「子どもを大事にする国に」
少子高齢化はいまや日本社会を表す最も代表的な言葉になっている。一方、高齢者に対してはさまざまな形で政府の予算が投入されているのに比べると、子どもに対する公的支援は恐ろしく貧弱だという声もよく聞かれる。子どもへの関心、支援が二の次になっている理由の一つは、深刻な現状を多くの人が十分に知らないからではないか。小児科医として、子どもの健康、生育環境がないがしろにされている現状に警鐘を鳴らし続けている五十嵐隆・東京大学大学院小児科教授に、日本の子どもたちの置かれている危機的な状況について話してもらった。
―少子化社会のあるべき保健評価指標
日本は子どもが社会のマイノリティーになっています。口では子どもは大事だなどと言われていますが、私は大事にされているとは全く思っていません。子どもの数は、イタリア、スペイン、ドイツなど欧州諸国に比べても少なくなっています。女性が子どもを産んでくれないからです。新生児死亡率、つまり生まれて1年以内になくなる子どもは2005年度の数字で1,000人中、2.8人と大変少なくなっています。世界的に見ても非常に低い数字です。ところが1-4歳児を見ると日本の死亡率は決して小さいとは言えません。今、死因調査が行われているところです。
もう一つ重要なことは、出生時の体重が少ない子が増えていることです。昭和50(1975)年に1,000グラム未満で生まれた子は0.1%しかいませんでした。いまは0.3%に増えています。出生児の平均体重が3,200グラムだったのが今は3,010グラムしかありません。私が学生のころ妊婦は10キロ体重が増えてよいと言われていましたが、今は8キロくらいまでしか増えてはならないと指導されています。胎児が大きいと難産が多くなり母胎の負担も大きくなるのが一つの理由とも言われますが、女性の不健康なダイエット志向が根底にあるのは間違いないと思います。
乳児死亡率は、その地域、社会全体の保健水準を表す指標ですが、子どもたちが本当に幸せなのか、心の問題を含めて健康であるかを示しているわけではありません。心の健康や幸せを考慮した新しい健康指標を打ち出すことが大事だと考えているところです。
―人のつながりの希薄さ
2007年に国連児童基金(ユニセフ)が、経済協力開発機構(OECD)加盟国を中心に15歳の子どもたちの心の状況を調べたデータがあります。自分は孤独、周囲特に親たちがかまってくれない、関心を寄せてくれない、と感じている子どもたちが日本では30%もいます。他の国はほとんど10%以下です。日本では多くの子どもたちが親や周囲の人間から支えてもらっていないと感じています。その根底には日本の社会で人間関係が希薄になっている、そうした状況の反映ではないかと考えられます。人間同士の有機的なつながり、人間的なつながりは、成熟した人間として持つべき情緒、規範、価値観、心などを次の世代に伝えるシステムとして重要です。これが日本では非常に低下している可能性があります。大人から子どもへの温かなまなざしが少ない社会に、日本がなってしまっていると考えられるのです。
人間同士の有機的なつながりをコネクティッドネスといいます。これが喪失していることの一つの反映として、子どもたちが長時間テレビやビデオなどビジュアルな情報番組を見ている結果を生み出しています。日本では1歳未満の乳児で1日3時間47分、1歳児で4時間1分、2歳以上の半数が2時間以上、ビデオなどを見ているという調査結果があります。
お母さんたちが子育てに忙しいから、こうした結果になっているわけですが、長時間視聴が子どもの心、発達、発育に対して悪影響を与えることは既に分かっています。生活のリズムも乱れると言われており、米国の小児科学会は16年前に「2歳未満の幼児にはテレビ・ビデオを視聴させない。2歳以上の幼児には1日2時間以内の視聴とする」という勧告を出しています。日本の小児科医会も「2歳までの子どもたちにはテレビ・ビデオの視聴は控える。見せるとしても1日2時間以内に」という勧告を出しています。しかし、現実には親が子どもたちに長時間、テレビやビデオを見せている状況になっています。
(続く)
五十嵐隆(いがらし たかし) 氏のプロフィール
1978年東京大学医学部医学科卒業、82年東京大学医学部付属病院小児科助手、85年米ハーバード大学ボストン小児病院研究員、91年東京大学医学部付属病院分院小児科講師、2000年から現職。医学博士。日本学術会議会員。日本小児腎臓病学会理事長、国際小児腎臓学会理事、日本小児科学会評議員なども。