オピニオン

刑事事件における検察官(警察官)の証拠の取り扱い《押田茂實 氏 / 日本大学名誉教授(法医学)》

2011.12.22

押田茂實 氏 / 日本大学名誉教授(法医学)

日本大学 名誉教授(法医学) 押田茂實 氏
押田茂實 氏

 小生は1968年に東北大学医学部法医学教室の助手に任命され、その後に助教授となり17年間国家公務員として、法医学分野の研究・教育とともに法医学実務者として宮城県および山形県内の凶悪事件の法医解剖を分担してきた。その間に1978年上半期には法医学会より派遣されて第23代の沖縄県法医学顧問として沖縄県内の各種事件の法医解剖等を半年間分担した。

 1985年6月より日本大学法医学教授となり、出身地の埼玉県内の各種事件の法医解剖を担当してきた。2008年に定年となり、研究所教授(法医学)であったが、今年2011年4月に日本大学名誉教授(法医学)となっている。この間40年にわたり犯罪またはその疑いのあるご遺体を解剖する司法解剖を約2,000体施行し、さらに死因究明のための承諾解剖も分担してきた。この結果、宮城県・沖縄県・埼玉県警察本部長やさいたま地検検事正より感謝状を、さらに2008年3月には警察庁長官より協力章を授与されている。

 前半の宮城県・沖縄県・埼玉県の警察官や検察官は誠実に勤務をこなしており、捜査に関する取り組みには特に問題を生じたことは少なかったが、後半の約10年間には警察官や検察官の捜査に取り組む姿勢や対応にはさまざまな問題(なすべき捜査を十分施行していない、捜査官と鑑定医で十分な科学的検討が行われないなど)が表面化してきた。1998-2003年には日本法医学会理事を務め、日本大学内でも企画担当・学生担当、医学部次長などの要職を務めるようになってきた。

 このような状況の中で、著名な事件の再鑑定を依頼されることも多くなってきた。前述の4県以外の地方の事件では、それまでの経験では考えられないような刑事証拠物の取り扱いによる刑事判決や事例に出会い、ビックリすると同時に怒りを感じるようなケースにも出会った。

 その一例が山中温泉事件(1972年7月発生)である。一審・控訴審で死刑であったが、東北大学の学生寮で一緒であった同学年の菅野昭夫弁護士が金沢から訪ねて来たのである。書類を検討し、それまでの科学的な証拠の問題点を整理し、しかるべき法医学専門家を紹介し、鑑定してもらった結果、最高裁(1989年)で差戻し、1990年7月に名古屋高裁で無罪となったのである(詳細については「法医学現場の真相」(祥伝社新書)参照)。

 この事件に関連して関与することになったのが、福井女子中学生殺人事件(1986年3月発生)である。翌年3月に当時21歳の被疑者(前川彰司氏)が逮捕され、一審(1990年)では殺人に関して無罪であったが、その後控訴審(1995年)では懲役7年に変更され、最高裁に上告していた。弁護団より鑑定を依頼され、事件記録と判決を検討し、常識では考えられない状況が判明した。殺人事件の司法解剖を施行した場合には、鑑定人(通常は法医学教授や准教授)が鑑定書を提出するのが常識である。しかし、本件鑑定書には数枚の図が貼付されていたが、司法解剖写真が一枚も貼付されていなかったのである。司法解剖に立ち会った警察官は解剖立会報告書を作成するが、こちらの書類にも図が貼付され、写真が一枚も無かったのである。

 このような状態は近代刑法の施行されている状況において考えられない奇異な状況であると記載して、損傷と凶器とされている2丁の包丁に矛盾があるとする意見書を1996年8月に提出した。最高裁(1997年11月)では控訴棄却で有罪が確定したが、足利事件の最高裁決定(1996年5月)と同様に押田鑑定に関しては1行も触れられていなかった。

 その後の再審請求中に、それまで一切裁判に出ていなかった多数の司法解剖写真が提出されてきたのである(2008年夏)。名古屋高裁金沢支部で提出された解剖写真などを弁護士と一緒に見分した結果、とんでもないことが判明した。

  1. 現場写真に撮影されている被害者の右手指(手背側)には血痕の付着が確認できなかったが、開示された解剖写真の右手第4・5指中節部(手背側)に明らかな血痕の付着が確認された。
  2. 頭蓋(がい)底には、「右前頭蓋窩(か)から頭蓋底を通り左破裂孔に達して終っていた」と記載される骨折が図に記載されていたが、それ以外に右前頭蓋窩に写真で明らかに存在する骨折が記載されていない。
  3. 現場写真では大きな血痕の付着した白い布団カバー(内部に布団)が写っていたが、開示された証拠物の布団には布団カバーが無く、布団がむき出しとなって保存されていた。そこで、さらに詳しく検討したところ、
  4. 現場写真では和(整理)タンスの前に存在しない血痕が、その後の現場写真には1個存在していた。
  5. コタツ台の下の血痕の写真には写っていないが、その後の写真では血痕が少なくとも4個増えていた。
  6. 電気カーペット用上敷(青色)の上に電話機が載っていたが、その後の写真では、電気カーペット用上敷(青色)から外れていた。
  7. 現場検証中に被害者のブラウスのボタンを外して撮影した写真があったが、剖検写真冒頭の写真では元のように戻した状態となっていた。

 このように、撮影された写真が新たに開示されたことにより、ずさんな現場観察状況や解剖結果との違いが明らかとなり、それを踏まえて詳細な検討が可能となった。つまり、写真に写し込まれたメジャーにより原寸大に拡大した損傷の観察が可能となり、各方向から撮影した写真により立体的に損傷の詳細を検討することも可能となったのである。このような経過と結果をまとめて意見書(2)を提出したのが、2009年5月1日であった。その後、検察側と理解不可能(不快・下品)なやりとりがあったが、今回は割愛する。

 今年1月7日と20日の2回にわたる鑑定人(弁護則・押田、検察側・石山)尋問を経て、再審開始決定となった(2011年11月30日午前9時30分)。再審開始決定は全体で67ページ、本文52ページであり、(1)新証拠の新規性、(2)被害者の刺創(法医学的に確定判決の判断には合理的な疑問がある)、(3)血液反応(新証拠のルミノール反応に関する押田実験によると、ダッシュボードに血液が付着していたことを前提とする確定判決の事実認定には合理的な疑いが生じている)、(4)犯人像(確定判決が認定する心神耗弱状態の者による行為ではない)など、小生の意見書・鑑定書で指摘した問題点が完全に取り入れられていたので、大きな驚きを持って熟読した。

 なお、本件に関しては名古屋高検が「異議申し立て」を12月5日に行ったので、今後は名古屋高裁で審議される予定となり、第3ラウンドが開始されている。

 足利事件(1990年5月発生)では、1年後に当時施行されたDNA型鑑定で菅家氏は逮捕された。控訴審(無期懲役)後に拘置所内から送られてきた菅家氏の毛髪のDNA型鑑定により、判決で指摘されたDNA型と異なるとする押田検査報告書(1997年9月)を提出したが、最高裁(2000年7月)で無期懲役が確定した。その後長期間の再審請求裁判により結果的に最先端のDNA型鑑定で無罪(ではなく無実)が確定したのが、2010年3月であった。少なくとも1997年以降の10年余の期間は刑事裁判の現実的な対応の無能さを表しているといえよう。

 布川事件(1967年発生)の再審請求では、事件発生43年後に検察官がDNA型鑑定を申請してきたので、却下させて無罪判決(2011年5月)に至ったのである(2010年8月23日オピニオン「DNA型鑑定犯罪捜査応用のあるべき姿」参照)。この件では何と再審裁判になって多数の証拠が公判に提出されていなかったことが判明し、これらの証拠によって事件後44年で、無罪判決となったのである(この間杉山卓男氏と桜井昌司氏は29年間刑務所で懲役となっていたのである)。

 東電OL殺人事件(1997年3月発生)では、ネパール人のG氏が逮捕されたが、一審無罪(2000年4月)、控訴審(2000年12月)で逆転無期懲役となった。上告中に精液の鑑定を小生が依頼され、在日ネパール人5名と日本人3名の精液について、事件発生当時の時期に合わせて1カ月に及ぶ実験を行い、事件現場で発見された精液の変化は20日以上経過している(つまり犯人ではない)ことを記載した鑑定書を提出した(2001年7月)。

 しかし、最高裁(2003年10月)は無期懲役を確定させたのである。その後の再審請求により、被害者の体液と現場の毛髪のDNA型鑑定により、G氏と異なる新たなDNA型が発見されたと報道されている(読売新聞2011年7月21日、7月27日)。さらに被害女性の胸からG氏と異なる0型の唾液を検出しながら、証拠開示していなかったとされている(読売新聞2011年9月4日)。つまり、最高裁決定までの時期に最先端のDNA型鑑定を実施できる状況にありながら施行せず、「再審裁判になってからDNA型鑑定を施行する」ということの異様さに驚くばかりである。

 米国の刑事裁判に詳しい菅野昭夫弁護士は、「何度も米国の刑事裁判を傍聴し、裁判官や弁護人などと懇談してきましたが、連邦最高裁の判例によれば検察官は被告人に有利な証拠でも開示義務を課されていて、証拠を隠匿すれば法廷侮辱罪で刑事責任が問題となる米国の制度(それでも実際には検察官による証拠の隠匿がまれではないそうです)から見て、日本の刑事弁護士は、検察官手持ちの証拠の内容も分からずに弁護しなければならないとは、まるで手品をしているようですねと、彼らから揶揄(やゆ)されてきました。福井事件、東電事件など、今後の刑事司法改革の方向を示すものと思います。」と述べている。

 NHKの取材を受けて、福井事件の再審決定当日(11月30日)の夜に放映された「クローズアップ現代」で、小生は「(凶器が)損傷と矛盾しないかと聞かれれば、それは明らかに矛盾していますよ」「前川さんが犯人だということが実証されていないということです」と述べた。この番組後半では、実際に米国で、開示された証拠により無罪となった実例が放映され、木谷明氏(元高裁裁判官、法政大学法科大学院教授)の「検事が持っている証拠を全部見せろというのが無理なら、どんな証拠を持っているか、一覧表で出しなさいと、リストの開示を命ずるということぐらいはしてもいいんじゃないかと思うんです」というコメントは胸に響くモノであった。

 大阪地検特捜部の証拠品の改ざんのみならず、その後の対応を巡る刑事裁判が注目されており、検察官(警察官)手持ちの証拠品、特に弁護側に有利な証拠の開示を巡る裁判員裁判での評価に厳しい目を向ける必要があろう。

 刑事裁判では、真相究明が目的ではなく、公判に提出された証拠に基づいて有罪・無罪を判断するのだと言われている。われわれ法医学者は、科学的な証拠により犯人には負うべき責任を負ってもらうことが重要と認識し、事件の真相究明に少しでも法医学的知識を有効に生かしてもらいたいと思ってご遺体を法医解剖している。一方で、冤(えん)罪は決して許されないと思いながら科学的手法で再鑑定にも真剣に取り組んでいるが、もちろん犯人を見逃すようなずさんな鑑定や捜査を許容するわけにはいかないとも思っている。

日本大学 名誉教授(法医学) 押田茂實 氏
押田茂實 氏
(おしだ しげみ)

押田茂實(おしだ しげみ)氏のプロフィール
埼玉県立熊谷高校卒、1967年東北大学医学部卒、68年同大学医学部助手、78年同医学部助教授、85年日本大学医学部教授(法医学)、2007年日本大学医学部次長、08年医学部(研究所)法医学教授、11年日本大学名誉教授(法医学)。2012年1月神楽坂法医学研究所を開設予定。数多くの犯罪事件にかかわる法医解剖、DNA型鑑定、薬毒物分析のほか、日航機御巣鷹山墜落事故、中華航空機墜落事故、 阪神・淡路大震災など大事故・大災害現場での遺体身元確認作業などでも重要な役割を果たす。編著書に「Q&A見てわかるDNA型鑑定(DVD付) (GENJIN刑事弁護シリーズ13)」(押田茂實・岡部保男編著、現代人文社)、「法医学現場の真相-今だから語れる『事件・事故』の裏側」(祥伝社新書)、「医療事故:知っておきたい実情と問題点」(祥伝社新書)など。医療事故の解析もライフワークとしており、「実例に学ぶ-医療事故」(ビデオパック ニッポン)などのビデオシリーズやDVDもある。

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