「21世紀の科学のあり方」
専門の素粒子論から交通流理論や経済物理学さらには情報、環境など幅広い分野に研究対象を広げるかたわら、女性研究者の研究環境改善に率先して取り組み、最近では日本物理学会キャリア支援センター長として若い物理学博士が活躍の場を広げるための後押し役も担う―。社会とのつながり、社会への貢献をつねに考えながら研究、教育活動を続けて来た坂東昌子・愛知大学名誉教授に、これまでの活動を振り返り、さらにこれから期待される科学のありかたと科学者像について語ってもらった。
さて、私が文系の学生を対象に授業と総合ゼミを受け持ち、環境問題、医療問題など、現代社会と自然科学のクロスする具体的な問題を通じて、科学の心を身に着け、基礎力を養うよう工夫してきた20年間も、あっという間にすぎて、この3月定年になった。
このとき、愛知大学オープンカレッジでの特別講座をやってほしいといわれた。これは、世代を超え、性別を超え、多彩な“学び”の実践の場、生涯学習の場を提供するという目的で、愛知大学が名古屋市内の車道キャンパスで開催している一連の講座である。主に、外国語、特に中国語・ハングル・英語など、パソコン講座、社労士や簿記などの資格講座などのほかに、趣味・教養講座があり、コミュニケーションスキルやロジカルシンキングもある。社会に開かれた大学作りを目指し、広く一般のみなさんを対象とした生涯学習を多彩な講座構成で運営しているものである。
環境問題は今回初めて行うということだった。講座は、4月から7月まで8回(金曜日夜)である。タイトルは「環境問題-うそとほんとを見分けよう」とした。先の武田邦彦著「環境問題はなぜウソがまかり通るのか」も気になっていたので、この問題と連動させて、講座のテーマを決めたのである。実際に、この講座を受講するような方々は意識も高いので、こういう本は既に読んでいる可能性が高い。だからこそ、ここで、環境問題のさまざまな側面をもう一度点検してみようではないか、という思いがあった。
「地球温暖化・オゾンホール・排気ガス問題・廃棄物問題・資源エネルギー問題など、環境問題に関してはたくさんの本が出ていますが、その中にはうそも本当のこともあります。一緒に考えて見ましょう」と呼びかけ、内容の説明としては、「日常生活の中で環境改善のために努力しているあなたに、ちょっと立ち止まって考えてもらいたいのです。環境問題も、科学の心で考えることが必要です。地球温暖化問題は『空がなぜ青いか』という疑問から始まったのをご存知ですか? 講座では、実験も取り入れながら、時には宇宙や地球の歴史という視点から解説したいと思います。みんなの知恵が、未来を築く一番大切な力なのです」とまとめた。こういう情勢の中で、この講座に出席するような方々は意識も高いので、皆さん、武田先生の本を読んでおられるようであった。
さて、環境問題のような実用的ではない講座にお金を出してまでどれだけの方々が来てくださるかな、と思ったが、ふたを開けると17人と、講座を開くための最低人数はクリアしたということだった。知名度も高くない私がやる講義に来てくださった受講生の中には、愛知大学卒業生の懐かしい顔もあり、加えて企業の環境担当責任者や、経済学担当の大学教授など、多彩なのにうれしくなった。
講座では質問も活発で、しかも、環境問題を正しく認識しようと結構勉強している方々も多く、大変楽しいものであった。宣伝にだまされない市民、自ら考える市民の集まりといっていいだろう。経済学者の先生は、「自然科学の立場から論じる講座を勉強しようと思ってきた」とおっしゃった。実は、環境問題を大学で講義している先生であった。また、企業で環境を担当しておられる方は、現場の話や海外での事情など、詳しくご存知で、逆にいろいろ教えてもらうことになった。
―宇宙の歴史から考える。
講座での講義の最初は、環境を論ずるのに、宇宙の始まり、生命の生まれた地球を考えることから始めた。現代社会の問題を論じる際、社会科学では、歴史をたどることはあってもせいぜい人類が誕生したころまで。私は自然の歴史までさかのぼることにしている。そうすると見えてくるものがあるからだ。
宇宙誕生から始めると、地球上にある物質について、見えてくるものがある。地球はどれだけ特殊な惑星か、水と空気に恵まれた地球、そこに生命が誕生した理由がおのずとわかる。そして地球表面に最も多い物質である二酸化炭素と水という最もありふれた材料を栄養にして、そしてさんさんとふりそそぐ太陽エネルギーを利用して生まれた生命がこの地球に宿ったのだというところから始めるのである。
まさに、二酸化炭素と水と太陽エネルギーこそ生命の維持する重要な物質だった。この光合成をする生物は、二酸化炭素を取り込み、酸素を吐き出した。この酸素は、化学反応を起こしやすい、いわば化学的に活性な元素であり、生物にとっては猛毒である。つまり、酸素は、最初の猛毒の廃棄物だった。
迂遠(うえん)な話のようだが、地球の表面にあるありふれた元素、炭素(C)と水素(H)と酸素(O)、という3大元素が循環して、生命を含む地球の循環システムが出来上がったことを、しっかり頭に入れてもらうことこそ、環境問題を論じる原点なのだ、という立場である(第1回)。
これは、授業の中で私が学んだことだが、あるとき、「エタノールという燃料や水素燃料が環境にやさしいといっていますがどうしてですか」と学生から質問を受けた。地球表面にある最もありふれた元素、CとHが循環して、生命を育み、地下に埋もれて化石燃料になっているという模式さえ頭に入れておけば、難しい化学の分子構造を抜きにして、ぐっと理解しやすくなる。学生はすぐ納得してくれた。地球上での物質循環が構図として描けるからだ。
―温暖化の問題は「空がなぜ青いのか」から始まった。
さらに、第2回目では、地球温暖化の問題は「空がなぜ青いか」という疑問から始まったことを説明し、科学的な目で地球環境を見た歴史を説明する。このとき、科学者、チンダルの話から始めるのだが、彼が行った実験、すなわち太陽の光エネルギーのうち、地球に入ってくる段階で、吸収されたり散乱したり、跳ね返されたりすることを、簡単な装置で、ポインターの光線を使って実験してみせる。
チンダルは、この光の物理的性質を使って、いろいろな工夫をして後にそれが内視鏡までに発展するのだという話は、物理の原理を知っている強みをあまりなく説明する。面白いことに、同時代に生きたパスツールが「生命の起源」について論争中で、細菌の発見まで行き着くのだが、このとき、水中に細菌があるのかないのかを判定する道具としても、同じ原理が役立っていたことを説明すると、皆さん感激する。
こうしてチンダルからアウレニウスたちによって地球の温度がどうして決まっているのか、空気がなかったら本来摂氏マイナス20度にもなる寒い地球が、摂氏20度に保たれているのか、そのメカニズムが解明されたことを理解してもらう。そうした科学的考査の上に今の問題があることをしっかり理解しておかないと、基礎科学がいかに大切か分からなくなるのである。
環境問題では、よく「科学が発展したために、環境が悪くなった」という言い方をする。そうだろうか? 科学が発展してよく見えるようになったから、先のことが分かるようになったのである。原因がわからない時代から原因を突き止める時代に、そして将来を予測する時代へと、科学の力によってより遠くより広く地球という環境を見つめる時代に進んでいることを知ってもらうことが大切だ。将来予測について一言言うと、武田邦彦先生の最近の本では「予測などできるものではない。おこがましい」といった話が出てくる。ここには実は私は反対である。
天気予報シミュレーションを最初に行ったリチャードソンは「いつか十分な情報と十分な計算力が整えば、予測ができるはず」という夢を持っていた。リチャードソンの夢が、100年先を予測する試みにつながったのである。ともかく科学は予測することができなければ科学ではない。もちろん今の予測が正しいというわけではない。今行っているシミュレーションの前提になっている一つ一つを検証する中でより正確な予測ができるようになるはずである。まだまだそこまでいっていないのに、まるで、これしか答えがないような言い方をするからおかしくなるだけである。
そこで、その次は、「オソンホールの原因は科学が突き詰めた」と題して、科学が突き止めた環境問題の典型例として、オゾン層破壊の問題を取り上げた。これも、最初は、アメリカ大陸とヨーロッパをつなぐ超音速(SST)ジェット機計画がオゾン層破壊の可能性があるということで検討が始まったのだが、真の原因にたどり着くまでの話は面白い。ここでは、「犯人はこれかな、あれかなでは駄目、はっきりと犯人である証拠を突き止め1人に絞り込まねば科学ではない」という真実を探す姿勢の大切さと絡めて説明するのだ。
―空気がきれいになったわけ。
武田先生の「環境問題ではなぜウソがまかり通るのか」という本の言い過ぎの例として取り上げたのが、この回の「空はなぜきれいになったか」であった。「現在の日本の大気は、実はかなりきれいな状態になっているのをご存じだろうか?」から始まったこの本の第5章にある「環境汚染に対して、国や企業もてをこまねいていたわけではない。空はこんなにきれいになったじゃないか、日本の環境は悪くなってはいないじゃないか」を取り上げた。それが、「日本の空気はなぜきれいになったか」(第4回)の講義であった。
「国や企業も手をこまねいていたわけではない」では、歴史から学ぶべきことが抜け落ちてしまう。市民が、科学者たちが、どんなに努力して大気汚染の問題に取り組んできたか、そしてそれに対して企業がどうこたえたか、に触れてほしいのである。
先生の本では「環境トラウマになった日本人」の節で、「現在の日本の大気はかなり綺麗(きれい)な状態に戻っていることをご存知だろうか」という文章から始まる。そして、「日本人の頭には水俣病や四日市喘息(ぜんそく)、東京の光化学スモッグなどといった1970年代の暗い日本のイメージがこびりつき、それがトラウマとなって現在に至っている」と続く。
ここでは、先生は、1970年代の市民の反公害運動とそれを献身的に支えた科学者たちについて一言も触れておられないのだ。また、当時、日本は、美濃部都知事をはじめ、各地での革新市町村が、この市民運動を支えた歴史をなぜ語っておられないのだろう。私は市民運動がすべて正しいなどと言っているのではない。大気汚染防止法(いわゆる日本版マスキー法)を勝ち取るなかで、日本の公害に対する取り組みが促されたことを、もしかして見逃されているのかもしれない。「国や企業が手をこまねいていたわけではない」という言葉でなんとなく、「自然に」努力もしないで、日本の空気がきれいになったと思っておられるとしたら、やはりそれは間違っていると思う。
企業の努力はどこから始まったのか、国が、企業が、本気で大気汚染を防止しようとした市民や科学者にどういう仕打ちをしたのか、については「裁かれる自動車」という中公新書に詳しいが(残念ながら絶版)、環境庁の諮問委員会「八田委員会」と7大革新都市が連携して組織した「柴田委員会」とのすさまじい歴史の足跡は、感激的ですらある。それこそ、先生の最も愛する科学の心を持つ科学者たちをここに発見する。
そこで、この講義では、日本での大気汚染防止法が、市民の世論の盛り上がりを背景に、自治体の変革を求める熱意と結びつき、成立した経緯を追ってみたのである。この中で最も印象的なのは、科学的な根拠を明らかにするために身を賭(と)して事実を解明した科学者たちの姿である。
「こんな規制をかければ日本の産業がつぶれる」という大自動車会社の宣伝とそれに呼応した公害対策審議会自動車専門委員会(八田委員会)の結論を跳ね返して、「現在この規制をクリアする技術レベルの水準にあり、しかも厳しい規制下においてのみ技術向上が達成できる」という結論を、科学的根拠を明示して出した柴田委員会の科学者たちの真摯(しんし)な努力があったのである。本田や東洋工業がこの水準をクリアしたことでエンジンが劇的に改良され世界のトップメーカーとして繁栄に導いた。
この経験は、「環境か成長か」という選択ではなく環境をクリアすることが経済成長をもたらしたという科学の見事な勝利だった。当たり前である、汚い空気は不完全燃焼の結果であり、完全燃焼させることは燃費を上げることにつながるのだから当然であった。こうした歴史を踏まえなければ、「自然に」空気がきれいになったと錯覚してしまう。それでは市民は何もしなくていいことになるではないか。このときの企業の圧力がどんなものであったかは、西村肇氏のホームページに感激的な説明がある。「東大に残るのなら公害研究をやめろ」とまで圧力をかけられた話はぜひ西村肇氏のサイトでみてほしい。
ついでながら「社会的問題に関与する科学者の利己的無関心が政治的に利用される」話も「職業研究者に科学研究ができるか?」という論考には、現在の科学技術の抱えている問題が浮き彫りになって胸に響く。世論や権威に迎合する風潮と関連して一読に値する。
この講義ではとてもうれしいことがあった。武田先生が、この日の講義をお知らせしたら、来てくださった。本当は私が定年になったので、そのお祝い(?)をしようということだったらしいが、「それでは講義を聞いてからディナーにしましょう」とおっしゃり、一緒に講義を聞いてくださったのだ。受講生たちはこの突然の訪問者にびっくり顔であった。結構先生の本を読んでいる人が多く、あとは活発な議論になった。こんな素晴らしいオープンカレッジもまあないだろうなと思う。
―学生の発表と武田講義。
続いて、「廃棄物はリサイクルだけでは済まされない!」(第5回)、さらに功刀由紀子先生(愛知大学 教授)に「バイオ燃料なんていいの?」という題でお話いただいた。そして、最後の2回は大変ユニークなものとなった。第7回は、私のゼミ学生(といっても一般教育でもゼミで2・3年生がほとんど)の発表と、「私たちは何ができるか」の討論形式とした。
発表は、(1)教科書リユースの提言(2)地球温暖化への取り組み(3)中国の環境問題-のテーマだ。(1)では文科省や教科書会社、教育委員会へのアンケート結果を披露、学生らしい批判力と行動力で活動してきた蓄積で活発な議論となった。社会経験豊かな受講生が鋭い質問をして盛り上がった。
さて、第8回は、すっかり売れっ子になられた武田先生が登場する。「もしかすると最終回は時間がとれるかも知れません。場合によっては私も少し時間をいただいて、講義自体をやることもできると思います」とのこと。思わぬイベントが実現(もちろんボランティアで)、「明日は楽しみで、かつ緊張しています。良い講義をするつもりでのぞみます」といわれ、受講生も大満足だった。
こうして、最終回の特別講義は、武田邦彦「科学の目で環境をみる」に加えて、坂東が「生活者からみた環境問題」をコメントするという形式になった。こんな講座ができるとは思いもよらなかった。このときの講義も、結構興味深かったが、今度は温暖化問題に迫られている先生と、地球温暖化の研究会を、ポスドク問題で知り合った「科学教育若手ネットワーク」に集った若手をも含めてできるかもしれないので、楽しみにしている。
(続く)
坂東昌子(ばんどう まさこ)氏のプロフィール
1960年京都大学理学部物理学科卒、65年京都大学理学研究科博士課程修了、京都大学理学研究科助手、87年愛知大学教養部教授、91年同教養部長、2001年同情報処理センター所長、08年愛知大学名誉教授。専門は、素粒子論、非線形物理(交通流理論・経済物理学)。研究と子育てを両立させるため、博士課程の時に自宅を開放し、女子大学院生仲間らと共同保育をはじめ、1年後、京都大学に保育所設立を実現させた。研究者、父母、保育者が勉強しながらよりよい保育所を作り上げる実践活動で、京都大学保育所は全国の保育理論のリーダー的存在になる。その後も「女性研究者のリーダーシップ研究会」や「女性研究者の会:京都」の代表を務めるなど、女性研究者の積極的な社会貢献を目指す活動を続けている。02年日本物理学会理事男女共同参画推進委員会委員長(初代)、03年「男女共同参画学協会連絡会」(自然科学系の32学協会から成る)委員長、06年日本物理学会長などを務め、会長の任期終了後も引き続き日本物理学会キャリア支援センター長に。「4次元を越える物理と素粒子」(坂東昌子・中野博明 共立出版)、「理系の女の生き方ガイド」(坂東昌子・宇野賀津子 講談社ブルーバックス)、「女の一生シリーズ-現代『科学は女性の未来を開く』」(執筆分担、岩波書店)、「大学再生の条件『多人数講義でのコミュニケーションの試み』」(大月書店)、「性差の科学」(ドメス出版)など著書多数。