インタビュー

第1回「専門を超えた総合科目の楽しさ」(坂東昌子 氏 / 愛知大学 名誉教授)

2008.08.18

「21世紀の科学のあり方」

坂東昌子 氏
坂東昌子 氏

専門の素粒子論から交通流理論や経済物理学さらには情報、環境など幅広い分野に研究対象を広げるかたわら、女性研究者の研究環境改善に率先して取り組み、最近では日本物理学会キャリア支援センター長として若い物理学博士が活躍の場を広げるための後押し役も担う―。社会とのつながり、社会への貢献をつねに考えながら研究、教育活動を続けて来た坂東昌子・愛知大学名誉教授に、これまでの活動を振り返り、さらにこれから期待される科学のありかたと科学者像について語ってもらった。

―文系大学に来たきっかけ。

私が愛知大学に来て、約20年になる。専門は素粒子論で、それまで京都大学の助手を23年間務めてきた。助手から次のポストに「昇格」する適齢期は、物理に関しても分野によっても違うが、平均すると男性では自然科学系では5年というのが物理学会のデータから出ている(図参照)。これに比べて、女性の方はデータ数も少ないこともあるが、きれいなカーブを描かないばかりか、横にずっと伸びている。私の場合の助手在職期間23年は、女性ではよくあるパターンで、定年まで助手だった方々も当時よく耳にした。私も応募した回数は50やそこらははるかに超えていたような気がする。

もちろん、女性だから、なかなかポストが見つからなかった、というのは私の場合であって、どうみても男性を凌駕(りょうが)してダントツの業績でもあれば、すいすいとポストが見つかったかもしれない。しかし、オーバードクター問題やポスドク問題で苦労している基礎物理の分野は、かつてはわが国の将来を担う人材として重視されたが、最近では「役に立たない」学問なので、工学技術系は引く手あまたのときでさえ厳しい就職状況である。こうなると、どうしても女性のほうがより不利になるのが、統計的なデータで出ていることも確かである。適齢期を過ぎてもいわば「オーバー助手」で、私が、ポストの異動ができたのは、第2次ベビーブームで18歳人口が増え、大学の臨時定員増で教員数が増加した時期、女性にもそのおこぼれが回ってきたという時期であった。それも私の身分を不遇と思ってくださったある著名な研究者がご紹介くださったものであった。

愛知大学が女性でも受け入れてくださったことは、ある意味で、自由な学風を持ち、進歩的な大学であったことも幸いしたのかもしれない。今でも、よく女性を採ってくださったことと感謝している。愛知大学は、法学部・経営学部・現代中国学部(名古屋キャンパス)、経済学部・文学部・国際コミュニケーション学部(豊橋キャンパス)に、短大がある。典型的な文系大学である。1994年までは教養部があったが、それが廃止されてできたのが、現代中国学部と国際コミュニケーション学部である。20年間学生たちと付き合って来て、新しいことをたくさん学んだ。そして、専門学部では得られない経験ができた。それは、学問の豊かさと広がりの必要性を、身にしみて感じる機会でもあった。

―文系の学生に科学を教える。

一般教育科目を担当するようになって、一番真剣に考えたのは、文系の学生に自然科学の講義をする場合、現代社会が抱えている問題と切り離してはいけないという想いであった。現代の社会においては、自然科学のさまざまな成果が社会の隅々まで浸透している。そしてそれはまた、私たちの生活や将来に、良くも悪くも関係している。20世紀、著しく発展した科学技術は大きく私たちの生活を変えた。と同時に、科学と社会の関係を深く反省させられる3つの大きな問題に遭遇した。それが原爆開発と優生思想に基づく(といわれているが)人間の生殖革命である。そして第3が、環境問題だ。

確かに、私はこれらを専門とするものではない。しかし、いったい誰がこういう問題を考えるのだろう。科学と社会を考える学会がないではない。科学(Science)・技術(Technology)・社会(Society)を結ぶSTS学会とかSTSネットワークなど、こうした活動も始まっているが、ごく普通の研究者が自らの問題として取り組むには、教育の場を通じてまずは自らを鍛えることも必要である。少なくとも、どの科学者も上記の3つを避けては通れない。そういう気持ちから、私たち科学者が、これらについて専門を超えて考えなければならないのではないかという想いがあった。

そして周りの仲間と、こうした問題について考えてみようと立ち上げたのが、愛知大学内共同研究「エネルギー・バイオテクノロジー問題の総合的考察」(分担者:本山敦、功刀由紀子、坂東昌子、研究協力者:中西健一)であった。現代問題にかかわる2つの問題、環境・エネルギー問題と生殖革命に伴う日本の生命倫理の問題とを、広く自然科学の知識を踏まえて検討しようという目論見であった。これが、専門からより広い分野に自分の興味を広げてくれた機会であったのだ。

しかし、広がった領域で、単に趣味として、あるいは教養として、より広い領域の冒険をしようとするだけにとどまらず、そこで何か新しいこと、どうも腑(ふ)に落ちないことを自分の目で見直してみようと試み、さらにそこの分野の専門家と対等に議論できるようになる、つまり学会に進出して論文を書き、レフリーとやりあって、ジャーナルの論文掲載にまでもっていくということは、さらにいろいろな苦労と経験、それに周りの仲間が必要である。それについては、後で述べたい。

―教養部と総合科目。

私が愛知大学に赴任したときは、教養部に所属した。前任大学では理学部に所属していたので、教養部というのは専門の仲間が少なく、議論もなかなかできないところか、と思っていたが、全然違っていた。面白いキャラクターの人が集まっていたせいかもしれない。私立大学の教養部には、まだドクターをとっていない教員もおられたが、みんなで励ましあって「ドクターを取れ取れ」とすすめる。そしてドクター取得した先生がいると、みんなでお祝いの会をやった。みんなで伸びていこうとするいい雰囲気があり、すぐなじめた。

そして議論好きが多かった。どんなことでもすぐ議論が始まり、専門を超えて新しい知見を得る機会が増えた。教養部とはこういうところか、なんと刺激的で言いたいことを言い合って、議論すれば時間を忘れる人が多いことか! いい所に来たのだな、というのが実感であった。

教養教育を担当するのだから、教育の範囲も広く、私の場合も自然科学一般、何でも受け持った。さらによかったのは、情報という(当時は)新しい授業をどう立ち上げるかで、みんなが協力して検討し、教育の中身を構築する必要があったことである。だから最初に学内助成金で行ったのは「情報教育の普及過程」(浅野俊夫・有沢健二・長谷部勝也・坂東昌子・中野美知子等、「情報処理技術の普及過程の研究」参照)という研究班であった。この代表を務めて、しかも、情報処理センターという新しい入れ物をどう作るか、組織をいかに運営するか、など次々新しい課題に取り組んだ。このときは、この研究班がうまく機能するように教養部の多くの仲間が応援を惜しまなかったのも忘れられない。みんなが協力できる課題だったのでよけい楽しかったのだと思う。

ここで、私は新しい授業を始めたのだが、いわば職員室がある高校の先生たちの気持ちで、どう教えるか、この問題はどうなっているのか、お互いに情報交換しながら、次々と新しいものを作っていった。中でも、最も勉強になったのが、「総合科目」である。1つのテーマをいろいろな専門の異なる角度から取り上げて論じるのだが、私は積極的に総合科目のコーディネーターに立候補した。

コーディネーターとは、授業構成を考え、講師をお願いし、総合科目を管理する役であるが、いわばボランティアで責任コマ数に入れてもらえない。なぜなら講師は別にいるわけで、授業1つについて1人の講師というのが原則だと言われたのだ。もちろん他大学の状況を説明し、1コマ分とカウントするよう何度も申し入れたが、受け入れられなかった。

しかし、その代わり、講師を外部から招聘(へい)することができた。安い謝金でお願いするのは気が引けたが、厚かましくお願いして(たまには有名な人に断られたこともあったが)、講義に来ていただくことができる。だから知見を広げるには大変楽しい仕事で、私は好きであった。「情報と社会」「21世紀のエネルギー問題」「環境と命」「成果を考える」などなど、どれだけ勉強させてもらったか知れない。そしてそこから生まれた本が、「性差の科学」(ドメス出版)、「生命のフィロソフィ」(世界思想社)などである。

自然科学系男性大学教員の年齢分布
図. 自然科学系男性大学教員の年齢分布
自然科学系男性大学教員の年齢分布
図. 自然科学系男性大学教員の年齢分布

(続く)

  • 注1)トリスタン:高エネルギー物理学研究所(当時)が、1986年に完成させた電子・陽電子衝突型加速器。
  • 注2)日本原子力研究所:2005年に核燃料サイクル開発機構と合併し、現在は日本原子力研究開発機構。
坂東昌子 氏
(ながみや しょうじ)
坂東昌子 氏
(ながみや しょうじ)

坂東昌子(ながみや しょうじ)氏のプロフィール
1960年京都大学理学部物理学科卒、65年京都大学理学研究科博士課程修了、京都大学理学研究科助手、87年愛知大学教養部教授、91年同教養部長、2001年同情報処理センター所長、08年愛知大学名誉教授。専門は、素粒子論、非線形物理(交通流理論・経済物理学)。研究と子育てを両立させるため、博士課程の時に自宅を開放し、女子大学院生仲間らと共同保育をはじめ、1年後、京都大学に保育所設立を実現させた。研究者、父母、保育者が勉強しながらよりよい保育所を作り上げる実践活動で、京都大学保育所は全国の保育理論のリーダー的存在になる。その後も「女性研究者のリーダーシップ研究会」や「女性研究者の会:京都」の代表を務めるなど、女性研究者の積極的な社会貢献を目指す活動を続けている。02年日本物理学会理事男女共同参画推進委員会委員長(初代)、03年「男女共同参画学協会連絡会」(自然科学系の32学協会から成る)委員長、06年日本物理学会長などを務め、会長の任期終了後も引き続き日本物理学会キャリア支援センター長に。「4次元を越える物理と素粒子」(坂東昌子・中野博明 共立出版)、「理系の女の生き方ガイド」(坂東昌子・宇野賀津子 講談社ブルーバックス)、「女の一生シリーズ-現代『科学は女性の未来を開く』」(執筆分担、岩波書店)、「大学再生の条件『多人数講義でのコミュニケーションの試み』」(大月書店)、「性差の科学」(ドメス出版)など著書多数。

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