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「教員免許更新制度」を学校教育と大学・科学界を結ぶ場に(佐藤文隆 氏 / 甲南大学 教授、京都大学 名誉教授、湯川記念財団 理事長)

2009.04.01

佐藤文隆 氏 / 甲南大学 教授、京都大学 名誉教授、湯川記念財団 理事長

甲南大学 教授、京都大学 名誉教授、湯川記念財団 理事長 佐藤文隆 氏
佐藤文隆 氏

 この2月に「知的人材ネットワークあいんしゅたいん」というNPO法人が発足し私も顧問に就任しています。大学時代の同級生だった坂東昌子さんが日本物理学会会長として「キャリアセンター」に取り組まれた博士研究者のキャリア拡大を引き継ぐことを一つの柱にしています。発足したばかりですが「あいんしゅたいん」の目標などはHP(http://jein.jp/home.html)を見てもらうこととして、ここではこのNPOからのアッピール「教員免許更新講習制度を学校教員と大学教員・研究者の生きた交流の場にしよう」に絞ってそのバックグランドを述べることにします。

若々しさの欠如

 昨年の日本人ノーベル賞受賞のように、日本の科学技術の「高み」を示すニュースは数多いが、それらに接して感じることは「若々しさの欠如」である。ノーベル賞といわずとも、分野ごとの様々な賞でも最近は「溜まっている資格者の消化」のように受賞者の高年齢化が進んでいる。昔は35歳ぐらいで教授になる例も多かったのに、最近はやっとテニアの職を得る有様である。研究の大規模化、長期化、あるいは一般的な長寿命化があるのか知らないが、国際的にも20歳代のヒーロー出現などめったに無くなった。

 日本での1960年代、70年代のあの科学世界の「若々しさ」の感覚を記憶する者からすると寂しい限りであるが、最近の賞が「溜まっている資格者の消化」になっていること示しているようにこの時期に巨大な業績の山が築かれたことも事実なのである。それは当時ひとえに意欲的な若者が科学を目指した結果である。その世代の人材を育んだ学校教育の「理数強化」があったようには思えないが、理工系倍増政策のもと、サクサクと人材はながれ巨大な「団塊」を築いたのである。

 私自身、教員免許を持っているが、1960年代の「理工系倍増」の前までは京大でも理学部卒業後の職業として学校(小中高)教員は自然な道の一つだったように思う。しかしその後、事態は急変し、まず産業界に多くの人材を送り、つぎに研究者養成の大学院に多くの大学が重点をシフトすることで研究の場が拡大し、その結果、世界の研究の最前線で競う現在の科学界が実現した。しかし同時に、この「高み」を次世代に受け継ぐという長期にわたる国家としての最大の事業が等閑視されて来たことも事実である。近年、このことの危機意識が声高に叫ばれるようになってはいるが、いささか場当たり的であり、対処療法的である。学校教育の側から見て、血となり肉となっているのだろうかという疑念を持たざるを得ないのである。と言うか、あまりにも疎遠なために互いの使命感や「教養」、あるいは現今の危機感なりが共有されているのだろうかという疑念である。

巨大な学校教員の世界

 学校教員の社会的イメージやステータスは国によってばらつきがあるようであるが、近代日本では国家直轄の高い地位に置かれ、その故にまた多くの軋轢(あつれき)をも生んできた。戦前の師範学校専一の人材体制が戦後の一時期には実質的に開放された時期があったのでないかと思うが、社会構造の変動に伴う様々な「学校トラブル」が多発すると教員とはそれへの対応のプロであるというイメージに変質し、再び閉鎖的なプロ意識の集団に戻ったのではないかと推察する。「開放期」の教員の時期の生徒たちが今日評価される科学技術の業績を築いたのではないか? この仮説はいちど検証してみる値打ちがある。ともかく、双方にその要因があって、学校教育界と科学技術界あるいは広く学問の世界の疎遠さが拡大したのである。

 最近、ある会で地域での科学技術連携の話のときに「地域での中間的専門家である学校教員との連携が重要」と言ったら、「国の助成金の流れは学校教育と科学技術は別の流れで…」といった反応があった。確かに総勢百万人の教員が従事するという学校教育の世界は巨大なものである。ちなみに文理を含めた科学者・研究者の数は70万人ぐらいである。中立性を担保する行政上の仕組みが温存されていることもあって、地方でも独立王国の感がある。その巨大閉鎖社会の病弊も指摘されてはいるが、破綻(はたん)があってはならない生体改造の難しさも手伝って、即効的な妙案がないのも事実であろう。

「教員免許更新制度」は大学・学界の課題でもある

 制度も大事であるが忘れてならないのは使命感や「教養」の共有化である。互いのプロ意識を包むおおらかな使命感や「教養」を他の業界の人々と共有化する意識がなくなった時、閉じたプロ集団の病弊が顕在化するのだろうと思う。こういう観点から「教員免許更新講習制度を学校教育と大学・学界との交流の場に発展させよう」という提案をしているのである。昨今の緊急課題の対応策としてはやや迂遠(うえん)な提案のようだが、考えてみれば毎年10万人もの“大の大人を動かす”壮大な年中行事が始まろうとしているのである。「免許更新制の趣旨は、その時々で求められる教員として必要な知識技能が確実に保持されるように、必要な刷新を行うものであり、不適格教員を排除することを直接の目的とするものではない」

 この制度はけっして教員の側だけに問題を投げかけているのではない。大学・学界の側もこの新制度を使命感や「教養」の共有化の場となるように育てていく責務を背負わされたのである。そして我が国が営々として築いた科学技術の「高み」という資産も、学校教育を担う人々と協力して、未来を担う子供たちにサクサクと受け継いでいかねばならないのである。このサクサクと流れていく感覚を維持することが「若々しさ」を回復する秘訣(ひけつ)だと考える。

甲南大学 教授、京都大学 名誉教授、湯川記念財団 理事長 佐藤文隆 氏
佐藤文隆 氏
(さとう ふみたか)

佐藤文隆(さとう ふみたか) 氏のプロフィール
1956年山形県立長井高校卒、60年京都大学理学部卒、64年同大学院中退、理学部助手、同助教授を経て74年京都大学教授。基礎物理学研究所所長、理学部長を歴任し、2001年から現職。理学博士。日本物理学会会長、日本学術会議会員、物研連委員長なども務め、現在はきっづ光科学館ふぉとん名誉館長、理化学研究所相談役、核融合エネルギーフォーラム議長、平成基礎科学財団評議員なども。「アインシュタインの反乱と量子コンピュータ」(京大学術出版会)「異色と意外の科学者列伝」「雲はなぜ落ちてこないのか」「火星の夕焼けはなぜ青い」「孤独になったアインシュタイン」「科学者の将来」「宇宙物理」「一般相対性理論」(岩波書店)、「宇宙物理への道」「湯川秀樹が考えたこと」「アインシュタインが考えたこと」「宇宙物理への道」(岩波ジュニア新書)など著書多数。

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