学術フォーラム「子どもにやさしい都市の実現に向けて」(2011年9月20日、日本学術会議 主催)あいさつ、パネルディスカッションから
昨年度に全国の児童相談所に寄せられた児童虐待の通報数(速報値)が公表された。55,000件で前年度43,000件に比べると15%も増えている。件数は毎年増えており、来年度も増えるだろう。被害者はほとんどが4歳未満で特にゼロ歳児の死亡率が高く、悲惨な状況にある。
これは小児科医だけではなく、日本国民全体の問題で、その背景には経済的な問題のほかに、生活で優先するのを何にするかという親たちの考え方の変化にもかかわってくる。そもそも昔は「子供は天から授かったもの」という思いが強かった。しかし、今の母親は「産むのは一つの選択」という考えが強く、しかも、自分の人生に何らかの意味を持たせたいという思いが強い。選択というある意味では功利的な形で子どもを見ていることが多いと思う。子どもを無条件に愛するという昔の考え方が薄らいでいることに加え、昨今の日本の経済状況を見ると、子どもの虐待に対する対策はますます難しくなっている。
そういう中で法律改正により、虐待が疑われるだけで、児童相談所などに通報してよいことになった、しかし、そうはいっても他人の家で虐待が行われているらしいと通報するのは、一般人にとっては簡単なことではない。余計なことをしているのではないか、あるいは間違って自分に嫌なことが起きるのでは、などと考えてしまう人が多いだろう。やはり行政が中心になって、子どもを大事にし、何か心配なことがあれば気兼ねなく通報できるシステムをつくり上げないことにはうまくいかないのではないか。
もちろん小児科医としては、子どもの虐待があれば、診断できちんと察知できるような態勢を構築するようさまざまな活動をしているのだが、医療現場で虐待を即座に判断するというのは非常に難しい。
子どもの虐待には、母親が孤立しているという今の日本社会の状況が大きく影響している。多くの母親たちは、ちょっとしたことで孤立感を深めている面があり、この対策として広島の桑原正彦氏(日本小児科医会副会長)が数年前に始められた「#(シャープ)8000」という電話相談がある。現在厚生労働省の事業になっているのだが、「#8000」という電話番号を回せば、24時間いつでも電話で育児の悩みなどについて相談できる。こういうシステムがあることで母親が安心するという効果は大きい。これをもっと充実することが求められている。
日本の子どもたちが近年、学力や体力・運動能力の低下、肥満や糖尿病など生活習慣病の増加、コミュニケーション能力の低下、意欲や向上心の低下、不登校や引きこもりの増加、孤独感、いじめ、自殺の増加など危機的な状況にあることは、日本学術会議・子どもを元気にする環境づくり戦略・政策検討委員会の報告「わが国の子どもを元気にする環境づくりのための国家的戦略の確立に向けて」 でも指摘されている。
日本学術会議子どもの成育環境分科会は、この報告を受けて、子どもたちが元気に育つ生育空間、生育方法、生育時間などについてさらに検討し、提言をしてきた。未来をつくる子どもたちにやさしい都市を実現するため引き続き、議論していきたい。
五十嵐隆(いがらし たかし)氏のプロフィール
東京都立日比谷高校卒。1978年東京大学医学部医学科卒、82年東京大学医学部付属病院小児科助手、85年米ハーバード大学ボストン小児病院研究員、91年東京大学医学部付属病院分院小児科講師、2000年東京大学大学院医学系研究科教授。2004年から2011年まで東京大学医学部附属病院副院長兼務。専門は小児科学。医学博士。日本学術会議会員。日本小児科学会会長、日本小児保健協会理事、日本腎臓学会理事、日本保育園保健協議会理事も。