インタビュー

第3回「無視された検査報告書」(押田茂實 氏 / 日本大学医学部(研究所) 教授)

2010.05.24

押田茂實 氏 / 日本大学医学部(研究所) 教授

「法医学の役割-安全で冤罪許さない社会目指し」

押田茂實 氏
押田茂實 氏

誤りだったDNA鑑定で、無実の菅家利和さんが長年、殺人犯の汚名を着せられ、自由を奪われていた足利事件が投げかけた問題は大きい。信頼性のないDNA鑑定を信じ込み、後から出された正確なDNA鑑定の意味をなかなか理解しようとしなかった裁判官の科学リテラシーに問題はないのだろうか。科学的な捜査、裁判に大きな役割を果たす法医学は司法の世界で十分、尊重されているのだろうか。長年、法医学の第一線で活躍、菅家さんに対するDNA鑑定の誤りを最初に指摘し、再審、無罪確定への道を開いた押田 茂實・日本大学医学部(研究所) 教授に、法医学の現状と司法界の問題点などを聴いた。

―東京高裁が菅家さんの控訴を棄却したのが1996年5月で、先生がDNA型鑑定の食い違いを指摘した意見書(検査報告書)をまとめられたのが、1997年の9月ということですね。しかし、最高裁は2000年7月に上告を棄却し、菅家さんの無期懲役が確定してしまいます。先生の検査報告書は、どのように扱われたのでしょう。

当然、弁護士から最高裁に提出されました。最高裁には判事のほかに、調査官という人たちがいます。この人たちも裁判官です。菅家さんの上告審を担当していたのは、女性調査官でした。最高裁の調査官をやるくらいの人は将来有望な人たちでしょうから、その後、出世するのは当然ということでしょう。

この調査官に控訴審途中から弁護団に加わった岡部保男弁護士が4回会って、DNAの再鑑定をするよう要請しています。岡部弁護士は数々の再審無罪事件に携わった専門家です。「押田報告書はいい加減なものではない。再DNA鑑定を施行しなかったら裁判所は10年後に恥をかきますよ」とまで言っているのです。4回目の時も、調査官はあいまいな返事を繰り返すばかりで、この日の10日後に最高裁は上告棄却の判決を出しました。

この調査官は、私の検査報告書を最高裁の裁判官に見せていなかったのではないか、ということが後になって判明します。日本で最初にDNA鑑定を認めた事件ということで注目されていましたから、この調査官は後で、DNA鑑定に関する論文も出しています。その論文の中にも私の検査報告書については何ら触れられていません。要するに調査官は私の検査報告書を無視したか、それを出してしまうと判決が書けなくなってしまうことを恐れたので無視せざるを得なかったのかと推測されます。

―判決を出した最高裁の裁判官は、有罪の決め手となったDNA鑑定書が間違っている可能性があることを知らなかった、ということになるのですか。

実は昨年10月21日のテレビ朝日「報道ステーション」で当時、判決にかかわった元検察官の最高裁裁判長がアナウンサーの取材を受けて、私の検査報告書について「それは別の事件だ」と答えているのです。これは、私の検査報告書が調査官の手元で止まっており、最高裁の裁判官には伝えられていなかったことを裏付けるのではないかと思われます。

当時はそういうこととは知りませんでした。とにかく、上告棄却となってしまったので、これは再審をするしかないと思いました。それで再審請求を出したのですが、再審というのは新しい証拠がなければ請求できないのです。不本意な話ではありましたが、上告棄却決定の中には、無視された私の検査報告書のことは書かれていません。ですから、本当はとっくに裁判所に提出していた私の検査報告書が再審請求の新しい証拠として使えたわけです。

再審請求をしたのが、上告が棄却された2年半後の02年12月です。宇都宮地裁がこの再審請求を棄却するのが5年以上たった08年の2月です。嘆かわしいことに、この間に殺人事件の時効が成立してしまいました。

宇都宮地裁による請求棄却の理由を読んで驚きました。今度は私の検査報告書に対して「(毛髪の)来歴に関する裏付けがなく、証拠価値は乏しい」としているのです。それなら保存してある菅家さんの髪の毛を調べればよいし、私に聴けばよいわけです。「証人として私を尋問してほしい」と請求したのにこれも却下です。私は、東京地裁の親子鑑定などを多数やっているのですから、ちょっと調べればすぐ分かることなのに、信用できないとしてしまっているのです。

ここに至って、マスコミもようやくおかしいと動き出します。判決が出た直後にテレビ朝日が「スーパーモーニング」で「裁判長。異議あり」という足利事件に関する番組を放映しました。DNA鑑定に対する新証拠に対して、証拠価値が乏しいとは何事か、ということです。それから、「どうもおかしい。裁判所は何で確かめないのか」という声が高まってきました。わずか数年前には、私が言うことに対して「負け犬の遠ぼえ」という扱いだったマスコミの中から、そうでない人たちがたくさん出てきたわけです。

(続く)

押田茂實 氏
(おしだ しげみ)
押田茂實 氏
(おしだ しげみ)

押田茂實(おしだ しげみ) 氏のプロフィール
埼玉県立熊谷高校卒、1967年東北大学医学部卒、68年同大学医学部助手、78年同医学部助教授、85年日本大学医学部教授(法医学)、2007年日本大学医学部次長、08年から現職。数多くの犯罪事件にかかわる法医解剖、DNA型鑑定、薬毒物分析のほか、日航機御巣鷹山墜落事故、中華航空機墜落事故、阪神・淡路大震災など大事故・大災害現場での遺体身元確認作業などで重要な役割を果たす。編著書に「Q&A見てわかるDNA型鑑定(DVD付)(GENJIN刑事弁護シリーズ13)」(押田茂實・岡部保男編著、現代人文社)、「法医学現場の真相-今だから語れる『事件・事故』の裏側」(祥伝社新書)、「医療事故:知っておきたい実情と問題点」(祥伝社新書)など。医療事故の解析もライフワークとしており、「実例に学ぶ-医療事故」(ビデオパックニッポン)などのビデオシリーズやDVDもある。

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