レビュー

編集だよりー 2012年10月23日編集だより

2012.10.23

小岩井忠道

 苦手なものは、と問われたらいくらでもある。しかし、英語ほど苦労させられたものはない。言語は運動能力や音感などと同じで、若い時できれば幼少時からきちんと身に着けないとどうにもならないということだろうか。高校の時、単語を覚えようとする地道な努力を放棄してしまったのが、編集者の場合、決定的な報いとなっている。

 ということもあり、英語について触れた記事は、昔からどうにも気になる。22日、毎日新聞夕刊1面に、韓国大統領選候補者の一人、安哲秀・元ソウル大学教授が台風の目になっているという記事が載っていた。目についたのは、次のような安氏の言葉である。

 「(雇用の際、企業は)英語が必要ない仕事にもTOEIC(英語能力試験)などを要求する。他の観点で判断しにくいから成績を要求し、悪循環を生んでいる。公共機関からでも改善していかねばならない」

 韓国が早くから英語教育を重視し、国際的な場で活躍できる人材を育てて来ているのに対し、わが日本は…。そんな記事ばかり読まされているという思いが強い非国際人としては、これは意外でなかなか興味深い主張ではないか。英語の能力ばかり重視することで弊害が出ているということだろうから。

 そこで思い出したのが、一昨年の東京国際女性映画祭で観た韓国劇映画「飛べ、ペンギン」(監督・脚本、イム・スルル)だ(2010年10月26日編集だより/archives/blog/2010/10/20101026_01.html参照)。ソウルで逆単身生活を送る区役所の男性課長が出てくる。しばしばうっとうしがられながらも、部下たちを夜の街に誘い出すことが多い毎日だ。妻と子供たちはどこにいるのか。息子、娘を英語に不自由しない人間に育てるために、妻が二人を連れて米国で暮らしている。稼いだ金の大半は米国への送金で消え、子供たちと一緒に一時、帰国した妻には「あんたが脇にいると眠れないから娘と寝る」とベッドを共にするのを拒否される始末だ。

 監督と脚本を担当したイム・スルルさんは若い女性で、喜劇仕立ての作品に仕上げている力量にすっかり感心したのを覚えている。

 社内では英語しか使わせない—。そんな「先進的」企業がニュースになっている日本に比べ、韓国はだいぶ先を走っているのだろうと思い込んでいたが、やはり世の中は一筋縄ではいかないようだ。韓国大統領候補、安哲秀・元ソウル大学教授の指摘は、イム・スルル監督とは別の視点から韓国の教育熱に冷や水を浴びせたということだろう。

 最近ではなく5、6年前の話だ。とはいえ社名を出すとマスメディア志望の大学生たちに間違った情報を与えかねないから、社名は出さない。ある大手マスコミの人事部長(当時)に聞いたことがある。

 「時事問題、英語、作文など筆記試験の点数を合計して順位を決めると、最終面接に残る受験者は、英語でよい点数をとったものばかり並んでしまう。採用者が英語の得意な人間ばかりにならないよう、自分の責任で英語の点数の比重を下げる操作をした」

 英語の能力を過大に評価するリスクに気づいた人事担当者が、日本でも既に出始めているということだろう。

 なんて話を続けると、しょせん、グローバリゼーションに対応できない人間の繰り言にすぎない、と言われそうだから、この辺でやめておこう。

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