科学と社会シンポジウム「現代を見る目、めざす未来~食と健康のコミュニケーション」(2008年10月25日、日本科学技術ジャーナリスト会議、科学技術振興機構、サイエンス映像学会)基調講演から
日本が今ターニングポイントにあるという指摘は正しいと思う。近代化の過程において最初のターニングポイントは明治維新で、西洋の学問、文化をうまく取り入れた。次のターニングポイントは、太平洋戦争で負けた年だろう。明治維新から87年、西洋ではものすごい勢いで学問、文化が進んだ。日本も追いつこうと欧米に学んだ結果、経済的な面ではトップに近いところへ来てしまった。しかし、考え方や習慣といった根っこの部分抜きの表面的なシステムが持ち込まれた結果、非常に危うい状況が続いたという気がする。
医療に関していえばインターンもそうだったし、患者や国民の権利というものに対する考え方も同様である。今、お金が足りない時代が訪れてみると非常に底の浅い文化や学問の影響が、目に見えて来たという面がないとはいえない。今がターニングポイントという指摘は正しいと思う。今の日本社会の状況は、厳しく言えば、ささくれだったみにくい姿なのかもしれない。
食と健康に関するコミュニケーションに関していうと、ちょうどいまカップめんから防虫剤成分パラジクロロベンゼンが見つかるなど、食と健康に関するさまざまなことが起きている。
具体的な問題として牛海綿状脳症(BSE)を挙げるが、BSEというのは、普通は21カ月以上の年齢に達した牛にしか起きない。また、この病気の原因となる異常なプリオンが存在するのは脳、扁桃、脊髄、脊髄神経節、眼、回腸遠位部など一部決まった部位で、この部位を取り除けば基本的には安全だ。ところが内閣府の食品安全委員会が全頭検査までは必要ないと言っても、一般にはなかなか理解してもらえない。「事実は分かるが、今の時点では全頭検査をやめるわけにはいかない」というのが、地方行政を含む、行政の立場だ。全頭検査というのは大変な費用がかかる。世界で全頭検査をやっているところは日本しかない。百パーセントの安全を守るつもりでの全頭検査がどこまで必要かを含め、議論が必要ではないか。
遺伝子改変作物(GMO)についても、長年、議論がある。10年ほど前、米国は議会も含め、GMOの栽培を決断した。収穫量が高い、害虫に強いなどの作物を作り人口増に対応しようといった観点から議論が行われた。ある会社が10年かけて遺伝子改変トウモロコシを調べ、何の問題も起きていないということで今に至っている。
問題は10年間問題が起きていないことに対する評価が、日本では人によって異なることだ。ある人たちは「やはり百パーセント安全とは言えないのではないか」とさかんに言っている。そういうことで学者生命を維持している人がいるのだ。役所もこの問題に関してはノーコメントで通してきた。国レベルで良いとも悪いとも言わないから、国民は国が認めていないのだから何かあるに違いないと考えるのは当然だ。確かにこれから何万件というGMOを作り、何の問題も全く起こらないとは言えないかもしれない。しかし、そうした可能性を考えて危険性があるかと考えるかどうかだ。
外に目を向けると、GMOについて米国では理解されており、欧州もかなり理解が得られつつある。日本同様、危険性についての不安が払拭(ふっしょく)できない国もあるが、多くの国々では、理解が進んでいるのが現状だ。さらに米モンサント社が持っている特許が切れたことから、その後はどこの国でもGMOが作れるようになる。日本の技術は高いのに、日本がこの分野で取り残される可能性もあるということだ。
こうした事態にあってこれからもGMOを認めない対応を続けてよいかが、今後、大問題になるだろう。ちなみにトウモロコシは主に家畜の餌になるが、トウモロコシからとれるコーン油は、5%以下のGMO混入が認められている。このようなコーン油は日本にも入っているから、実際は既に日本人も一部の遺伝子改変トウモロコシの恩恵に浴しているということになる。
医療の問題に関しても、同じような問題がある。百パーセントの安全はない。例えば、薬もすべて何らかの副作用がある。最近、問題が起きている産科の場合も、お産というのは百パーセントうまくいって当たり前で不具合なことは起こるはずない、と多くの人が思っている。何か起きると、おかしなことがあったのでは、と訴訟にまでなっているが、お産というのは母体にとっても大変な重労働で、生まれてくる赤ちゃんにとっても重労働だ。
結局、医療の分野でもコミュニケーションが非常に大事になる。特に医療事故が起きた時の対応ではコミュニケーションがものすごく大事だ。日本は医療が刑事訴訟の対象になる世界でもまれな国。そのため医師が身構えてしまい、真実を言わず、なかなか謝らない。そのため患者の家族がますます心を痛めるという悪循環に陥っている。百パーセントの安全はないということを患者や家族が理解していただけるということであれば、何か起きたときでも、患者や家族と医師の双方が歩み寄らなければならない、となるのではないか。そうなれば医療側も、多分最初から謝罪するのが一般的になるだろう。
会社、病院、学校といった現場の人々、一般の国民、メディアの方々に対しそれぞれ一言お願いしたいことがある。
現場の方々は、何かことが起こったとき、事態の正確な把握に努めるのは当然だが、どこまでが確かであって、ここから先はこれから詰めなければいけないことかを正確に把握することが重要だ。例えば、何例中、何例こういうことが過去に起きているかをきちんと世の中に対して言うべきである。事実を正確に適切な時期に公表することが大事だ。そして間違ったら誤った部分に対し直ちに謝罪すべきだ。決してうそは言わないことだ。
次に一般の皆さんへのお願いは、この国、この世に百パーセントの安全はないということを理解してほしい。コンニャクゼリーで亡くなる人が高齢者と子どもに出ているが、自分の身を自分が守ることを心がけることも必要ではないか。危険だから商品の販売を中止するだけでよいのか。モチだって同じようにのどに詰まる危険がある。だからといって、モチの製造をやめるということにはならないだろう。責任を追及するのは必要かもしれないが、安全なシステムの向上に目を向けることが何よりも必要ではないだろうか。
次にメディアは、正確な事実を知ることから出発してほしいのは当然だ。その場合一つのお願いがある。かつて福田赳夫首相が自民党総裁再選に失敗し「天の声にも変な声もある」と言ったことがある。科学に関する内容は科学者に聞くのが一番よいが、科学者にも変な科学者がいる。決して1人だけに聞かず複数の科学者に聞いてバランスのとれた知識を得てほしい。
金澤一郎(かなざわ いちろう)氏のプロフィール
1967年東京大学医学部卒業、74年英国ケンブリッジ大学客員研究員、76年筑波大学臨床医学系講師、79年同助教授、90年教授、91年東京大学医学部教授、97年東京大学医学部附属病院長、2002年東京大学退官、国立精神・神経センター神経研究所長、03年国立精神・神経センター総長、06年から現職。総合科学技術会議議員。02年から宮内庁皇室医務主管。07年から国際医療福祉大学大学院副大学院長も。専門は大脳基底核・小脳疾患の臨床、神経疾患の遺伝子解析など。