レビュー

編集だよりー 2009年6月10日編集だより

2009.06.10

小岩井忠道

 だれか偉い人がそのうち言うかも。漠然と思っていたら、野口悠紀雄・早稲田大学大学院教授が日経新聞のインタビュー記事で明快に語っていた(8日付け朝刊オピニオン欄)。

 講演などでいまや使わない人はほとんどいない「プレゼンテーションツール」を氏は一切、使わないことにした、というのだ。海外の国際会議に出席した際、全員が使用しているのに驚き、すぐに自身も導入したのが8年前。ところが、ある日の講演で「皆さん、こちらの画面は見ないでください」と口走ってしまった、という。

 昔、ワープロが出始めたころの話を思い出す。ワープロというのは一太郎というソフトが一時大もてだったように、小さな会社が大きな役割を果たしたらしい。日本語処理というのは手間がかかり、ソフトづくりは大企業に向いていなかったからだろうか。その後の動向は知らないが、関西のソフト開発者に取材し、言われたことをよく覚えている。

 「手書きでなくワープロで作成した見積書を出すと、注文がとたんにとれやすくなる」。そういって売り込むと自社のワープロソフトがよく売れた、というのである。確かにこの手は効いただろうと思ったものだ。ワープロが珍しいうちは。

 パワーポイントに代表されるプレゼンテーションツールも、珍しさによる効果がだいぶ薄れてきたということか。野口氏の話に独り納得した次第だ。

 氏が言うように本人が話していることとほとんど同じ内容をスクリーンに映し出す効果とは、一体何だろうか。例えば官僚の講演などで、スクリーンいっぱいに字が詰まっているパワーポイント画面を見させられた時などである。実際に話す以上の情報が書き込まれている。これは聴衆に理解してもらうより、わが役所はこれほど必要十分なことをやっていますよとアピールするのが狙いか、という気になる。

 「わざわざ資料を投影すれば、当然、聴衆の目はスクリーンにいきます。しかし、私は自分を向いてほしいわけですから、矛盾していると思いました」

 野口氏の主張は分かりやすい。スクリーンに映し出すのは、ほーっと思うような写真のようなもので十分。細々した文字ばかり並んでいるようなものは、まとめてプリントにして渡してくれるだけで結構。こう考える人の方が、そろそろ多くなってもおかしくないように思える。

 字幕が出て間違いなくありがたいのは、洋画とオペラだ。これがないと何がなにやらさっぱり分からないから。義太夫などももし電光字幕でも出れば、ありがたいかもしれない。いつもシナリオをにらみっぱなしで、舞台の方はおちおち見ていられないので。

 しかし、同じ古典芸能でも落語や歌舞伎となるとどうだろう。電光字幕やスクリーンは向いていないのではないだろうか。

 幸い講演というのは、通信社時代にほんの一時期、それも数回経験しただけで済んでいる。パワーポイントの使い方など覚えなくても何の支障もないわけだが、何となくほっとする。そんなものがない方が説得力あるプレゼンテーションができるという人が実際にいると思うと。

 そう言えば、3日、民間活力開発機構主催のセミナーで「水イノベーション進路」という講演をした黒川清・政策研究大学院大学教授も全くプレゼンテーションツールを使わずに1時間話し続けていた。

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