学生時代に世話になった水戸育英会の寄宿舎(通称、水戸塾、世田谷区用賀)の塾祭に顔を出した。いい年をして春夏のテニス大会にはここ何回か参加している。しかし、塾祭を見物するは初めてだ。寄宿舎は、用賀に移る前は渋谷駅に近い便利なところにあり、編集者が大学2年の時に移転した。両方の塾生活を経験した幸運な世代といえる。
渋谷時代の木造寄宿舎は食堂が大広間になっており、塾祭は演劇中心だった。1年上の学年の出し物が菊池寛の「父帰る」で、妹役をやった血の気が多い先輩が会場からのヤジに怒って舞台から客席に駆け下りてくる、などという場面があったのを思い出す。
塾生OBの機関誌「塾友」を読むと、塾祭ではなく卒業生の送別会ではあるが、昔は傑作な出し物があった。編集者の15年先輩に当たる深作欣二氏(「仁義なき戦い」などで知られる映画監督、故人)たちの学年が中心になり、「テネシーワルツ」を原語(米語)、日本語、フランス語、ドイツ語、スペイン語、ロシア語、中国語で歌い分けたという。バイオリンの伴奏つきだ。深作氏の同期生による随想には、それぞれ歌い手だけでなく訳詞者の名前も書いてあった。深作氏がフランス語で歌っている(訳詩は別の同期生)。昔から寄宿生に外語大学や文学部の学生はあまりいないので、当時の大学生は教養豊かというか、遊び心を持った先輩が多かったということだろうか。感心する。
今の用賀の寄宿舎は、プレハブづくりなので畳敷きの大広間はない。出し物も昔と一変していた。グループ分けも、学年別ではなく、各グループとも各学年が等分に割り振られている。学年(入塾の)が1年でも上の先輩にはひたすら敬意を払わなければならない。そんな伝統も時とともに変化しているようだ。
さて、塾祭の出し物は6班のうち4班が映像作品。残り一つは映像と実演を組み合わせた“成人向き”作品で、もう一つは、途中から歌と踊りだけになってしまうインド映画みたいな実演である。結局、OBの投票で決まるMVPは、インド映画風実演の主役で、女装して「モーニング娘。」の曲を歌い踊りまくった東京大学生が勝ち取った。徳川斉正総裁をはじめ、OBたちのカンパのおかげだろうか、商品は液晶テレビという豪華さである。編集者は、「ドラえもん」のパロディ映像作品が、のび太、ジャイアンなどの演者がそれらしい感じを出しているのが気に入り、SM実演込み映画、インド映画的実演と同様の最高点を付けた。しかし、肌もあらわに主役が熱演した実演に演目賞、MVPとも支持が集まった、ということだろう。
映像だけの出し物は、競合したので少々損だったのではないか。ドラマ仕立て、ドキュメントタッチといろいろあり、導入部、イントロも含めなかなか凝っている。中庭での表彰式・バーベキューに移ってから2、3の後輩たちに聞いてみたが、大学の映像サークルなどに入っている習熟者がいるということでもないらしい。素人でもこうも簡単に映像作品ができてしまうのか、とあらためて驚く。
ころ合いを見計らいOBたちは引き揚げることにし、用賀駅までの道すがら、学監をしている先輩と塾生の話になる。日本全体が貧しかったころ、塾に入るのは競争率が高く、容易なことではなかった。いまは相当な様変わりである。昨年、入舎して間もなく退舎してしまった学生の話になる。東京大学の理科一類に入学したのだが、法学部への編入が希望のため、寄宿舎生活では編入試験のための勉強に支障があると考えたためではないか、というのが学監の見方だった。理科一類は入学しやすいから入ったものの、本来の志望は別だったらしいと聞いて、昨今の理系の人気低落、特に工学部離れをあらためて考えさせられた。
高校卒業時に、理系か文系か選択させてしまうのは、人材育成から問題が多い。特に理系を選択した若者の将来の可能性を大幅に狭めてしまうのでは。一部を除き大学の学部はリベラルアーツ重視とした方がよいのではないか。最終的な進路は大学院に入るときに決めれば、という思いをあらためて強くする。「今、東京大学の文系に入るには理科の受験勉強はほとんどしなくてもよいらしい。センター試験で理科1科目の受験が課されているが、最終の合否決定ではわずかな配点にしかならないらしいから。逆に理系に入るには社会をほとんどやらなくても…」。最近、仕入れたばかりの知識を先輩に披瀝した(11月5日編集だより参照)。
案の定、東京大学法学部卒の学監が驚いていた。
「おれたちの受験科目は、社会も理科も2科目ずつだったのになあ」