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古環境復元し地球の未来探る(川幡穂高 氏 / 東京大学大学院 新領域創成科学研究科 教授)

2010.02.12

川幡穂高 氏 / 東京大学大学院 新領域創成科学研究科 教授

東京大学大学院 新領域創成科学研究科 教授 川幡穂高 氏
川幡穂高 氏

 陸奥湾で数千年間の定量的環境復元を行った。定量的環境復元というのは、温かい寒いといった表現でなく、例えば3.4℃というようにデジタルで温度復元をすることで将来数値モデリングでも使用できように環境復元をすることを目的としている。1990年ごろから古気候・古環境の分野で有力になった研究手法だ。

 1992年以降、青森県の三内丸山遺跡発掘調査でそれまでの縄文時代に対する見方を一変する巨大な集落跡や大型掘立柱建物跡が姿を現し、大きな関心を呼んだ。では、なぜこのような大集落がある時点で姿を消してしまったのか。この謎を解くためにわれわれがとった方法が、当時、遺跡周辺の気候がどのようなものかを定量的そして時間的に連続的に環境復元の手法で確かめようというものだった。

 結果は、想像していた通りだった。三内丸山遺跡が栄えた約5,000年前は、一帯の気温が現在より2.0℃ほど温暖化していてクリなどもたくさん実っていたことが花粉化石より分かった。しかし、4,200年前に気温・水温が突然寒冷化(2.0℃)したため、人々は遺跡を捨ててどこかへ散逸したと思われる。興味深いことに同時期、東アジアの文明も衰退しているのである。気候変動が関係したに違いない。

 こうした研究成果から心配されている温暖化した地球の姿を推測することが可能だ。今世紀末までに気温は2℃ぐらい上昇すると予想されるが、農林水産業には大きな影響が出るかもしれない。

三内丸山遺跡の特徴

 三内丸山遺跡は青森市に位置する日本最大級の縄文集落跡で、巨木を用いた高層建築、広い交易範囲など高い文化が特徴だ。狩猟採集を糧に移動生活をするという従来の縄文人の生活観を大きく変えたという点で注目されている。発掘調査によると、集落は約5.900年前に成立し、その後規模は拡大した。しかし、約4.200年前に人々が遺跡を放棄した理由は分かっていない。

日本全国とのトレンドの一致

 日本全体の人口は縄文時代最初期(12.000年前)で約2万人、遺跡が存在した縄文時代中期に最大(約26万人)に達し、晩期には減少(約8万人)した(小山・杉藤、1984; 小山、1984)。三内丸山遺跡の盛衰のトレンドは、全国のトレンドと一致するので、何らかの共通の環境的な要因が関係していると言われてきたが、連続的で定量的な環境記録の復元はほとんどなされていない。

遺跡に近い海での環境復元の大きな利点

 三内丸山遺跡からわずか20キロ離れたところに位置する青森県・陸奥湾の堆積物(北緯41度、東経140度46分、水深61メートル)を採取し、環境復元を行った。陸と違い、海の試料は連続的に環境を記録しており、正確な年代や水温決定ができるという利点がある。堆積(たいせき)物中のアルケノンという海に生息するプランクトンが生産する有機化合物を調べることで、堆積物がたまった年代の水温が分かるのだ。水温が分かると、青森市では気温と水温との間に非常に正の相関があるので、気温の変化を割り出せる。

遺跡の成立原因

 ここ結果、約5,900年前に三内丸山遺跡付近の陸の気温が急に上昇して暮らしやすくなったことが裏付けられた。特に、ドングリやクリなどが繁茂し、その実りを享受できるようなったことが大きい。遺跡からさまざまな魚類の骨が出てきたことから推測されていたが、海産物の生産も増加したことが水温からも説明できる。

遺跡の衰退原因

 では、巨大な集落が消えてしまった理由は、こうした研究結果から導き出されるだろうか。

 4,200年前には急激に寒冷化したことが分かった。特に、海水は2.0℃の下降を示した。2℃という気温・水温差は緯度方向の距離で約230キロに相当する(青森-仙台間あるいは青森-酒田間)。大きな実のなる(商業目的の)クリ林は、現在山形県あるいは宮城県南部以南にしか見られないので、縄文中期には、青森でも立派な実のなるクリ林が存在し、三内丸山遺跡の人々も食料も潤沢であったことが伺える。しかし、突然の寒冷化により、クリなどの陸上の食料生産は激減したに違いない。陸上動物も同様に減少し、遺跡の人々の食料確保に深刻な影響を与え、遺跡の衰退をもたらしたと思われる。この気候の寒冷化は日本全国で起こり、縄文人の人口減少の重要な原因であった可能性が高い。

世界の文明盛衰とのリンク

 中国の長江周辺、西アジアのメソポタミアなど世界の文明においても、ほぼ同じ時期(4,000-4,300年前)に衰退が報告されている。このようにアジアの中緯度域でほぼ同時に文明が衰退していく原因は、アジアモンス−ンの寒冷化あるいは乾燥化などのさまざまな影響といえるかもしれない。

 現代の地球温暖化では、世界各国が環境の保全と経済の発展が地球規模で両立する社会の構造に変える努力をしたとしても今世紀中に世界の平均気温が約2℃上昇すると推定されている。われわれの研究結果が示すものは、年平均気温での2℃という気温変化、しかも速いスピードでの変化は、一次産業などが主体の共同体では大きな衝撃をもたらす可能性が高いということにほかならない。

 低炭素化社会へ向けての取り組みは一刻の猶予もないということだ。

三内丸山遺跡における水温、気温(花粉分布)の変遷
第1図. 三内丸山遺跡における水温、気温(花粉分布)の変遷。
4,200年前に水温が急激に下がったことがわかる。
2℃という水温、気温差は緯度方向で230kmに相当する
第2図. 2℃という水温、気温差は緯度方向で230kmに相当する。
縄文中期には青森県でも立派な実のなるクリ林があったと考えられる。
東京大学大学院 新領域創成科学研究科 教授 川幡穂高 氏
川幡穂高 氏
(かわはた ほだか)

川幡穂高(かわはた ほだか) 氏のプロフィール
1978年東京大学理学部化学科卒、84年東京大学大学院理学系研究科理学博士取得、通商産業省工業技術院地質調査所入所、96年東北大学理学部大学院教授併任、改組により産業技術総合研究所地質情報研究部門に。2005年から現職。専門分野は水環境(陸海)、物質循環、古環境・古気候。

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