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放射性物質拡散予測はすぐ公表すべきだった(中川正春 氏 / 文部科学相)

2011.10.24

中川正春 氏 / 文部科学相

日本記者クラブ主催記者会見(2011年9月30日)から

文部科学相 中川正春 氏
中川正春 氏

 原子力発電について野田首相と閣僚のコンセンサスは、脱原発か推進かという二者択一の議論に陥らず、原子力発電に対する依存度をできる限り下げていこうということだ。今後の原子力発電の進め方については、来年夏までに政府としての考えをまとめるため、既に新原子力政策大綱策定会議の議論が始まっている。日本のエネルギー政策、核燃料サイクルを中長期的にどのように位置づけるかによって、方向性を定めるということだ。

 原発依存をできる限り下げるということは、自然エネルギーを中心とする代替エネルギーが、技術的、経済的、他の資源状況などから見てどの程度の導入速度と力を持つかという現実的判断があって、原子力発電所に依存する度合いが決まって来ると思う。従って文部科学省の来年度予算概算要求でも原子力予算は暫定的な予算と考えている。ただし、原子力発電所の安全や基盤を支える研究開発と人材育成については途絶えさせるわけにはいかない。今後ともしっかり取り組む。

 高速増殖原型炉「もんじゅ」に関しては、来年夏にエネルギー政策、核燃料サイクルについての国全体の結論が出てから、それに連動する形で決まってくる。例えばプルトニウム利用を捨てるということなら、「もんじゅ」も廃棄となると思うし、核燃料サイクルの中で必要だということになれば、安全性について考えないと行けないことになる。専門家を集め、シビアアクシデントに対応できるまで安全性を高めることが必要になる。従って、「もんじゅ」については来年度予算では、来年の夏までは維持できる費用を付け、それ以上の研究は来年夏までペンディングとする。

 被災地域の放射能汚染の除去については、学校、通学路、公園などを優先して作業を進めている。学校の基準は年間の積算被ばく線量として1ミリシーベルトを最終目標とする。除染しても放射線量が減らない所へは、専門家チームを派遣している。最近話題のホットスポットについては、雨水の影響で放射性セシウムが濃縮するところができているわけだが、自治体や民間団体の協力を得ながら一つ一つつぶしていくことが大事だと考えている。除染の仕方を含めたガイドラインを原子力研究開発機構が作成中で、近い将来周知を図る予定だ。除染の資金については、基金化するということで対応していきたい。

 これから先の課題としては福島第一原子力発電所の廃炉に向けた努力がある。技術的に克服しなければならない事柄がたくさん残っており、例えば溶融した燃料をどのようにして原子炉圧力容器から取り出して処理するかをはじめ、さまざまな対応が必要だ。どのような組織体でやるのか、コストを電気料金に含めるのかなど重い課題もある。技術的な分野については、政府、原子力事業者、メーカー、研究機関、さらには国際的な知見も取り入れて技術的課題をどう解決していくかを整理し、議論を始めている。

 福島第一原子力発電所事故直後の緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)による放射性物質拡散予測結果は、文部科学省として原子力安全・保安院と原子力安全委員会に届けた。SPEEDIというのは、どれくらいの放射性物質が放出されたかという基本データを入れ、その時の気象データも入れ込んでコンピューターで計算し、どのくらいの濃度で拡散していくかを表示する機能を持っている。残念ながら事故直後の時点では、現場に近づけず、モニターも壊れていることから、放出された放射性物質について精度の高いデータは得られなかった。そこで、放射性物質の放出量については推測されるデータを基にして、その時に実際に観測できた気象データなどを入れ込んで算出した。どのくらいの濃度で拡散しているかについて大体の推測値を出したと認識している。原子力安全・保安院と原子力安全委員会は、基本データが正確でなく推測だということのためらいがあって、(事故直後に)公表しなかったのではなかったか、と聞いている。

 その後、正確なデータが得られるようになったので、文部科学省としてモニタリング結果と組み合わせて放射性物質拡散地図をつくり公表した。私の後付けの判断だが、発表の仕方としては推測のデータを基にしていたけれど、そういうことを前提にSPEEDIのデータは(最初から)公表してもよかったのではないか。SPEEDIのデータが公表されていれば、地域の人々はもっと早く逃げることもできたといったこともあると思う。せっかくのものを生かし切れなかったという反省がある。

文部科学相 中川正春 氏
中川正春 氏
(なかがわ まさはる)

中川正春(なかがわ まさはる)氏のプロフィール
三重県立津高校卒。73年米ジョージタウン大学国際関係学科卒。国際交流基金勤務などを経て83年三重県議会議員選挙(自由民主党公認)で当選。県議3期を務めた後、96年衆院選(三重2区、新進党公認)当選。98年新民主党に参加、現在まで衆院選連続5期当選。野党時代は財務金融と外交防衛分野を中心に活動、政権交代後は鳩山、菅両内閣で文部副大臣に就任、衆院予算委員会与党筆頭理事、民主党外交・安全保障調査会長を務めた後、2011年9月から現職。

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