感染問題はドイツや米国にも飛び火していますが、これら欧米での問題は、食べ物を洗わないことによります。どんなにいいホテルでも、ホウレンソウなどの野菜は何でも洗わず、ちぎって出してくるので、それがどこで汚染されたのか分からない。食べてじゃりじゃりするのは、いくらでもある話です。

 日本ではさすがに、ホウレンソウを生のままちぎって出すようなお店はないと思いますが、「生で食べるのが新しいことだ」と思っている。それが間違いのもとであり、野菜を洗わずに生で食べる人ほど感染症について何も知らない。現在も、生肉を食べて中毒を起こす例は、次々と発生しています。これはただの無知としか、言いようがありませんね。

米国では全て「自己責任」

 食品由来の感染症については、米国でもO-157の問題が1982年からあり、米国政府もO-157の情報を出しております。米CDC(疾病予防管理センター)は「加熱して食べないと、こうした症状が出ます。これだけの汚染があり、昨年はこれだけ患者が出ました」などと、ホームページでもすべて情報を出しています。そうした情報があるのに、加熱しないで食べた場合は、あとは国民の個人の責任となります。CDCにはさまざまな国のさまざまな感染症情報が全て集まっていますが、その情報にないことで米国人が外国のどこかの森で病気になり、しかも本当にCDCも知らなかった場合にだけ、米厚生省が補償することになっています。つまり情報を出したら、あとは国民の「自己責任」ですから、「あれを食べるな、こうして食べよ」などと言うのは余計なことなのです。

 先日(2011年5月)行ったワシントンで、面白い話を聞きました。「市内で売られている食品の安全性を全部チェックせよ」と主張するグループがいて、それに対して「余計なお世話だ」「何を食べるか、どういう状況で食べるかは個人の責任。食品の検査には反対だ」との意見が出されました。州政府は、検査に使われる税金額も提示したらしいのですが、結局「個人が自らの判断で選べばいい」「病気になるのは自分の責任だ」と、検査はしないことになったそうです。

 日本人も賢くなるべきです。自分の責任で選び、食べるものですからね。しかしそもそも、豚肉や鶏肉をどうして生で食べるのでしょうか。いずれもキャンピロバクターの巣であり、中毒を起こしますよ。それは分かっているし、どこにでも書いてあることなのですが、そうして患者が出た場合でも、メディアが悪いのは「自己責任です」と絶対書かず、厚生労働省に「全検査せよ」と主張します。全検査しなくても、小指の先ほどの小さな細切れの肉でも、O-157の菌が10粒ついていれば、数十秒で1回ずつ増えるので、あっという間に1万個になってしまいます。そうしたことも、きちんと情報として出さないといけません。

「加熱が望ましい」は“生でもいい”?

 最近話題になった牛肉の「ユッケ」ですが、あの量をどうして280円で食べられるのか。片や厚さ1センチほどのステーキが2,000円もするのにですよ。霜降り肉をいくら切っても、テレビの映像のようにはなりません。メディアは「厚生労働省の問題だ」と言いますが、そのように出されている肉を見抜けないメディアこそが、報道責任の回避、あるいは完全に無責任です。そもそも「牛肉を生で食べてよい」との情報は、世界のどの機関も出していませんし、日本の厚生労働省も書いてはいないのです。

 また、O-175の集団感染が1990年に埼玉県内の幼稚園で発生したとき、同県は「加熱して食べなければならない」と一般向けに広報しましたが、他の都道府県では「加熱が望ましい」との表現でした。日本人は「望ましい」と言われれば、「生でもいいのだろう」と読んでしまうのですね。国民の健康を、国が全て守ることはできません。自分で判断し責任を取ることが大事です。

B型肝炎の“医学的”究明

 B型肝炎ウイルスの感染問題で、全てが集団予防接種に原因があると、国が結論を出しました。確かに予防接種が原因だと究明された被害者もいるようですが、原因不明で肝炎にかかられた方もたくさんおられます。患者さんの救済に関しては、B型肝炎だけでなくC型肝炎、あるいは腎疾患の患者さんに対しても、福祉の面から充実させていくべきだと思います。しかし、B型肝炎ウイルスの世界での広がり方をみると、原因が予防接種だけということはあり得ません。血液や体液、唾液などで感染が拡大するからです。医学的に究明されないままに結論を出すことは、医学あるいは科学の問題をおろそかにすることにもなります。福祉政策で患者を救うことと医学的究明は、全く別の次元のことであることを忘れてはいけません。

エイズ対策は「若者教育」で

 日本でのHIV(エイズウイルス)感染者が激増しています。年間の新規HIV感染者は10年前(2000年=462人)に比べて、今では1,000人以上(2010年=1,075人)です。エイズの発症についても、かつてはこの問題が起き始めた1985年ごろから10年間は、HIV感染者の中からエイズ発症者が出ていましたが、今では突然のエイズの症状で発見される人がたくさん出てきました(1010年の新規エイズ患者数469人)。日本における年間のHIV感染者の母数(潜在的な感染者数)は、把握されている数の10倍はあるだろうといわれています。累積となると大変な数になりますが、それについては全く警告が出されていないのです。

 男性感染者の場合、感染原因は異性間の性的接触が20%弱、同性間の性的接触が70%を占めており、とくに15歳から24歳の年齢層では2010年だけでも100人近く増えています。予防できるのに、若者たちに知識がないのです。どうして国は若者たちに率直に教えることがないのでしょうか。

 エイズ問題の対策について「もっと教育の中で取り組むべきではないか」と私は、6年前に厚労省や文科省の関係課長らと話をしました。その後間もなく、ある新聞記事(2005年7月)が出て、驚きました。中教審の専門部会が「高校生以下の性行為は不適切である。安易に具体的な避妊法を指導すべきではない」との見解をまとめたのです。その背景には10代、20代といった若年性のSTD(Sexually Transmitted Diseases;性行為感染症)の問題もあって、それが急速に拡大し、深刻化しています。HIV感染症の問題を、単なる避妊具の話と一緒にしてしまうという恐るべき判断力には、次の句はとても出てきません。

 米国ではエイズ対策として、ワクチン開発に10数年にわたり毎年3,000億円を投資してきましたが、いいものができずに見直しとなりました。エイズは、ウイルス(HIV)感染後に自然治癒することのない病気です。それだけに、ワクチンの対応は難しいのです。では、米国はその後どうするのか。京都での会議でお会いした、米国エイズ対策委員会の委員長だったハースさん(ミネソタ大学教授)に聞いてみました。すると「ジャスト・エデュケーション。もはや若者への徹底した教育以外に予防法はない。感染者が増える事態は社会の問題であり、政治の問題だよ」と言われ、わが国の教育対応の無策ぶりに、私はがっかりしました。

 世界のエイズ感染者は5,000万人に達しようとしており、とくにアフリカと中国がものすごい勢いで増えています。その他の国々は、先進諸国も含めて減少してきています。日本も先進諸国の一つであり、当然、減少してよいはずですが、今述べたように激増の一途なのです。

 1人のインフルエンザ患者の死亡記事が新聞のトップを飾る間に、一方では大変な事態が進んでいることを、もっと厳しく受け止める必要があります。このことをある新聞社の方に話したら、「今さらエイズには新鮮味がないのです」と片付けられてしまいました。

倉田毅 氏
(くらた たけし)

倉田毅(くらた たけし) 氏のプロフィール
1940年長野県生まれ。59年松本深志高校、66年信州大学医学部卒。71年信州大学大学院修了(医学博士)、国立予防衛生研究所病理部研究員、東京大学医科学研究所病理学研究部助手、同助教授。85年国立感染症研究所病理部長、99年同研究所副所長、2004年国立感染症研究所所長、06年富山県衛生研究所所長などを経て、11年から現職。

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