パワーポイントというのは、聴衆のためではなく講師が自分のために用意するもの。最近だんだんそう思うようになった。講演の機会が多い人は、一度つくっておけば少々手直ししたもので何度も話ができる。大体、一つのページに情報が盛り込まれすぎているのが多すぎはしまいか。これも講師が自分のために話す内容をあらかじめ整理するためにつくるから、と考えると腑(ふ)に落ちる。一画面にびっしり字が書き込んであろうと、話す方はその時の状況で(時間が足りなくなりそうといった)、はしょって次のページに行くことも自由だ。しかし、画面を一生懸命見ている方はたまらない。
パワーポイントを使う人は、できれば映画の字幕を見習ってほしいと思う。次の画面に移るまでに読み切れない字数などそれだけで失格だろう。真に聴いている側にとってありがたいのは実にうまくできたイラストか、字だけなら1画面に新聞の見出しとサブ見出し程度で十分。なんて言いたいところだが、パワーポイントを使ったことがない人間だから、説得力はまるでないだろうし…。
2月27日にサンケイプラザで毎年この時期に開く高校の首都圏同窓会があった。ことしの講演の講師は、堀義人グロービス代表である。編集者の17年後輩に当たる。用意したのはパワーポイントならぬホワイトボードだけ。2、3度そこに簡単な図を書いたほかは原稿なしに、話し通した。
結果はどうか。先日まである私立大学の学長をされておられた先輩から大学生の後輩まで質問が相次ぐ、という受け方だった。
「ベンチャー企業が日本でもどんどん成功するようになったとき、それらの企業が雇用の拡大に貢献するのは理解できる。では、日本全体としての帳尻はどうか。ベンチャー企業によって駆逐される古い企業あるいは業界があるはずだから、そちらの失業者を差し引いた場合、国全体として雇用の増大が実現すると言えるのだろうか」
実は質問者がいなかったら堀氏に聴いてみたかったのだが、残念ながらその時間はなかった。
このような質問を考えたのには理由がある。先月、京都大学で行われた科学交流セミナー特別企画「科学普及・科学教育がどうあるべきか〜理科好きの入口から次のステップまで〜>」で、基調講演者である北澤宏一・科学技術振興機構理事長と立ち話をした際、これまで思いもしなかったようなことを聞いたからだ。日本の就業状況はサービス業が7割、というのは知っていた。「技術者は2割」というのは氏に聞くまで知らなかったけれど、サービス業が7割も占めているならそんなところか、という感じである。
ところが続いて「米国は1割。中国はまだ4割いるが」と聞いて、とたんにこの数字はなかなか重要な意味があると気づく。日本が将来、米国のように技術者をあまり必要としなくなるのだろうか。理工系出身がある時期もてはやされていたのに、今や大学の理・工学部人気も昔の面影がないのも避けようもない時代の流れということだろうか。そして中国や韓国もいずれは日本のように…。
同窓会に来賓として出席いただいた母校の校長先生が学校案内のパンフレットを持ってきてくれた。その中に「進学重視型単位制−大学における専門的研究を見すえた教育を展開、広く社会に貢献できる人材を育成」というページがある。それを見たら英語、数学、国語はカリキュラムの中で相応の時間が割り振られている。ところが理科、社会を見ると「世界史A」「現代社会」「理科総合」「化学Ⅰ」「情報A」が1年生の必須科目(各2単位)にあるだけで、その他の理科、社会の科目は2年生以降も必須科目に入っていないのだ。
先日、後輩の現役大学生に「高校で日本史を学ばなかった」と聞いて驚いたが、物理、生物を学ばない後輩たちも相当いる、ということだろう。
高校も技術者が少なくなる時代を先取りしている、ということなのだろうか。