インタビュー

第2回「みんな遊んで大きくなった」(仙田 満 氏 / 日本学術会議「子どもを元気にする環境づくり戦略・政策検討委員会」委員長/環境建築家)

2006.11.28

仙田 満 氏 / 日本学術会議「子どもを元気にする環境づくり戦略・政策検討委員会」委員長/環境建築家

「こどもに安全で楽しい遊び場を!」

仙田 満 氏
仙田 満 氏

「人生にとって必要な知恵は、すべて幼稚園の砂場にあった」。米国の作家、ロバート・フルガムは書いている。

しかし、子どもたちの遊び場は、都市、地方を問わず急速に失われている。外で遊べない子どもたち、外で伸び伸び遊んだ経験を持たないまま大きくなってしまった大人たち。そんな人間が増えてしまった日本社会は、どのようなツケを負わされるのか。

仙田 満・日本学術会議「子どもを元気にする環境づくり戦略・政策検討委員会」委員長(東京工業大学名誉教授)に、子どもに遊び場を戻してやることの大切さと、対応策を聞いた。

—日本の子どもたちの遊び環境がとりわけ悪化した理由は何か、もう少しお話しいただけますか

歴史家の渡辺京二さんが書かれた「逝きし世の面影」という本があります。江戸から明治にかけての日本を、外国人がどのように見ていたかを日記などから明らかにしている章があるのですが、日本はこどもの楽園だと見られているのです。

「子どもたちは少し大きくなると外に遊びに出される」、「市内は子どもであふれている」、「子どもは大人から大事にされ、朝から晩まで幸せそうだ」などと。

日本人は、本来、子どもに対して寛容な国民だったのです。戦後の復興の中で、経済発展が最優先され、子どもの視点というものが排除され、失われてしまったのです。

実は、戦前まで上野公園や日比谷公園には、役所の公園課から「子ども遊技係り」という人が配置されており、子どもたちに遊びの指導をし、外遊びの方法を伝え、そして子どもたちの安全を守るというシステムができていました。

今、公園は米国型になり、子どもに対する性的暴力などの犯罪が多い場所になってしまっています。お母さんたちも公園は危ないところ、と感じ、子どもを1人では出さなくなってしまいました。

公園は、かつてのように、子どもたちの遊びを支援する人が常駐するような場所でなければいかんのです。東京の世田谷区にある羽根木プレイパークのような公園が、一般的にならなければなりません。

—子どもたちにとって、遊びの場がなくなってしまったことの影響というのは、どのような形で現れているのでしょうか。

最近、子どもたちの運動能力が落ちてきている事実は、外で遊ばなくなったことが原因と見られるわけですが、自然とのふれあいという体験を失ったことの影響は、それにとどまりません。自然の中で感性を磨く、自然の美しさに感動する。そんな瞬間、体験が遊びを通して得られると思うのです。

教育改革が叫ばれていますが、大事なことはやる気、チャレンジ精神ではないでしょうか。知識の集積というのは中学、高校、大学と進む中で徐々に時間を割けばよいのであって、挑戦力があれば後からでも何とかなります。

しかし、その挑戦力というのは小学校低学年まで伸び伸びと遊ばせる、幸せな子ども時代をつくってやらないと身につかないのではないかと思うのです。その時期から塾に通わせるなどということよりも。

最近よく言われる理科離れも、自然の中で遊ぶ経験のなさから来ているように見えます。科学技術に親しむ最初のきっかけは、野遊び、山遊びを通じて自然の不思議さ、自然の力に目覚めることではないでしょうか。

羽根木プレイパーク (提供:仙田 満 氏)
羽根木プレイパーク (提供:仙田 満 氏)

仙田 満 氏
仙田 満 氏

仙田 満 氏のプロフィール
1964年東京工業大学建築科卒業、68年、環境デザイン研究所を創設。82年「こどもの遊び環境の構造の研究」で学位(工学博士)取得。84年琉球大学工学部教授、88年名古屋工業大学教授、92年東京工業大学工学部・大学院教授、2005年 (株)環境デザイン研究所会長、同年日本学術会議会員。大学卒業直後から子どもの遊びについて関心を持ち続け、著書、論文多数。設計したこどもの国、科学館、博物館なども数多い。

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