有楽町朝日ホールで行われた日本原子力研究開発機構の報告会を聴いた。この会は毎年、講師の選定に相当考えていることがよく分かるので聴き逃さないようにしている。今年の講師は東レ経営研究所社長の佐々木常夫氏だった。話の内容にびっくりし、心底、感服した。
東レ本社では主として経営企画畑、一時営業部門でも働き、東京と大阪間を6度の転勤。どの部署でも華々しい実績を挙げている。それだけならどんな組織でも似たような人はいるだろう。しかし、氏は、自閉症の長男と、うつ病で40回の入退院を繰り返し、自殺未遂3回という夫人、さらにずっと活発な性格だった長女まで一時、自殺未遂を試みる、という家族を抱えているのである。
それなのになぜ家庭を崩壊に至らせず、その上人一倍の仕事実績まで挙げることができたのか。講演はその理由を納得させるに十分なものだった。ご本人の言葉からあえて一つポイントをあげると「ワーク・ライフ・バランス」ということになるだろうか。仕事は必ず午後6時までに終えて、家庭の生活にあてる時間を確保する、ということだ。もちろん、社内の理解がなければできることではない。
ある時点から家庭の状況を社内に明らかにし、自らの働き方に理解を求める。自閉症の長男のために毎月、学校訪問は欠かさず、高校生になっていじめのため不登校になった際には、同級生たちに自宅に来てもらい自閉症がいかなる病気かを説明するとともに「世の中にたくさんいるハンデキャップを持つ人に健常者は十分な配慮をしなければならない」と説く、という具合だ。個人情報の秘匿などという最近流行の風潮とはまるで異なる開けっぴろげな生き方である。
会の修了後、会場ロビーに長蛇の列ができた。佐々木氏が自己の体験を詳細につづった著書「ビッグツリー」(WAVE出版)を購入し、一冊一冊に佐々木氏がサインをしてくれるのを待つ人たちだ。
佐々木氏は6歳で父を亡くし、4人兄弟の母子家庭で育つ。なぜこのような生活に耐えられ、人一倍の仕事ができたのか。講演とこの著書からその理由がいくつか理解できるような気がする。おそらく能力もさることながら氏は、いつも周囲の多くの人に好かれたのだろう。その背景には、育った家庭環境が大きな影響を与えているような気がする。「いつかきっとよい日が来ると信じていた」。氏は講演で、自分の楽観的な性格を強調していた。著書「ビッグツリー」の中で、26歳で寡婦となり、4人の息子を育て上げた母親について、次のように語っている。
「歴史や文学に造詣が深く、父が一目で結婚を決意したほどの器量を持つ女性であった。…父がいない分、子どもに対する思い入れも強く躾も厳しかった。大変倫理観が強く、嘘を嫌い、他人への挨拶などにもうるさい人であった」
佐々木兄弟は、兄が北海道大学、弟2人は東北大学へ進学したそうだが、3人とも理系で、文系は東京大学経済学部へ入った佐々木氏だけという。「ビッグツリー」の中にこんな面白い記述がある。「入学試験は、英語や国語の成績が悪かったのに、得意の数学と物理がほぼ満点だったので、何とか東大に合格できた」
佐々木氏のころに比べ、国立大学の入試もだいぶ様変わりしている。旺文社のウェブサイトを見てみたら、東京大学経済学部の学力試験(前期)は、国語、地歴、数学、外国語の4教科しかない。センター試験の中で理科を1科目義務づけているが、センター試験の成績は全体の配点の5分の1しか見ていないという。仮にセンター試験の理科で満点を取っても、最終的な学力試験配点に占める割合は2%程度にしかならない勘定だ。
佐々木氏の入学時に、確か東京大学の入試科目は文系、理系を問わず、国語、数学、外国語に社会が2科目、理科が2科目あった。他の国立大学も同様なところが珍しくなかったと思う。もし今のような入試制度だったら、氏は東京大学の経済学部に合格できただろうか。
文系、理系で早々と入学試験の科目を一方に偏らせてしまう。今の大学入試のやり方で本当によかったのだろうか。