ベトナム戦争時、徴兵された医師が戦場の病院で働く代わりに米国立衛生研究所で研究することが許された結果、NIHで研究経験を積んだ医師が大量に生まれた。これらの医師が後に臨床現場に戻って行き、その後の米国におけるバイオ研究隆盛の下地となった…。
政府の支援する5年間の期限付きプロジェクト「統合医療研究・人材育成拠点の創成」の最終年度シンポジウムをのぞいて、スペイン人医学者の発言に驚いた。ハーバード大学メディカルスクールやニューヨーク医科大学、マウント・サイナイ医科大学など米国の名だたる医科大学・大学院で活躍した人物だ。東京女子医大がプロジェクト遂行の拠点として創設した「国際統合医科学インスティテュート」の研究マネージメントチーフアカデミックオフィサーの役割を担った。
この発言に興味を引かれたのには理由がある。現在インタビュー記事を連載中の中村祐輔・東京大学医科学研究所教授の話から、日本の医療が抱える問題の一つに、ライフサイエンスの研究に比べ、臨床研究が手薄になっている現実があると知ったからだ。だいぶ前にインタビュー記事を掲載した渡邉俊樹・東京大学大学院新領域創成科学研究科メディカルゲノム専攻長からも同じような話を聞いた。
研究結果が比較的論文にまとめやすいライフサイエンスと、治療につなげるまでには動物実験から臨床試験と長い時間を要する臨床医学では恐ろしく大きな違いがあるということだ。ライフサイエンスの研究成果が発表されると「この成果は○○の治療法開発にもつながると期待されている」といったコメントがしばしばつく。そうした可能性、期待に言及した記事も多い。
しかし、そんなコメントを真に受ける臨床医などいない、と渡邉俊樹氏は言っている。ライフサイエンスの研究成果は次々に出てくるとしても、臨床につなげるまでには大変な道のりを要す。ところが実際の臨床につなげる「橋渡し研究」をやる研究者も、推進する仕組みも日本は実に手薄になってしまっているということのようだ。
ベトナム戦争といえば、1960年代から70年代半ばである。米軍による北爆が開始されたのは編集者が大学1年の時だ。ベトナムへ行く代わりにNIHでの研究生活を選ぶ医師たちが増えるのはその後からだろうが、高校3年の時、担任の教師が言った言葉をどういうわけか覚えている。「医者というのは世襲制の職業になるかもしれないな」。クラスで医学部に進んだ同級生は何人もいたのだが、なぜそんなことを担任の先生が言ったのだろう。当時、高校生たちの間で医師という職業は特に人気が高いということもなかった、ということではないだろうか。
いま、高校で成績がよい生徒の多くが医学部を目指すという。昔から、東京大学に大量の生徒が入学することで有名な関西の私立高校が、最近は「東大に何人合格した」ことを自慢するより「医学部に何人合格した」ことを強調するようになった。最近も有名国立大学の総長経験者に聞いて笑ったばかりである。
中村祐輔氏は、ライフサイエンスからメディカルサイエンス重視の必要を指摘し、さらに医療を産業ととらえる社会変革も提言している。医学の世界に進んだ成績優秀な若者たちが、日本の医療の場でどのような活躍ぶりを示すか。責任は大きそうだ。