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国際的関心高まる幸福度研究(高橋義明 氏 / 国際協力機構 JICA研究所研究員)

2012.09.04

高橋義明 氏 / 国際協力機構 JICA研究所研究員

国際協力機構 JICA研究所研究員 高橋義明 氏
高橋義明 氏

 「あなたは幸せですか」。今、政治の世界から幸福度への関心が高まっている。サルコジフランス大統領が設置し、ノーベル経済学者のジョセフ・スティグリッツ、アマルティア・センとフランスを代表する経済学者ジャンポール・フィトゥシが議長・コーディネーターを務めた委員会が、2009年秋に「客観的指標だけでなく、主観的幸福感を計測することが人々の暮らしの質を表す鍵になる」とする報告書を発表した。

 その後、英国ではキャメロン首相の指示の下、英国版幸福度指標の開発などが進められ、ドイツではドイツ連邦議会が超党派で幸福度研究の調査会を主催し、経済システムの転換について議論を進めている。日本も時期を同じくして、2010年6月に閣議決定した新成長戦略において「わが国が目指すのは、こうした経済・環境・社会の3つが相互に高め合い、人々の幸福度に寄与する『三方よし』の国である」として「幸福度」に基づく国づくりをうたい、2011年12月に内閣府の幸福度研究会が日本の幸福感に基づく幸福度指標試案を公表した。

 こうした政治的注目の背景には、幸福度研究が1970年前後から心理学、経済学、社会学などで発展し、その後、人類学、政治学、脳科学などでも重要テーマとして扱われるようになった知見の蓄積がある。幸福度研究の出発点は、経済的に生活が豊かになっても、人々は「幸せ」を得られていないという「幸福のパラドックス」であり、その後、幸福感を左右する要因の分析に発展していった。

 そして1990年代以降、学術研究を通じて明らかになってきた幸福度を規定する重要な要因は、大きく分けて(1)経済社会状況(貧困、住環境、教育、雇用など)、(2)心身の健康、(3)家族・地域との関係性 ? の3つに整理できる。つまり、これらから明らかになったのは、経済発展、所得向上はあくまで貧困からの脱出など人々にとって手段でしかなく、経済発展、所得向上だけを国家目標とすることは間違いである、ということであろう。

 日本も世界的にみれば幸せと感じられない層が多い国であるが、その背景には、戦後の経済成長の中で地域や家族関係を傷つけながら経済発展をしてきた、歴史的背景が作用している。従って、人々がその社会で「幸せに暮らしたい」というのが人生の願いであるならば、国家・政府がその国家目標や政策目的を見直すことは必然だったと言える。

 一方、幸福度研究は、上記の通り、元来、経済発展の負の側面として先進国、特に欧米を中心に研究、議論がなされてきたものであり、途上国での幸福度研究は社会調査の欠落など、データの制約もあって、かなり限定されている(ラテン諸国:Graham and Felton 2005年、ウルグアイ: Gandelman et al. 2012年、 ペルー:Leonardo Becchetti et al. 2011年、南ア: Hinks and Gruen 2007年、タイ:Gray et al. 2010年、フィリピン:Swami et al. 2009年、バングラデシュ:Camfield et al. 2009年、インド:Biswas-Diener and Diener 2006年、など)。また、そもそも途上国における幸福度を扱う意義については、現在、最も引用される「経済成長と幸福度は相関する」という2008年に米国ペンシルべニア大学のスティーブンソン教授とウォルファース准教授が発表した説、つまり途上国では「お金=幸福」とされ、否定的な見解も多い。

 しかし、途上国でも人口の1%しか幸せと感じていないアフリカのトーゴから、63%が幸せと答える中米のコスタリカまであり、国による幸福感の分布に大きなばらつきがある。また、「途上国における経済成長と幸福度の関係を可能な限り長期データでみると、途上国においても経済成長と幸福度が相関しない」と米国南カリフォルニア大学のイースターリン教授と同大学博士課程の学生だったサワンファ氏が2010年に指摘するなど、スティーブンソン教授らの論調に対する反論がなされている。

 さらに、例えば、英国オックスフォード大学のナイト教授と同大学客員研究員だったグナティラカ女史によると、「地方から都市に移住してきた住民の幸福度はずっと地方に暮らす住民よりも低く、経済成長著しい中国においても所得の上昇による幸福度の上昇がみられず、その背景には家族のきずなの損失がある」といった注目に値する研究成果もみられる。

 そうした中、発展途上国の開発戦略においても幸福度は関心を増している。まず2011年7月に、「国民総幸福度」を掲げて日本でも注目の集まるブータンが主導的役割を果たし、国連が「幸福の追求は人間の根源的目標であり、幸福は普遍的な目標で、その熱望はミレニアム開発目標の精神を具体化させたものである」とした『幸福度に関する国連決議』を68カ国の共同提案の下、採択した。また、今年6月には経済協力開発機構(OECD)が「人間の幸福度をより捉えた幅広い指標が不可欠である」などとした「開発のための進歩指標開発」を4本柱の1つとして掲げるOECD新開発戦略をとりまとめた。OECDは今年10月にインド・デリーで「開発と政策立案のための幸福度計測」をテーマに数千人規模の関係者が集まる世界フォーラムを開催し、途上国における幸福度の意義を議論する予定である。

 このように、途上国における幸福度研究に関しては、(1)経済成長を目標にすれば途上国の人々は基本的に幸せになるのか、(2)途上国においても欧米と全く同じ要因で幸福感が決まっているのか、あるいは途上国特有の要因や文化的違いがあるのか—などに対する答えは確立しているとは言えず、体系的学術研究はまだまだ途上にある。しかし、例えば、ブータンが幸福度に着目した理由は、経済発展が今後、進展していく中、伝統文化や家族、地域のきずなという失われるものも多くなるという危機感だと感じる。ブータンが今後、どのような社会を築いていけるのか、そこに国民総幸福度の真価が問われている(注:広い意味では「国民総幸福量」ではなく、移民なども含む「国内総幸福量」が必要であるが)。

 また、ムヒカ・ウルグアイ大統領は今年6月の「リオ+20」会合において、「(途上国が目指すべきは)現在の裕福な国々の発展と消費モデルをまねすることだろうか?」と問いかけ、「発展は幸福を阻害するものであってはいけない」と訴えた。このように途上国の人々にとっての幸せを問う意味は増しており、その中でわれわれに問われているのは「どのような社会、そして世界をつくりたいのか」という未来像である。経済発展を遂げた先進国が幸福度に着目していることを考えると、「先進国と同じような社会を目指すことに、人間らしい人生を全うできる未来はない」と言っても過言ではない。

 折しも今年9月からユドヨノ・インドネシア大統領、サーリーフ・リベリア大統領、キャメロン英首相を共同議長として、世界のリーダーたちが2025年までの国際目標の設定に向けた議論を始め、来年前半に国連事務総長に報告する予定である。日本からは菅直人・前首相が参画する予定だ。この議論の中で先進国、途上国の垣根を越えて「世界の人々にとって幸せな社会とは何か」という問いから世界の未来像が語られることが不可欠と言える。

 こうした国際的議論に呼応して家族や友人と一緒に「幸せとは何か」を語りあってみてはいかがであろうか。

国際協力機構 JICA研究所研究員 高橋義明 氏
高橋義明 氏
(たかはし よしあき)

高橋義明(たかはし よしあき)氏のプロフィール
名古屋市生まれ、埼玉県立浦和高校卒。慶応義塾大学経済学部卒、ロンドン大学修士(公共政策学)、サザンプトン大学修士(国際金融市場)。経済企画庁入庁後、OECD科学産業技術局主査、内閣府国民生活局調査室長、内閣官房社会的包摂推進室企画官などを経て2011年から現職。10年12月から11年8月まで内閣府の「幸福度に関する研究会」事務局を務めた後も、引き続きオブザーバーとして参加するとともに、国際協力機構で途上国における幸福度の意義について研究を行っている。

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