「社会の期待にこたえるアカデミーに」
持続可能な社会、持続可能な地球をつくるために、知を再構築し幅広く活用することが強く求められている。科学者の役割が一段と高まっている時代と言える。「社会のための科学」を明確に打ち出した「科学と科学的知識の利用に関する世界宣言」(ブダペスト宣言)が、世界科学会議で採択されて今年はちょうど10年目にあたる。日本の科学者を内外に代表する機関である日本学術会議は、アカデミーに対する国民の期待にどのようにこたえようとしているのか。金澤一郎・日本学術会議会長に聞いた。
―学術会議は2005年の第20期(前期)から新しい体制で再スタートを切ったわけですが、提言するだけでなく、実現を目指すフォローアップ重視という声が高まってきただけでも改革の意義はあったように見えますが。
全米科学アカデミーのような終身会員制にすると日本では必ず活動は停滞してしまうでしょう。新しい体制では70歳という会員の定年が設けられました。しかし、その結果、それぞれの機関で要職にある現役の科学者が多くなってしまい、皆忙しいので委員会に人が集まらず流れてしまうということも起きました。黒川清・前会長も70歳定年制のためやめられて、その後、内閣特別顧問という要職に就かれましたね。70歳定年制というのも、本当によかったのか、ということになるかもしれません。
日本では65歳になったら給料を少し下げる、70歳になったらもう少し下げる、ということでもいいからアクティブな人にはもっと働いてもらうというのはどうだろう。大体そのころになれば給料など多くなくても、という人も多いはずです。
しかし、会員数210人というのは、中途半端な数ですね。全米科学アカデミーの会員2,000人に比べると、同じことをやるには少なくとも1,000人の会員が必要でしょう。会員のほかに連携会員が2,000人いますが、2,000人が本当に動けるようにならないと、政府からのすべての諮問や審議委託にはこたえることはできないでしょう。現在は会員、連携会員すべてが兼任です。将来的には専任を置いた方がよいという考えもあるでしょうね。
―学術会議や科学者の中立性ということについて再度伺います。
日本では幸い学術の重要性を理解してくれる方は多いと思っております。企業を含めてです。企業から研究費をいただくと、科学的な議論がゆがむか、といえばすべてがそうであるとは思えません。米国では500万円以上もらうとコンフリクト・オブ・インタレスト、利害相反ということになっています。500万円以上企業などからお金をもらった人は、評価にかかわってはいけないということです。日本も米国にならおうとしていますが、日本は米国とは別の考え方でやったほうがよいと思います。米国は金額で線を引こうとしているわけですが、お金をもらっていけないというなら金額の高い低いに関係ないのではないでしょうか。
私は大事なことは専門家の意見は聞くべきだ、と思います。意見を聞いた後、その意見にバイアス(先入観)があるかどうかの判断を、別の人がやればいいということです。タミフルの安全性が問題になったときに製薬会社から研究費をもらっていたからとたたかれた人がいましたが、まさにあの人が専門家なのです。研究費をもらっているといっても生活費をもらっているわけではありません。そういう人たちは信用しないとなると、判断の際に専門家は誰もいなくなるということになりかねません。冷静に考える必要があります。
米国のようにいくら以上もらっているかではなく、もらった額にかかわらず専門家は専門家として扱うべきです。過度の潔癖さを要求して本質を見誤るべきではありません。そうでないとすべてを素人が判断することになってしまいます。同じようなことはいろいろな場面で見られます。患者主体の医療といいますが、それは患者を大事にして人間らしく対応しようということです。一部に見られているように患者の言うことがすべてに優先するということになったら、自分のクローンをつくってほしいという要求にだって従わなければならないとなってしまいます。
専門家と一般の人々のかかわり方はどうあるべきか、についても学術会議が積極的に発言していく役割は非常に大きいと思っています。
外国の考え方を取り入れるのが妥当かどうかに関しては、研究成果の評価の問題もあります。今、大学や独立行政法人では、任期付きのポストをどれだけたくさん作っているかが評価対象になっています。少ないと評価が低くなるため、無視することもできません。しかし、それが日本の文化になじむのかどうか、じっくり考える必要もあるのではないでしょうか。
(続く)
金澤一郎 氏のプロフィール
1967年東京大学医学部卒業、74年英国ケンブリッジ大学客員研究員、76年筑波大学臨床医学系講師、79年同助教授、90年教授、91年東京大学医学部教授、97年東京大学医学部附属病院長、2002年東京大学退官、国立精神・神経センター神経研究所長、03年国立精神・神経センター総長、06年から現職(08年10月再任)。総合科学技術会議議員。02年から宮内庁皇室医務主管。07年から国際医療福祉大学大学院副大学院長も。専門は大脳基底核・小脳疾患の臨床、神経疾患の遺伝子解析など。