1.はじめに
2011年3月11日に起こった東日本大地震とその後の大津波、福島原発事故による災害は、日本の社会経済だけでなく、人々の生活、価値観にも大きな影響を与えている。この震災とこれからの復興の経験と知識は、100年先でも生かせるものにすることが大切であろう。世界が注目しているのである。その中の大きな課題の一つとして、政治と科学の関係が今根本的な点検を迫られている。
1995年に科学技術基本法が全会一致で成立し、その後、5年ごとに政府の科学技術基本計画が決定されてきた。この体系は政局の混乱の中でも超党派で支えられてきたのであり、政治と科学の関係は、これまでは支援する側とされる側というほど良い状態が続いてきたのだと思う。しかし、この度の大震災・原発事故への緊急対応、震災からの復旧・復興に当たって、双方の関係は、従来の一種心地よいものから一転して、科学的助言に基づく政治的判断、政治に助言する責任をもった科学という緊張した状態が増しており、社会はその成り行きを厳しい目で見ている。
わが国には、政治・政策への科学的助言制度として、総合科学技術会議、日本学術会議、原子力委員会、原子力安全委員会、各種審議会、内閣参与など、個人レベルから常勤組織まで、さまざまな仕組みが政府の内外に配置されてきた。
地震発生から3カ月。これらの仕組みが十分に機能しているとはいいがたい。政治と科学、市民と科学の間のコミュニケーションがうまくとれていないことを危惧する。相互信頼の喪失、助言機能の不全は、今後の復興、日本の社会経済や科学技術全般の再生に際して大きな障害になりかねない。
2.政治と科学の関係再考
今、政治は科学との付き合い方、科学的助言の受け止め方を、従来の外形支援的なものから内容に踏み込んだ実質的なものにしたいと模索を始めている。政治も市民も、細分化され俯瞰(ふかん)的視点に欠ける科学者の助言や発言にいら立ち、科学への懐疑を深めながらも、今後の復興、安全確保に当たって科学への期待が大きいのもまた確かである。このように、科学のクライアント側から積極的に科学に接近しようとする状況は、近年みられなかったことである。大震災という非日常が与えてくれた大きな機会と受け止めたい。
科学の側はこれに真摯(しんし)に応える責務があると思う。教育研究施設の復旧、震災・原発被害の調査、復興への助言など、多くの活動が始められているが、加えて、今後は、3.11後の科学のあり方、また政治と市民からのニーズや期待を受け止めた議論など、信頼関係の再構築を主導することが求められる。今までの科学コミュニケーション、科学リテラシーなど科学と社会をつなぐ政策と活動も総点検する必要がある。
未曾有の大災害を日本がどう克服していくのか、その中で、日本の科学技術とその仕組みがどう変わるのか、世界が注目している。今年2月にAAAS(全米科学振興協会)年次総会が、”Science without borders”をテーマにワシントンで開催され、経済だけでなく、持続性、生活の質、安全の確保を求めて、分野、組織、世代、国境を越える科学の新しい企てについて多くの議論が行われた。このように科学の新しいあり方について世界中が模索している現在、この大災害を契機に、日本が新しい発想と多彩な方法論を開発実践し、この逆境を克服すれば、そのソフトパワーに世界の見る目は必ず変わるはずである。
3.政治と科学の役割の明確化と連鎖構造の構築
震災の復興に当たって、国レベルでも地域レベルでも、市民、政治、産業、科学、行政の協働が必須となる。長い震災復興の過程において、国、地域を問わず政治・行政と科学の間の持続的でダイナミックな関係、連鎖構造を構築する必要がある。科学技術振興機構(JST)研究開発戦略センターは、吉川弘之センター長のリードの下に、図1(JST研究開発戦略センター、「東日本大震災からの復興に関する提言」pp.16、2011年5月)に示したループをなす連鎖構造の開発と実践への適用を進めている。この枠組みは、持続性向上という目標の下での科学技術イノベーションの構造として、広く適用できるものと期待している。
このループは図のように、4つの段階から構成される。第1は、自然・社会の状態と外部要因による変化、第2は、自然・社会の状態の観察、調査・分析。第3は、調査・分析の結果を課題解決のために再構成し設計・政策提言する段階。第4は、科学的知識に裏付けられた政治や行政、市民による復興行動である。1〜4まで一巡した行動の連鎖によって、自然・社会の状態が変化する。その変化を再び観察することから、二巡目のループが始まる。
ループの第3段階は、本稿のテーマである政策形成への科学的助言の段階なので、詳しく見てみよう。この段階は、第2段階で行われた、状態観察や調査・分析による評価や警告、地域の文化や経験などを総合し、地域に合った復興計画や、個々の課題解決の行動に適用可能な知識体系や提言を作成し、行動者である国や地域の首長、議会、市民に提出するプロセスである。
この段階は、アカデミックな学理論争を行う場ではない。科学者は往々にして、自らの理論に基づいて助言しようとするが、それがかえって社会の混乱を招きかねない。個々の専門知識、見解を基礎にしながらも、政治や市民の合理的な行動につながるように、全体として統一のとれた俯瞰的情報、助言をまとめ発信しなければならない。海外ではこれをcoherent voiceあるいはunique voiceという。日本では、このunique voiceの作成プロセスの重要性が十分認識されてなくその作成方法も成熟していない。複雑で不確実性の高い問題の解決に当たっては、幅をもった提言あるいは複数の提言が並立して出され、政治の判断を仰ぐ局面が出てくる場合もある。これについては、4.に示す、民主主義の政策決定の過程で対応されることになる。
このループのダイナミックな進化的発展と各段階を担う科学、政治、行政の役割の明確化が、極めて重要になる。ループに参画する政治家、科学者は、俯瞰的に自らの位置と責任を認識して行動することが大切である。復興は少人数・短期間で解決するものではない。多様なそして世代を超えた多くの関与者の役割、責任感、知識と経験の集積とそれに基づく実践が、豊かな地域復興の鍵となろう。
4.政治と科学の行動規範
政策の形成と実施のプロセスに科学者の関与が広がり深まると、政策を正当化するような振る舞いやそれを促す政治家の圧力などが起きやすくなる。世界的にも公害、薬害などさまざまな事件が起こってきた。このためここ15年、米国、英国、ドイツ、EU(欧州連合)、ICSU(国際科学会議)などで、政治と科学の間の行動規範を作成する動きが広がっている。わが国も今回の大災害を契機にその作成が急がれる。現状のままでは、一流の科学者が政策形成へ参画することを逡巡する傾向も広がりかねない。
ここでは典型例として、昨年3月英政府が発表した「政府への科学的助言に関する原則」のポイントを示す(図2.JST研究開発戦略センター、「政策形成における科学の健全性の確保と行動規範について」pp.15、2011年5月)。
- 政府は、科学的助言者の学問の自由、専門家としての立場および専門知識を尊重し、十分に評価しなくてはならない。
- 政府および助言者は、相互の信頼を損なうような行為を働いてはならない。
- 助言者は、その作業において政治的介入を受けてはならない。
- 助言者は、広範な要因に基づいて意思決定を下すという政府の民主主義的な性格の任務を尊重し、科学は、政府が政策形成の際に考慮すべき根拠の一部であることを認識しなくてはならない。
- 政府は、その政策決定が科学的助言と相反する場合には、その決定の理由について公式に説明し、その根拠を正確に示さなくてはならない。
去る5月30日に、「危機における科学的助言—福島原発事故と余波」と題する、英政府首席科学顧問・ベディントン博士の講演とシンポジウムが開催された。その概要は次の通りである。
東日本大地震、津波、福島原発事故の発生を受けて、日本にいる英国人の救援、大使館、企業、学校などの緊急対応への助言行うために、ベディントン博士が主宰する英政府の緊急科学助言組織(SAGE)が招集された(ロンドン)。データの収集・解析・予測が行われ、その結果を東京の在日英大使館を通じて日本にいる英国人に助言し対話も実施された。博士の活躍は、科学的根拠に基づいた適切な助言として、英国人だけでなく日本にいる他国の人々や日本の市民からも高い評価を得た。
博士の素晴らしい活動の基盤には、上に示した、政府と助言者の明確な役割と責任分担、相互の信頼、助言者の独立性、意思決定プロセスにおける透明性と公開性があったと思う。
5.おわりに
本稿では、政治と科学の関係の新しい枠組みについて述べた。これは、この夏に決定される予定の政府の第4期科学技術基本計画で大きな柱になるはずの、課題解決型イノベーションに向けた体制を設計し実行する際にも適用できると考えている。
政府への科学的助言について、政治と科学の双方を律する行動規範を日本として急いで作成する必要がある。その内容はわが国の国情に即しながらも、世界水準を目指すことが重要と考える。JST研究開発戦略センターは、この秋を目途に行動規範の案を作成し、政界や科学界に議論を広げていく計画である。並行して、政治、科学、行政の中に、規範意識を育む文化を醸成することも大切である。制度の改革に自足することなく、精神・エートスの革新が必須になっているのだと思う。
有本建男(ありもと たてお)氏のプロフィール
広島修道高卒、1974年京都大学大学院理学研究科修士課程修了、科学技術庁入庁。同庁国際科学技術博覧会企画管理官、宇宙開発事業団調査国際部調査役、科学技術庁科学技術情報課長、海洋科学技術センター企画部長、科学技術庁原子力局廃棄物政策課長、日本原子力研究所広報部長、科学技術庁科学技術政策局政策課長、理化学研究所横浜研究所研究推進部長、内閣府大臣官房審議官(科学技術政策担当)文部科学省大臣官房審議官(生涯学習政策局担当)などを経て、2004年文部科学省科学技術・学術政策局長。05年内閣府経済社会総合研究所総括政策研究官、06年から現職。04年から政策研究大学院大学客員教授(科学技術政策)も。著書に「高度情報社会のガバナンス」(共著、NTT出版)、「科学技術庁政策史」(共著、科学新聞)、「グリーン・ニューディール - オバマ大統領の科学技術政策と日本」(共著、丸善プラネット)。幅広い経験を持つ科学技術官僚として第2期、第3期の科学技術基本計画づくりでも中心的な役割を果たした。東日本大震災では日本学術会議の緊急提言づくりなどにも積極的に参画している。