社会技術フォーラム「ライフサイエンスの倫理とガバナンス」(2007年11月23日、科学技術振興機構社会技術研究開発センター 主催)講演から
今でこそ生命倫理や医療倫理などという言葉が普通に使われているが、数十年前にはほとんど使われていなかった。「倫理的な考え方」自体が成長し、進化してきたことが理解できる。けれども、そうした成長や進化のきっかけとなった「忌まわしい出来事」が少なからずあったことを、どれほどの人たちが覚えているだろうか? またそれを教訓として、今の日本に本当に医師、研究者の守るべきマナー(お作法)が力強く根付いているのだろうか? 私はとても楽観的に考えることはできない。
1930年代から続けられ、1972年に発覚したタスキーギ梅毒事件というのがある。米国アラバマ州タスキーギというところで米国公衆衛生局が行った人体実験だ。梅毒の自然経過調査のため梅毒にかかっていることを知らされないほとんど黒人の患者399人が、治療を施されないまま経過を観察された。中には治療してほしいと言っても拒否された例もあったといわれる。
このほか、当人の許可なく行われた検査事例や、当人の意思と無関係に強制的に行われた医療の事例など「過去の忌まわしい」出来事が数多くある。それらの出来事を踏まえて、患者に対する説明と納得を得る、あるいは患者の承諾を得る、患者の自発性を重視するといったインフォームド・コンセントが確立して来た経緯を忘れてはならない。
遺伝子診断でも、本人だけでなく家族に相談したうえで実施したことがある。患者は病歴から優性遺伝するハンチントン病が最も疑わしいが、家系図からは遺伝性はないようにも見えたケースだった。しかし、もし検査で陽性であることが分かればお子さん方に発病の危険性が出てくる。こうした場合、本人だけでなく他の人々も巻き込むことになる。患者の長子の方の許可を得て遺伝子を調べたところ、やはりハンチントン病だったことが分かった、という経験がある。
発病者であっても、許可なく遺伝子検査をして良いわけではない。本人だけでなく、キーパーソンにも承諾を得なければならない場合もあるということだ。また、根本的治療や発病予防法がない病気に対しては、原則として勧めるべきではない。検査依頼者には、自分の遺伝子情報を知る権利とともに「知らないでいる権利」もある。一方、検査を依頼される側にも、遺伝子検査を勧めない権利と検査を実施しない権利がある。
ライフサイエンス領域の研究者には備えるべき4つのマナーがある。自分の行為が、生命ある相手(人間か動物かは問わない)を傷つけているかもしれないという謙虚さと、それに協力してくれていることへの感謝を持ち続けることが、まず絶対条件である。次に患者あるいは研究対象になった人の意思を尊重することが基本原則だ。医学的、科学的知識が同等でないのだから、可能な限り同等になるよう互いに努力をする必要がある。また個人を特定できる情報は、第三者(倫理審査委員会)が認めた場合を除き一般社会に漏出させてはならない。
さらに、生命あるものの協力で行われる研究は、まず真に科学的妥当性が認められる必要がある。同時に用いる方法などが倫理的に妥当であることを第三者が判断する必要がある。自分で勝手に判断することは、厳に慎まなければならない。
そして最も大事なことは、ルールの前にマナーがあるということだ。形だけ作ったからそれでよいということにはならないし、何でもかんでもガイドラインに書いてあるからということではいけない。
金澤一郎(かなざわ いちろう)氏のプロフィール
1967年東京大学医学部卒業、74年英国ケンブリッジ大学客員研究員、76年筑波大学臨床医学系講師、79年同助教授、90年教授、91年東京大学医学部教授、97年東京大学医学部附属病院長、2002年東京大学退官、国立精神・神経センター神経研究所長、03年国立精神・神経センター総長、06年から現職。02年から宮内庁皇室医務主管。07年から国際医療福祉大学大学院副学院長も。専門は大脳基底核・小脳疾患の臨床、神経疾患の遺伝子解析など。