ハイライト

21世紀の科学技術は哲学と(野家啓一 氏 / 東北大学 理事・付属図書館長)

2010.01.13

野家啓一 氏 / 東北大学 理事・付属図書館長

公開シンポジウム「科学技術と知の精神文化-新しい科学技術文明の構築に向けて」(2009年12月11日、日本学術会議など 主催) パネル討論から

東北大学 理事・付属図書館長 野家啓一 氏
野家啓一 氏

 20世紀の大きな特徴は、科学と技術が融合したことだ。プロジェクト達成型、つまり政府や企業から資金を調達してプロジェクトを立ち上げてそれを一定の期限までに達成する、という研究スタイルが主流になる。外部から資金を調達するので、単にピュアレビュー(同僚評価)だけではなく、社会的説明責任、アカウンタビリティーというものが生ずることになる。

 また自然科学というのは事実だけを探求して、価値にはかかわらない、価値は人文・社会科学の領域だ、と考えられてきた。しかし事実と価値が分離できない、複雑に交錯する領域というのが20世紀後半から21世紀にかけて出てきた。具体的には環境問題であるとか、BSE(牛海綿状脳症)の安全性、あるいは高齢化社会における医療、最近では、新型インフルエンザといった問題だ。これらは、単に科学だけでは解決ができない。つまり、政治や経済の領域と不可分の考察を必要とする。そういう領域が増大しているということだ。

 もう1つ、21世紀の科学技術の特徴としては、公共圏、パブリックスペースの中に科学技術が置かれたということだ。科学技術といえども、価値と不可分の領域になってきた。科学の内部でも自ら価値志向的であることを標榜(ひょうぼう)する科学が出て来る。例えば生物学の領域で保全生物学という学問は、明らかに生物多様性の保存を目標とし、その価値を守るためにこの学問探求を行うという理念を掲げている。

 もう1つは、そのように科学と政治・経済が密接に結びついて切り離せなくなると同時に、科学技術のシビリアンコントロールが必要となってきたことだ。市民感覚による判断ということが非常に重要になってきている。科学技術というものも軍事体制と同じように、シビリアンコントロールが必要なほど巨大化してきている。

 もう1つは、そういうシビリアンコントロールをするためには、科学コミュニケーションというものが不可欠になってきたことだ。つまり、科学技術の政策決定に関して合意を形成し、公共的な決定をするためには、まず科学技術というものはいかなるものかを知らなくてはならない。科学リテラシーということが必要になってくる。同時に、科学技術の側でも自分がつくり出したものがどういう社会的影響を与えるかということについて、きちんとした自覚を持つ社会文化リテラシーというものが必要になると私は考えている。

 それでは、そういう状況の中で哲学に代表される人文・社会科学の役割はどういうものだろうか。先ほど、事実と価値の不可分領域と言ったが、例えば現在、サステイナビリティー、持続可能性という価値が極めて大きくクローズアップされている。これも100年前は考えられなかった新たに提起された価値だ。

 価値というと難しく聞こえるが、仕分け作業に例えれば、優先順位を設定するということだ。どういう基準で優先順位を設定するかというのは価値のあり方であって、個人的な趣味では務まらず、公共的合意に基づかなくてはならない。そこに哲学や倫理学の役割があると私は考える。

 その役割の1つはエートス、つまり道徳的な規範とか雰囲気のことだ。このエートスからエチカ(倫理学)という言葉が生まれた。先端技術の需要に伴って、例えば脳死臓器移植ならば死生観、BSEの安全性ということならば食習慣とか、そういう社会文化環境というものが先端技術の需要には密接にかかわってくる。そしてそれをどのような形でわれわれの社会が受け入れるべきかということは、生命倫理、環境倫理、科学技術倫理あるいは情報倫理とか企業倫理といったさまざまな領域にかかわってくる。社会文化環境のエートス探求としてのエチカ、倫理学がこれから必要になるだろうということだ。

 また、価値判断というものを単なる趣味の領域から合理的な根拠づけによって行う役割。これはロゴス(言葉・理性)の学である哲学に求められているのではないか。エートスとしての文化環境の探求と、価値の合理的根拠づけとしての哲学が科学技術と表裏一体になって、これから進んでいかなくてはならないと私は考えている。

東北大学 理事・付属図書館長 野家啓一 氏
野家啓一 氏
(のえ けいいち)

野家啓一(のえ けいいち)氏のプロフィール
宮城県仙台第一高校卒、1971年東北大学理学部物理学科卒、76年東京大学大学院理学系研究科科学史・科学基礎論博士課程中退、南山大学文学部講師、米プリンストン大学客員研究員、東北大学文学部教授などを経て91年東北大学文学部教授。2003年同大学院文学研究科長・文学部長、05年東北大学副学長・付属図書館長、08年から現職。専門は科学哲学、現代哲学。著書に「言語行為の現象学」(勁草書房)、「科学の解釈学」(新曜社、筑摩学芸文庫)、「物語の哲学―柳田國男と歴史の発見」(岩波書店)、「科学の哲学」(放送大学教育振興会)など。

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