東日本大震災は想像を絶する被害をもたらしました。「地震、雷、火事、おやじ」とは日本の災害を象徴する言葉ですが、今回は地震に伴う津波で多くの人命が失われました。防波堤や防潮堤をやすやすと越えて、町や村、家屋や車、そして人を飲み込んでいく様子がリアルタイムで捉えられ、大きな衝撃を与えました。
かつてイギリスの宰相チャーチルは「ひとりの死は悲しみである。しかし、10万の死は統計である」という冷たい名言を残しました。今回被災された方々、その御家族、知人の皆様にとっては、とても「統計」として片付けられない災害です。6月11日現在、死者・行方不明者の数は2万3,482人に上っています。
地震と津波は「絶対安全」といわれた原子力発電所にも容赦なく襲いかかりました。「安全神話」崩壊の瞬間です。日本がプレートの最先端に乗った世界でもっとも地震の多い国であることを、あらためて思い知らされました。地震学者によると、世界の地震の10%は日本および近海で起きるのだそうです。
震度6の地震と高さ14メートルという「想定外」の津波に襲われた福島第一原子力発電所は、原子炉の停止には成功したものの、津波によりすべての電源を喪失、「最悪の事態」を回避するための「注水」が高レベル放射性廃液を発生し続けるというジレンマの中、危機的な状況が続いています。「想定外」とはいえ「想定」するのもまた人間です。人間の技術や思考は自然の猛威の前にあえなく敗れ去ったのでしょうか?
原発事故に伴って、気体・液体の放射性物質が大気中や海に放出されました。原発事故の大原則である「止める、冷やす、閉じ込める」のうち、原子炉を「止める」ことには成功しましたが、原子炉の「冷却」に失敗、放射性物質を「閉じ込める」こともかなわず、チェルノブイリと並ぶ最悪の事故となってしまいました。チェルノブイリで「移住」が勧められた1平方メートルあたり55万ベクレルを超える土地は800平方キロメートルに及び、放射性のヨウ素やセシウムが降り注いだ国土は、関東広域を含めその数倍にも達しています。
3月12日に起きた1号機の水素爆発、14日に起きた3号機の水素爆発の映像も衝撃を与えました。国民がほぼリアルタイムで原発事故を目撃した世界で初めての例です。福島第一原発の事故は、3つの原子炉と4つの使用済み燃料プールが同時に危機的状況に陥るというという極めて複合的な事故です。それは現在も続いています。
「20キロ避難区域は安全か?」「米国政府は80キロ退避の命令を出したが東京は大丈夫か?」「妻子だけは関西に逃がすべきか?」「放射性物質が検出された水は飲めるのか?」「ホウレンソウは食べられるか?」「最悪の事態になるとどうなるのか?」
当事者である東京電力、原子力開発を国策として推進してきた政府、それを支えてきた官僚、そしてメディアも大きく信頼を失いました。
人々の不安は理にかなったことです。「本能」といってよいかもしれません。その不安に拍車をかけた原因は、すべての関係者にあります。繰り返し表明された「直ちに健康に影響はない」という発言の裏に何があるか、人々は直ちに見抜いてしまいました。
「建屋は爆発しても原子炉は健全です」「炉心は損傷していても健全性は保たれています」「政府の発表に従っていれば、食品の安全に問題はありません」「避難区域の人たちはそろそろ自宅に戻っても大丈夫でしょう」
メディアに登場する「専門家」の言葉には、誰も信頼を置かなくなりました。人々は「専門家」もまた、政府や電力会社と同様に、「戦犯」だと思っています。「戦犯」がしたり顔で解説する「戦局」に人びとが信頼を置くはずがありません。
官邸、原子力安全・保安院、東京電力、原子力安全委員会それにあまたの「専門家」の説明は、到底、幅広い人々に理解してもらうための言葉では語られていません。専門用語が飛び交うだけではありません。そもそも彼らには「人々に理解してもらおう」という気持ちが全く感じられません。「原発のことは俺たちしか分からない」そんなおごりが見て取れました。そのおごりこそが今回の悲劇を増幅しました。
フランスの哲学者で、かつてミッテラン大統領を支えたジャック・アタリは、事故発生からわずか3週間後に、FUKUSHIMAが人類最大の危機であること、日本が国土の一部を失うだけでなく、世界に影響が及びかねないこと、日本の主権を無視してでも、FUKUSHIMAを救うために世界のすべての英知を結集したコンソーシアムを設立して、解決を図るべきだと訴えました。危機に直面したときの彼我の知識人の認識がかくもかけ離れていることに、暗たんたる思いに駆られます。
3.11以前にはひとり一人が日常的に原発を意識する機会はおそらくあまりなかったでしょう。特に都市生活者には…。しかし、これからは「原発と共存できるか」ひとり一人が考え、行動しなければなりません。未曾有の事故を経験してなお、「だからより安全な原子力開発を続けるべきだ」という考え方と、「脱原発」のせめぎあいが、まだ事故が収束していない現在から既に始まっています。
環境中に放出され、都市や田畑に降り注いだ大量の放射能について考えるだけで、途方にくれてしまうのは私だけではないでしょう。敷地内で増え続ける10万トンを超える高レベル放射性廃液の恐怖におののいているのも私だけではないでしょう。すでに存在する54機の原発への不安は、人びとに共通の認識です。
かつて著名な科学者が「原子力を恐れるものは、火を見ておののく野獣のごとし」と発言して、大きな批判を浴びました。原子力基本法にある「民主、自主、公開」の理念を踏みにじってきたツケが、いま回ってきました。放射能にまみれた国土を未来に残すことはできません。収束しない事故を引きずったまま未来を語ることはできません。
事故を収束させるためにあらゆる英知を結集すること、既に汚染した国土を回復するためにあらゆる手段を講じること、そして関係者すべての責任を明確にすることが必要です。そのためにはリーダーが必要です。
「原発に賛成か?反対か?」不毛な二元論は明るい未来を生みません。「教訓」と呼ぶにはあまりに大きな災害ですが、「見て見ぬふり」をすることは許されません。「3.11」後の海図なき未来を生きるには、私たちが自分で考え、自分で判断し、そして自分で行動する以外に道はありません。
倉澤治雄(くらさわ はるお)氏のプロフィール
新潟県生まれ、開成高校卒。1977年東京大学教養学部基礎科学科卒、79年フランス国立ボルドー大学大学院修了(物理化学専攻 修士相当)、80年民放入社。敦賀原発放射能漏れ事故、チェルノブイリ原発事故、原子力船「むつ」などを取材。環境問題、宇宙開発、国際問題などルポ多数。現在、民放報道局で原子力、IT関連、国際問題などを取材。著書は「われらチェルノブイリの虜囚」(共著、三一書房)、「原子力船『むつ』虚構の航跡」(現代書館)。