名古屋高裁が6日、福井女子中学生殺害事件の再審開始決定異議審で、再審開始を認めた高裁金沢支部の決定を取り消したニュースに驚いた。
福井市の自宅で中学3年生の女子生徒が顔などをめった刺しにされて殺された、という1986年の凄惨な事件だ。犯人とされた前川彰司さんは97年最高裁で懲役7年の有罪が確定し、すでに服役を終えている。1審の福井地裁では無罪判決が出たことからも分かるように、決定的な証拠がない。
日本の裁判所が、再審をなかなか認めないことはよく知られている。名古屋高裁金沢支部が再審開始を認めざるを得なかったのは、相応の新しい証拠が弁護側から提出されたことによる。再審請求中に、検察側がようやくそれまで開示していなかった多数の解剖写真を提出しなかったら、この決定も出なかっただろう。弁護側が、法医学者の押田茂實・日本大学名誉教授の協力を得て解剖写真を詳細に調べ、被害者の傷のうちの2カ所は、判決で凶器とされた台所にあった2本の包丁の刃幅では生じない、と結論付けたことが大きい。解剖写真に写っているメジャーから、このような厳密な傷の観察が可能になったという。
名古屋高裁の再審取り消し決定は、これについて「解剖時に短く計測される要因があったことが否定できない」と退けた、と報道されている。このほかの名古屋高裁金沢支部が再審開始の根拠になり得ると認めた弁護側の提出証拠も、ことごとく否定されてしまったというわけだ。
サイエンスポータルの編集に関わって7年弱、反省したことは数限りない。通信社時代、組織の縦割り構造に安住して、取材範囲を広げようとしなかったことについてだ。法医学をはじめ、犯罪防止に関わる科学分野も全く取材しなかった。他の新聞社や通信社を見渡しても、法医学や科学捜査に関心を持って仕事をしている科学記者などいそうもないし。そんな悪しき横並び思考があったことも認めざるを得ない。
足利事件、東電女子社員殺人事件などで強固な裁判所の壁をこじ開け、再審を開始させ、無罪を勝ち取るのに力を貸す。マスメディアに期待されるそんな役割を新聞・通信社の科学記者はどの程度果たしただろうか。
足利事件で菅家利和さんを長年、犯人としてしまったのは、警察庁科学警察研究所の不正確なDNA鑑定結果だった。鑑定に当たった担当者は、菅家さんの長い裁判闘争の最中に自分の誤りに気付かなかったのだろうか。仮にある時点で気づいたとしても、公に認めることはできなかったのでは、と想像する。だれかが完璧に誤りを証明しない限り、菅家さんとその周辺の人たち以外、困る人はいないし、警察、検察、裁判所の大きな失態も明らかにされずに済む、と踏んで。マスメディアが国民的関心事にしない限り、検察や裁判所が進んで誤りを正そうとするなどということは期待できないだろう。
菅家さんや、東電女子社員殺人札事件の犯人とされたマイナリさんの再審開始にも、大きな役割を果たした押田茂實氏に7日電話をしてみた。「びっくり仰天の決定。これからまた長い時間がかかる」。元気な声が返ってきた。あきれはてたが、これで引っ込むわけにはいかない、ということだろう。
新聞・通信社の科学記者も、公正な裁判の実現に力を発揮してもらえないものか。例えば、名古屋高裁が金沢支部の再審開始決定を取り消すには、相応の法医学的な裏づけがあるはず。「妥当な判断」と名古屋高裁裁判長にお墨付けを与えた法医学者に、問い質してくれる科学記者はいないだろうか。