インタビュー

第1回「最初から異様な足利事件」(押田茂實 氏 / 日本大学医学部(研究所) 教授)

2010.05.10

押田茂實 氏 / 日本大学医学部(研究所) 教授

「法医学の役割-安全で冤罪許さない社会目指し」

押田茂實 氏
押田茂實 氏

誤りだったDNA鑑定で、無実の菅家利和さんが長年、殺人犯の汚名を着せられ、自由を奪われていた足利事件が投げかけた問題は大きい。信頼性のないDNA鑑定を信じ込み、後から出された正確なDNA鑑定の意味をなかなか理解しようとしなかった裁判官の科学リテラシーに問題はないのだろうか。科学的な捜査、裁判に大きな役割を果たす法医学は司法の世界で十分、尊重されているのだろうか。長年、法医学の第一線で活躍、菅家さんに対するDNA鑑定の誤りを最初に指摘し、再審、無罪確定への道を開いた押田 茂實・日本大学医学部(研究所) 教授に、法医学の現状と司法界の問題点などを聴いた。

―法医学(者)は、冤罪(えんざい)を防ぎ、国民の安全・安心を脅かす犯罪者を摘発する上で重要な役割を果たすと考えています。国民の信頼、期待を十分受け止められる状況にあるのでしょうか。

1979年に赤石英・日本法医学会理事長と一緒に、警察庁の幹部に法医解剖経費の増額などの要請に行ったときの、その幹部の対応が忘れられません。なんということを言うのか、という表情でした。

法医学は死者を扱います。死者は投票権を持っていませんから、法医学という分野は、責任は重くても社会的な評価はそれほどでもない上に、解剖すればするほど教室が赤字になり経済的にも恵まれないというのが実態でした。例えば、英国などの法医学者に対する国民の見方や処遇などとは大変な違いがあります。それでも私が在籍した東北大学や日本大学では、社会的な責任と期待を十分に感じる後継者がたくさん生まれています。しかし、東京大学、京都大学を初めとする有力大学の医学部で法医学の後継者が長期間途絶え、教授は他の大学出身というところが多い。それが日本の実態です。

私は、東北大学に入学し、たまたま図書館で古畑種基先生(東京大学名誉教授)の書かれた「今だから話そう」という本を読んで、法医学という分野があることを初めて知りました。高校までは文科系の科目が得意だったのです。親に勧められ医学部に入学したのですが、文科系の法学部と医学部が合体した法医学というものがあると知って、にわかに興味がわいて来たわけです。

以来、6年間の医学生時代を含め24年、仙台で過ごし、1985年6月に東北大学医学部助教授から日本大学医学部の教授となりました。凶悪事件の遺体を扱う司法解剖というのは地域割りになっていまして、生まれ故郷の埼玉県が私の責任地域とされました。日本大学に移った2カ月後に御巣鷹山に日航機が墜落する大事故が起きたわけです。当時の日本法医学会理事長から幹事になっていた小生に、現場で犠牲者の遺体識別作業の調整役をするようにという指示が出されました。

日本大学に着任したものの専用の法医解剖室がなかった、というのが当時の実態です。4年かかってようやく法医解剖室ができました。足利幼女殺人事件が起きたのは、法医解剖室ができた翌年90年のことです。ただし、一人の法医学者が扱うご遺体というのは県ごと、つまり地域割りになっているのです。ですから埼玉県担当の私が栃木県で起きた足利事件にかかわるということはあり得ませんでした。

―国でそのように決めているのですか。

国の制度ではなく、実際にそういうことになっているのです。ですから、栃木県で何が起きようと私には関係がないということで、情報も来ません。事件が起きたときには全く興味も持ちませんでした。

後から知ったのですが、この事件は最初から異様なところがあるのです。菅家さんが捨てたティッシュに付いていた体液と被害者の衣類に残された体液のDNA型が一致したということで、菅家さんを任意同行したのが、事件が起きた翌年の12月1日のことです。その夜、自白が得られたとして翌日には、逮捕しています。

DNA鑑定が決定的な役割を果たしたわけですが、問題は、この発表が東京の警察庁で行われていることです。捜査本部というのは事件が起きた警察署に置かれます。この事件の捜査本部も足利警察署です。普通、容疑者を特定したなら捜査本部で発表されるはずです。なぜ、警察庁が発表したのか。DNA鑑定を行った警察庁の科学警察研究所は、最初は足利署からの鑑定要請を、DNA鑑定はまだ研究段階だからという理由で断った、と後で知りました。

この年、警察庁はDNA鑑定のための機器類整備に関する予算要求をしていたのです。しかし、概算要求の段階で削られてしまいました。ところが復活折衝で要求が認められます。それを可能にしたのが、DNA鑑定で容疑者特定という発表で、さらにそれを警察庁の発表通りに報じたマスコミ報道だったのでは、と考えられるのです。予算を復活させるため、まだ研究開発段階にあったDNA鑑定を科学警察研究所に無理矢理依頼したのではないか、という疑いが残るわけです。

そうしたことも今回のケースではきちんと検証されなければならないのですが、いまだになされていません。当時「DNA鑑定はすごい」と持ち上げたマスコミ報道の影響と責任は非常に大きかったわけですから、そうした検証も非常に大事だと私は思っているのです。

(続く)

押田茂實 氏
(おしだ しげみ)
押田茂實 氏
(おしだ しげみ)

押田茂實(おしだ しげみ) 氏のプロフィール
埼玉県立熊谷高校卒、1967年東北大学医学部卒、68年同大学医学部助手、78年同医学部助教授、85年日本大学医学部教授(法医学)、2007年日本大学医学部次長、08年から現職。数多くの犯罪事件にかかわる法医解剖、DNA型鑑定、薬毒物分析のほか、日航機御巣鷹山墜落事故、中華航空機墜落事故、阪神・淡路大震災など大事故・大災害現場での遺体身元確認作業などで重要な役割を果たす。編著書に「Q&A見てわかるDNA型鑑定(DVD付)(GENJIN刑事弁護シリーズ13)」(押田茂實・岡部保男編著、現代人文社)、「法医学現場の真相-今だから語れる『事件・事故』の裏側」(祥伝社新書)、「医療事故:知っておきたい実情と問題点」(祥伝社新書)など。医療事故の解析もライフワークとしており、「実例に学ぶ-医療事故」(ビデオパックニッポン)などのビデオシリーズやDVDもある。

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