インタビュー

第5回「課題解決は文理融合で」今田高俊 氏 / 日本学術会議・高レベル放射性廃棄物の処分に関する検討委員会 委員長)

2012.11.21

今田高俊 氏 / 日本学術会議・高レベル放射性廃棄物の処分に関する検討委員会 委員長

「高レベル放射性廃棄物『暫定保管』提言の衝撃」

今田高俊 氏
今田高俊 氏

原発に依存した社会であり続けるか、脱原発化か、で世論は真っ二つの様相をきたしている。しかし、どちらを選択するにしても日本はすでに深刻な問題を抱え込んでいる現実に変わりはない。すでに相当量たまっている使用済み燃料を含む高レベル放射性廃棄物をどこに処分するか、という難題だ。どちらの道を選ぶにしろ、深刻さの度合いの差でしかないように見える。「最終処分する前に数十年から数百年程度の期間、回収可能な状態で安全に保管する」。これまでの原子力政策にはなかった「暫定保管」という新しい選択肢を盛り込んだ提言「『原子力委員会審議依頼に対する回答高レベル放射性廃棄物の処分について』」を9月10日にまとめた「日本学術会議高レベル放射性廃棄物の処分に関する検討委員会」の今田高俊委員長(東京工業大学大学院 社会理工学研究科 教授)に、高レベル放射性廃棄物処分の難しさと今後の見通しを聞いた。

―今盛んに言われているイノベーションにしても、「社会のシステムを変えるところまで至らないとイノベーションとは言えない」ということを聞きます。科学、 技術が進歩するだけでは駄目で、人文・社会科学の知識、発想がなければ社会を変えることはできない、ということではないでしょうか。社会学者として、「文 理融合」についてどのように考えておられるか、最後に伺います。

「文理融合」に関しては、1990年代半ばごろ、「学融合」「文理シナジー」そして「トランスディシプリン」など、いろいろな新しい科学の様態を表す言葉ができました。学問が専門分化したことで研究者が社会を俯瞰(ふかん)する発言ができない状態に陥ってしまったからです。それまでも学際的という言葉はありました。しかし、学際的つまり「インターディシプリナリー」というのは、個別のディシプリン(学問領域)あっての学際性ということで、学際研究の試みがうまくいかなくなると、さっさと自分の専門であるディシプリンに逃げ込んでしまう人が多いのです。議論していて話がもつれてくると、「専門外だから、なんとも言えない。もうやめにしたい」と。

学際性の弱点である、自身の専門領域へ逃げ込ませないために「文理融合」「文理シナジー」ということが盛んに言われ出しました。しかし、ただ溶け合っただけでは、何も見えてこない。融合した後に、そこから新たな専門分化をしなければなりません。そこをきちんとわきまえておかないと、成果が上がらない。「もう文理融合など駄目なのではないか」と最近、あきらめかけている人が多いのです。

私が所属している東京工業大学の大学院である社会理工学研究科は、「意思決定」をキーワードにして文理融合を図り、21世紀のネオリーダーを育てることをスローガンにしています。意思決定に文理の区別などありません。そもそも文系の人だろうが、理系の人だろうが「私は文系的な発想から意思決定します」とか「理系的な発想から意思決定します」などと言う人はいないでしょう。

日本人は一般に、“高度な価値判断”を目指そうとするあまり、意思決定がなかなかできない人が多い。要は、あれこれと思案して決断できないことです。逆に、意思決定の速い人もいるのですが、こちらは価値判断に深みがなく、表面的で気まぐれな決定をしてしまいがちです。出たとこ勝負のような意思決定しかしないわけです。エビデンス(証拠)と高度な価値判断に基づいて速やかに意思決定をし、かつ意思決定をキーワードにして文理融合を図る。社会理工学研究科は、本来、日本社会に必要なこうした能力に秀でた人材育成を目指すとともに、そうした研究を進めることを条件につくられた研究科なのです。研究科が発足してから既に15年がたちましたが、「文理融合の試みなど、そもそも無理な話ではないか」と言う人もいます。しかし、やるべきことをきちんとやりもしないで批評家ぶるのは不謹慎でしょう。

今回、日本学術会議がまとめた高レベル放射性廃棄物の処分についての報告書は、文理融合の議論と意思決定ができた典型例だと言えます。なぜならば、対象は極めて理系的な高レベル放射性廃棄物と原子力発電であり、これを文系的な合意形成という視点から問題としたからです。地層のこと、原子力発電のことをはじめ、いろいろなことを知っていないと社会的な判断ができません。必要な理系的知識をヒアリングや理系の委員との議論で得た上で、社会科学的な発想によって判断行い、結論を導き出した。まさに文理融合的なアプローチの代表例だ、と私は思っています。

―日本は政界、官界をはじめとして、指導的立場にある人たちに文科系出身が圧倒的に多いのに対し、学界は逆に理系の科学者に比べ、人文・社会科学者の影が薄いように見えます。先生は日本学術会議社会学委員会委員長として2006年に、社会学系の学協会が連携、交流を深めることを提案し、「社会学系コンソーシアム」という形で結実しています。このコンソーシアムが主催した1月の東日本大震災をテーマにしたシンポジウムでは、「社会学が地盤沈下している」という危機感が、指導的立場にあると思われる社会学者の方から示されたのに驚きました。

文系の研究者の地盤沈下というのは、私はあると思います。要は、エビデンスに基づいた意思決定ないし政策決定を、研究者としてきちんとやらないからそうなるのです。「あれはおかしい」「これもおかしい」という論評をして、一般受けすることが格好良いと考える研究者が、特に若い世代に多い現状は認めざるを得ません。しかし、このようなポピュリズム志向、人気志向では駄目です。エビデンスのない話なら何だって言えるのですから。

文系研究者の発言力が低下しているとしたら、エビデンスの裏付けがある議論をきちんとしていないということです。文系も科学なのですから、人間の意思決定の仕方を科学的にきちんと解明すべきですし、人間の心の働きや意味解釈の解明もエビデンスを基に追求すべきです。実際、心の問題やテキストの解析を扱う「人文工学」という学問領域が台頭しています。

こうした姿が正しい意味でのアカデミズムと言えますが、現実は科学技術立国という言葉に見られるように、文系は刺身の「つま」でよい、刺し身そのものは科学技術が担う、という構造になっている。もちろん文系の研究者にも実証精神に基づいて調査を実施し、「人々の意見はこうである。社会の仕組みはこうなっている」ときちんと分析する研究者はいます。ただ、こうした研究者は知名度がなかなか上がらないのです。

現在、査読を受けた論文しか採り上げない社会科学の国際的レベルの学術誌に掲載される論文は、約7割がデータ分析です。エビデンスに基づいて書かれた論文ということです。ただ、この種の論文に対して、「調査で得られたデータで表を作ったり、複雑な多変量解析を試みたりしているだけで安易だ」という人もいます。確かにそういう側面がないともいえません。データ分析の段階にとどまらず、政策や社会のありようなどへの提言までしないと、本当の研究成果とは言えません。「このパラメーターはかくかくで、誰それの前の論文とはここがちょっと違う」などといった重箱の隅を突っつくような話では、大した意味はないわけです。

理系にも真理の追究を目的とする理学という学問領域があるように、文系においても真理の追究は大事です。と同時に理系における工学のように、課題を解決する研究も併せてやるべきです。こうした二つの方向に特化して、アカデミズムのいいところを守ることが必要だと思うのですが、文系の研究者はその辺りが弛緩(しかん)しているのではないでしょうか。

―研究者としての知見を社会へ還元、導入していくという観点からみますと、例えば米国の科学アカデミー会員たちが、報酬もないのに調査活動などに力を注ぐ理由の一つは、そうした活動も研究者として評価されるからだ、とも聞きますが。

前にもお話ししたように、知識、知恵によって、社会の動きや政治・経済の動きをきちんとチェックする機能を果たすことは、文系、理系を問わず研究者にとって大きな業績となるべきものです。これを国民の皆さんが、きちんと評価することが大事になります。今回のような報告書の作成は、それ自体、学術的な研究業績になりませんが、「社会の要請に応える」という意味で社会貢献としての業績になります。社会貢献ばかり行っていては研究者として成長しませんが、重要な課題と判断できるときには、かなりのエネルギーを割いてしかるべきであると思います。そうすることで、研究にとってのメリットも得られることがあります。

今回、高レベル放射性廃棄物の処分に関する検討委員会で、2年に及ぶ議論を行ってきましたが、文理の壁を意識することはほとんどありませんでした。振り返ってみると不思議な感じがします。「核のごみの処分」という抜き差しならない課題を前にして、文理双方で知恵を出し合う以外にソリューションは得られないことを覚悟できたからではないでしょうか。文理融合とは、抜き差しならない課題に直面してはじめてその効果を発揮できるのかもしれません。

(完)

今田高俊 氏
(いまだ たかとし)
今田高俊 氏
(いまだ たかとし)

神戸市生まれ、甲陽学院高校卒。1972年東京大学文学部社会学科卒、75年東京大学大学院社会学研究科博士課程中退、東京大学文学部社会学科助手、79年東京工業大学工学部助教授。88年東京工業大学工学部教授を経て96年から現職。日本学術会議会員。研究分野は社会システム論、社会階層研究、社会理論。著書に「自己組織性-社会理論の復活」(創文社)、「意味の文明学序説-その先の近代」(東京大学出版会)など。

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