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論文数減少と国立大学法人化の関係

2012.06.29

 現在、国立大学財務・経営センター理事長で、三重大学学長や鈴鹿医療科学大学副学長を務めた経歴を持つ豊田長康氏の27日付ブログ「あまりにも異常な日本の論文数のカーブ」が、ウェブ上で大きな反響を呼んでいる。

 豊田氏が取り上げているのは、国際医学・科学技術出版社「エルゼビア社」の学術文献データベース「スコーパス」による国別学術論文数を示すグラフだ。氏が委員を務める総合科学技術会議「基礎研究および人材育成部会」で配られたという。

 グラフによると、米国、中国が飛び抜けて多くの論文を発表しており、それも年々、増え続けている。ほかの主な国々も年々、論文の数を増やしているのに対し、唯一、日本だけが2007年から減少に転じている。減少に転じる前の05年から既に論文数の増加は鈍化しており、これは04年に始まった国立大学の法人化に関係あると考えるほかないだろう、というのが豊田氏の主張だ。

 国立大学法人化の目的は、各大学の裁量を増やすこととされている。論文の減少は裁量を増やしたことによるものではなく「法人化と同時期になされた、運営費交付金の削減、新たな運営業務の負担増、特に附属病院における診療負担増、政策的な格差拡大による2番手3番手大学の(研究者×研究時間)の減少、などが影響したのであろう」と、氏は書いている。

 これに対するコメントの数から、この問題に関心を持つ人の多さが分かるのではないだろうか。

 「書いて書庫に眠る論文なら、少なくなることはさして問題ではないと思う」「むしろ、(日本以外の)すべての国で一様に増加していることのほうが異常に思える」「法人化とくっつけて述べるのは乱暴じゃないか」といった冷めた意見もあるが、大多数は豊田氏の主張に賛同、あるいは主張を補強するコメントが並んでいる。これら多数派に共通するのは、国立大学法人化と若手研究者の研究環境悪化の時期が重なると見ていることだ。

 「年を取って不良資産化した連中をクビにできないシワ寄せによって入り口が絞られまくり、その代わりにPD(ポスドク)職で数年間のスパンで一時的な成果を量産させようとしたのが2000年代」

 「旧帝大から地方大学に転勤になったとたん、研究の内容に変更がないにも関わらす、急激に科研費の採択率が下がるのは周知の事実」

 「教員数削減により、地方大学では教授が数名やめたって、助教を雇うことはない」

 「次の契約までに研究結果が出ず、職を失う危険と隣り合わせの状況に追いやられた若手研究者が多く存在する」

 「PD職では教授に手足として使われ、データを吸い取られ、終わったら就職あっせんもなく、ポイ捨て。非常勤講師で食いつなごうにも、地方中核都市ではコネ次第。アカデミック職に就くのもコネ次第。週6コマ講義しても、手取り15万円もない」

 「若手研究者の数・アクティビティーの減少のほかに、既存の研究者が研究以外の雑用に忙殺されていることもある。秘書を含めて事務職員を大学が削っているのが主因」

 科学政策に関わる指導的立場の人々に、こうした若手研究者の窮状を打開し、若手研究者から価値ある論文が数多く出てくるようにする秘策はあるのだろうか。

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