「科学技術エンタープライズで雇用拡大を」
行政刷新会議の事業仕分けで科学技術予算にも国民の大きな関心が向いている。研究者たちの反撃は素早く、厳しい評価も一部見直されそうな雲行きだ。しかし、こうした動きを冷静に見ている研究者もいる。16年前、政権交代で建設途中に計画中止となった米国の超巨大加速器「SSC」の例などを引き、科学技術と国家の関係のとらえ方が日本はまだ未成熟ではないか、という見方だ。京都大学基礎物理学研究所長、同理学部長などを務めた佐藤文隆・甲南大学教授に今回の動きと科学技術政策のありようなどについて聞いた。佐藤氏の話のキーワードは、「科学技術エンタープライズ」と「雇用」のようにみえる。
―再び科学技術エンタープライズの規模拡大がなぜ必要か伺います。
日本の実績と資産、国民性や地政学上からいって、日本が生活水準を維持していくにはこの道が適しているのではないかということです。人口当たりの研究者数は日本が断然トップです。日本に向いているんですよ。もちろん科学者がコアのプレーヤーですが、科学者とはその専門性で現実の課題に取り組む能力のある人のことで、職業の名称ではないし、研究がすべてでもありません。一体的なエンタープライズと言っているのは分かちがたくつながってるということです。
自分の経験を言うと、1960年代に素粒子や相対論の物理学で宇宙を解明する研究が勃(ぼっ)興し、それから十数年、日本でもこういう宇宙論は世間でも大きな関心を集め、テレビや科学誌が何度も取り上げたものです。こうしたムードの中で多くの子供たちがサイエンスに興味を向け、意欲ある若者が自分もそこで活躍したいとあこがれ、実際に科学を勉強し始めると視野が広がってほかにも面白い課題がいっぱいあることに気付いてバラけていくんですね。1970年代に私のポピュラーサイエンス本やテレビを見て科学者になったという関係ない分野の人によく出会いますが、ブラックホールもビッグバンもある時期これでお国のために貢献したんだと思っています。引っかかりは何でもいいが、バラけさすような勉強法が必要なんですね。
マスコミで話題になるほどの成果が出た研究テーマはある意味でピークに達したことであって、10年以上先に参入する子供たちが「あこがれる」テーマとしては時代遅れなんですね。周囲の大人たちはこの時間差を子供に気付かせる必要がありますよ。そんな計算もできない「夢見る若者」ばかりが研究者になったら、食えなくなるのは当たり前です。科学者とは自分のやっていることを俯瞰(ふかん)的に位置付け、時代に合わせて変容していける基礎能力をたえず鍛錬している人のことです。
科学技術エンタープライズというのはこういう科学者が指導している業界ということです。巨大組織には必ず組織病があるからそれはそれで気をつけなければなりませんが、将来の国民の雇用を生み出す業界として科学技術エンタープライズの規模拡大が日本にとっての道でないかということです。精神的連帯の象徴として米科学振興協会(AAAS)のような会費制のクラブ組織があってもいいですが、ここで言ってるのはもっと広い意味のもので、固定した組織の必要性を言っているのではありません。
―科学技術エンタープライズという言い方はさまざまな分野がバラバラに社会に向きあうよりは一体として向き合うという意味もあるのでしょうか。
そういうことです。現実の課題は伝統的分野の総動員を要求しています。ただ、専門的手法の独自性があるから分野が解消するものでもないですし、現実的課題に取り組む中で専門分野の深化にもつながる例がいっぱいあります。こういうことは広く認識されていることでいまさら言うこともないですが、各分野の連携というのは研究の場面だけではないという昔話をします。
私が大学院に入ったのは1960年ですが、この前後、湯川ブームで局所的に生じていた博士浪人が一斉に各地に就職して行きました。もちろん大学の理工系拡大の効果ですが、分野的にも需要があったのは「量子力学や原子物理の講義ができる」であり、少し遅れて電子計算機を操る能力です。いまは化学や電子工学の人たちも自前で量子力学を講義しますが、当時は理論物理の特技だったわけです。素粒子などの理論物理屋は国際化や基礎科目の講義を含む理工のインフラ整備に大いに役立ったのです。大学や研究機関がどういう専門家をそろえるかにおいては「A分野を強化するからB分野の人を置く」といった複眼的戦略が必要であり、そういう連携に敏感に反応する専門家をもっと多くしていく必要があるでしょうね。
さっき言った勃興期の宇宙論への世間の関心が、研究の方はますます精緻(せいち)に専門分化しても、下火になっていくのは当然だと思います。どうもこういう人気は科学のプレゼンスの度合いに応じて国ごとの時差もあるんですよ。台湾や韓国を見ると日本よりだいぶ遅れて宇宙論が人気になって、米国あたりから帰国した研究者が研究のセンターを作ったりしています。日本でもそうでしたが、基礎分野は学界の国際化の先導役となる面もあります。教育的にも宇宙論のような派手なものに子供があこがれたりするのは一般的なことです。大事なのは「バラける」基礎の勉強のさせ方だと思います。もっとも私自身は「宇宙物理への道」(岩波ジュニア新書)に書いたように原子力にあこがれて大学院に入ったのですが、勉強しているうちにブラックホールの方にバラけてしまいました。いまでも環境問題への使命感に燃えて勉強して「整数論」にバラけるといった子がいるかも知れません。教育的に社会と向き合う面でも一体でなければ駄目なんですよ。「囲い込み」なんて教育者としてあるまじき行為です。
―「雇用を」という場合は「研究者の雇用を」ということですか。
そうではありません。前に医療エンタープライズと医者の類推を言いましたが、科学技術エンタープライズと研究者の関係もそんなイメージです。また同じものがいろいろなくくられ方がされるのに、なぜあえて科学技術エンタープライズかというと、科学技術が一体となった雇用の場であることにこの世界で生きている人間はもっとプライドを持つべきだということもあります。特に学校教育の先生たちとの一体感をもっと持った方がいいという思いもあります。
日本は派遣労働者が首を切られて、といった暗い話題が若者の世界では多いのですが、海外から見たらこれでも輝いている国なんですね。またSSC(超伝導超コライダー)建設中止事件後に米国で吹き荒れた科学政策の激変は、英国はすでにサッチャーの時代に洗礼を受けていましたが、日本に及び、少し遅れてドイツやフランスにも及びました。今年も「ブタペスト宣言10周年」というのが言われていましたが、多くの研究者は理解してないので世界の学界が集まって「Science for ScienceからScience for Societyへ」という宣言をし、この激変を肯定的に受容しているんですね。そして日本のように重点分野にはどんどん予算が増えました。ノーベル賞受賞者をこれだけ出して、科学技術は日本の政治的外交的イメージを高めることに大いに貢献しています。アジアの国々などから見たらうらやましい限りですよ。なのに被害者のような不平不満が立ち込めているのです。
この日本国民の税金を使って営々として築き上げたブランドつきの科学技術を盛り立てて雇用も生み出すのだと国民が元気づくような政策がなぜ出せないんだと思います。これは研究者だけの課題ではありませんが、気持ちを一つに盛り上げる義務が国民にあるんだと思います。科学技術というブランドに日本国民がよってたかって食べているという姿が描けないものでしょうかね。
私にも急に名案があるわけではありませんが、一つのキーワードは「科学技術の構造化」ということです。各々にプライドの持てるいろいろな職種があってよいということです。論文書きをやってる研究者、それを支える技術系事務系を含めた研究支援者、さらに実験、開発、製造にかかわる人たち…、それに教師も重要な構成員でなければなりません。1960年代の「理工系倍増」の時代、理工系に多くの若者が集まりましたが、その人材を大学、研究機関や企業が根こそぎ採りすぎました。1950年代までは京大理学部卒業後の職業として学校教員は自然な道の一つだったように思います。私自身、教員免許を取ってますから。理工ブーム以後はそこまで人材が回らなくなりました。すると人材育成も一代限りで終わってしまいます。これじゃ持続可能ではありません。
私は教師は聖職だと思います。いまの教育現場は修羅場だと聞きますが、そのために、教えるという教師本来の仕事より、管理業務や不正常な現実に対応する管理手法に力が注がれ、それの上手な人が評価される、などとなったら再生不能になってしまいます。また、社会の高学歴化が進むと、教師たちはますます生徒たちから「あの先生はうちのお父さんよりいい大学出ていない」などと軽く見られるようなことも増えるでしょう。
こういう好ましくない状況を変えるためにも、研究者たちがもっと教育の場に散るべきです。途上国の外人教師として外にも出て行くべきでしょう。同時に学校教育の先生たちも、科学技術の資源を活用した稀有(けう)な体験をすることを提案したい。南極観測船「しらせ」に乗船して南極観測に従事したり、あるいは原子力発電所やハワイのすばる望遠鏡の下で働くといった経験をすることです。子供が先生を羨望(せんぼう)の目で見るような経験をしてもらうことです。昔、軍隊を経験した人は、どこか迫力があったのを覚えています。先生はどこか違った世界を知っているんだ、という子供にも父兄にも感じさせる仕組みと内実を作れないだろうかということです。こんなことが始まれば、科学技術エンタープライズの中で人の行き来を盛んにすることが、社会に向き合う新しいチャネルになるかもしれません。
―最後に科学、技術の将来ということについてお聞かせください。
最初に言いたいのは、科学や技術に取り組む精神を次世代に受け継ぐことです。私の経験した過去半世紀の研究も進展があまりにも急激なものだったので何でも自分とともに終わりという錯覚にとらわれますが、歴史をみれば新しい世代が次々と新しい思わぬ展開を拓くんですね。だから受け継ぐべきは学説ではなく追求する精神なんだと思います。
二番目に、ありきたりですが環境・エネルギー問題があります。これは日本で議論になる高度な科学技術の課題というより、アフリカなどの生活・医療が改善し従来型の人口増や高消費社会をいっぺんは通り過ぎるだろうという事態への対処法です。最先端だけでなく、日本の科学技術の活躍の場はもっとあるのだと思います。いまは過度に内向き志向になっているように見えます。
三番目に「エコ思想」と科学技術は、今は共存していますが、深く考えると対立する思想であるともいえます。これを考える際の基準をどこに置くかとなりますが、私は人権や自由平等とかの理念を掲げる近代の民主主義を追求するかどうかにかかわってくると予感しています。しかし、言いたいことは今はその段階でないということです。21世紀中葉までの現実的課題は二番目として述べたグローバルな危機ですよ。そこまでは科学技術の役目は大きいということです。
21世紀後半になって、世界中みなぜいたくした後では科学技術を敵視する思想も出て来る可能性はあるでしょうね。だが今の課題はそこまでに越えなければならない危機の山をどう破たんせずに乗り越えるかだと思います。拙著「科学と幸福」で掲げた看板のように人類の幸せに想いを馳(は)せた振る舞いをすべきでしょうね。
(完)
佐藤文隆 (さとう ふみたか)氏のプロフィール
1956年山形県立長井高校卒、60年京都大学理学部卒、64年同大学院中退、理学部助手、同助教授を経て74年京都大学教授。京都大学基礎物理学研究所所長、理学部長を歴任し、2001年から現職。理学博士。基礎物理学研究所所長時代、湯川記念財団の依頼で「湯川秀樹選集」をまとめる。日本物理学会会長、日本学術会議会員、物研連委員長なども務め、現在はきっづ光科学館ふぉとん名誉館長、理化学研究所相談役、核融合エネルギーフォーラム議長、平成基礎科学財団評議員なども。「アインシュタインの反乱と量子コンピュータ」(京大学術出版会)「異色と意外の科学者列伝」「雲はなぜ落ちてこないのか」「火星の夕焼けはなぜ青い」「孤独になったアインシュタイン」「科学者の将来」「宇宙物理」「一般相対性理論」「科学と幸福」(岩波書店)、「宇宙物理への道」「湯川秀樹が考えたこと」「アインシュタインが考えたこと」「宇宙物理への道」(岩波ジュニア新書)など著書多数。