東日本大震災によってあらためて問われている日本の科学者の社会的責任を問うシンポジウムが5日、都心で開かれた。科学技術振興機構と政策研究大学院大学が共催した「社会における科学者の責任と役割」だ。
生化学者で前の米国科学アカデミー会長、現在は科学誌「サイエンス」編集長、オバマ政権の科学大使を務めるブルース・アルバーツ氏が、吉川弘之・科学技術振興機構研究開発戦略センター長(元日本学術会議会長、元東京大学総長)とともに基調講演を行った。吉川氏の経歴もアルバーツ氏に引けをとらないほど多彩で、講演内容も的確に問題点を指摘し今後の方向を明快に示すものだった。しかし、シンポジウム全体を聞いて、日米の科学アカデミーが持つ社会的影響力の違いにぼう然、という思いの傍聴者もまた多かったのではないだろうか。
日本学術会議は、国際的にも日本の科学者を代表する機関(科学アカデミー)と認められている。会員210人、連携会員1,900人を合わせた会員数は国際的に見ても見劣りするとは言えない。では、米国科学アカデミーとはどこが違うのだろう。アルバーツ氏の講演から、相当な差があることが分かる。
まず、米国科学アカデミーは官民を通し米国最大のシンクタンク機能を有し、政府からもそうみられている。毎年、200以上の報告書を出しているが、このうち85%が政府からの要請に応じたものだ。アルバーツ氏によると、さまざまな審議依頼に答えるため6つの分野に分かれ全部で60くらいの委員会がある。要請された問題ごとに小グループをつくり、5、6回集まって議論し報告書をまとめるが、最初の2回は専ら情報を集めることに集中する。会長の任務として重要でかつ難しい、とアルバーツ氏が強調していたのが委員の選定だ。これを間違うとおかしな報告書や信用されない報告書になる恐れがある。特定の組織の意見を代弁しないかどうか、ロビー活動と無縁かどうかなどを見分け、さらに科学者、技術者以外に例えば法律の専門家が必要かどうか、といったことを慎重に検討して委員を任命した、という。
委員に選ばれると、旅費、宿泊費、食費、日当は支給されるものの報酬はない。この点に関しては日本学術会議も同様だが、では、なぜ大きな影響力の差が生まれてしまったのか。米国科学アカデミーには博士号を持つ専任スタッフが約400人いる。事務官が数十人いるだけの日本学術会議との違いは明白だ。委員の活動はボランティアだが、専任スタッフの人件費などは政府をはじめとする審議依頼側からの収入で賄われる仕組みが出来上がっているのだ。
日本政府が政策を決めるのに必要な資料を得るため、日本学術会議に審議依頼するケースというのは非常に少ない。今回の東日本大震災に当たっても日本学術会議は提言を次々に出すなどそれなりの行動をとったが、政府がそれをどのように活用したのかあるいは無視したのかも国民には分からない。米国政府が科学アカデミーを信頼するように日本政府が日本学術会議をみなしてこなかったのは、首相直属あるいは各府省の傘下にある審議会の存在が大きいと思われる。これらの審議会委員は日本学術会議が推薦するわけでもなく、官邸やそれぞれの府省が選ぶのである。審議会が時には官邸や各府省の意に沿わない報告書を出すこともある、などと期待しているメディアや一般の国民がどれほどいるだろうか。
米国科学アカデミーも政府との関係でぎくしゃくすることがあるという。科学アカデミーは、報告書を政府に提出するのと同時にマスコミを含め一般にも公開する方針をとり続けているが、これに不満の政権もある。「テロリストに利用されるから」といった理由で非公開を求めて来たこともあった。こうした政府からの要請に対し、科学アカデミーの基本方針を守ることに力を注いだ、とアルバーツ氏は言っている。
「東日本大震災のような時こそ、科学者が合意した声を社会に発信し、政策に反映させることが大事。それをやるのは日本学術会議しかない」。持論をあらためて展開した吉川氏に対して、パネルディスカッションで司会を務めた滝順一・日経新聞編集委員・論説委員が「日本学術会議が果たしてできるか」再三、問いかけた。それに対する吉川氏の答えは「できるかどうかより、やらなければ駄目」というものだった。
日本学術会議は、3日の総会で会員、連携会員の半数が新会員と交代し、大西隆・新会長以下の新体制がスタートした。政府に対して科学的知見、視点にのっとった的確な報告、提言がしばしばできる真に内外に認められる科学アカデミーになるためにどうするか。国民に対する分かりやすい発信と具体的活動を求める声はますます高まるのではないだろうか。政府に対しても、真に第三者機関といえる機関の存在を求める声が同様に。