岩波書店から新刊書「岩波ホールと〈映画の仲間〉」(高野悦子著)を送っていただいた。著者謹呈となっているが、高野さんはよく知られているように2月9日に亡くなっている。「エキプ・ド・シネマ」(岩波ホールを根拠地に、世界の埋もれた名画を発掘・上映する運動)、さらには東京国際女性映画祭を、高野さんと二人三脚で産み育ててきた大竹洋子さんが、おそらく手配してくださったに違いない。
時計の針を20歳に戻してやる。仮にそう言われたとしても、とてもまねできるどころか、まねする気も起きない。そんな高野さんの劇的な後半生がぎっしり詰まっている。半分くらい読み進めたところで、早くも兜(かぶと)を脱ぐ、という感じになった。
長年、記事を書いてきたので、こういう書き方はすまい、と心に刻み込んでいることはいくつかある。起きた出来事を、ただ時間を追って書き連ねる、というのも禁じ手にしている一つだ。嫌々、書いていた小学生のころの作文が大体こうだった。書いている人間が途中で投げ出したくなるくらいだから、読む方はもっと退屈、迷惑に違いない。
しかし、激動の人生、前向きにひたすら生きていた方の場合は、こんな文章術などどうでもよくなる、とつくづく思った。岩波ホールの出来事を核に、話の舞台が世界のあちこちに飛ぶ。出てくる人々がこれまた有名人か、特に有名とは言えなくても才能と情熱にあふれた人たちばかりだ。退屈するようなくだりはない。
高野さんは1968年に岩波ホールができて以来、亡くなるまで総支配人を務めた。高野さんと縁が深いポルトガルと日本の合作映画「恋の浮島」(パウロ・ローシャ監督)を、1983年に上映するまでになめた辛酸と、感慨を書いた箇所がある。
「日本側は岡崎宏三カメラマンをはじめ、チーフ助監督に小泉堯史さんなど一流のスタッフが協力、主役のおヨネを三田佳子さんが演じた」。これを読んで、合点がいった。高野さん、大竹洋子さんと初めて会ったのは、確か2004年の東京国際女性映画祭のオープニングパーティーだ。図々しく出かけたのは、高校の同級生、小泉堯史氏に誘われたからだった。満を持して監督デビューした氏が、「雨あがる」に続く「阿弥陀堂だより」で、監督としての評価を確たるものにしたころだ。しかし、小泉監督と高野さん、大竹さんがなぜ非常に親しいのかは、きちんと聞いていなかった。なるほど「恋の浮島」という映画にさかのぼるのか、と初めて納得した次第だ。
小泉監督には、岩波ホール主催の忘年会にも何度か連れて行ってもらった。「この忘年会が半端なものではない。夜中過ぎても延々とカラオケ大会が続く」と監督から聞いて、いつも適度な時間に監督と一緒に退散したものだ。「緑色の部屋」(フランソワ・トリュフォー監督)が、岩波ホールで上映されたのは1980年だった。この作品のプレミアショ—に合わせトリュフォー監督が1979年の暮れに来日する。高野さんの求めに応じて、自費で来たというのもいい話だが、カラオケセットが岩波ホールに備えられるのと、監督の来日が関係あるというのも面白い。年季の入った大竹さんの歌唱力は、編集者も後に確認することになるが、岩波ホールのスタッフの方々は、押しなべて芸達者ばかりらしい。この方々の活躍ぶりもさることながら、スタッフが策をめぐらせて高野さんに歌を歌わせ、ご本人もスタッフの策略に乗ってしっかり楽しんだというくだりが、実に愉快だ。
大竹さんには、毎年、開かれる東京国際女性映画祭の招待券ばかりか、岩波ホールの上映作品の招待券も毎回、送っていただいている。上映中の「8月の鯨」(リンゼイ・アンダーソン監督)をまだ観ていなかったので、20日、行き帰りの電車内で読むために「岩波ホールと〈映画の仲間〉」を抱えて、岩波ホールに出かけた。
「8月の鯨」は 高野さんが著書の中で何度も触れているように岩波ホールが1988年に上映し、大ヒットした記念すべき作品で、今回は再上映である。編集者は名前だけしか知らない大スター、ベティ・デイヴィスとリリアン・ギッシュが老姉妹を演じるなんとも奥深い作品だ。ただ、登場人物たちの会話以外の見どころは何かと問われると難しい。舞台となった米メーン州の海岸が美しいとは言えるのだが…。この作品が、1988年当時、日本の映画ファンの大きな支持を得たのはなぜなのだろう。今後、折に触れて考えてみることにする。
長身で真っ赤なドレスが似合う容姿から高野さんという方には一定の印象を抱いていたが、今回の著書を読んであらためて思ったことがある。知性も備えたガキ大将ではないだろうか、と。「上司にしたい女性(男性)」という人気投票結果が時々、ニュースになる。高野さんと一度仕事をしたことがある人たちに同じ問いかけをしてみたらどうだろう。10人中10人が高野さんを挙げるような気がしてならない。
世の中には「足し算志向の人」と、「引き算志向の人」がいるということを、この1年間よく考えさせられた。何かを自分からやろうとするより、人のやっていることでとばっちりが来ないかを心配したがる。危機管理の担当者ならこういう人が喜ばれるかもしれないが、文化的な仕事をする人には向いていないのではないだろうか。
「足し算志向」の行動が、その魅力にひかれた周りの人々の「足し算志向」を呼び起こし、掛け算の答えに飛躍する。高野さんという方は、そんな人ではなかったのではないだろうか。