レビュー

いずこも同じ成熟国の悩み?

2009.06.10

 科学技術の問題というのは、実は科学技術にとどまらないで、日本人がどう生きていくかということでもある。かつては日本の社会、いや日本だけでなく欧米にもそういう心意気というか、人生哲学があった…。

 当サイトに連載中のインタビュー記事で、阿部博之 氏・元東北大学総長(前・総合科学技術会議議員)が語っている(2009年6月8日付「知のエートス - 新しい科学技術文明創るために」第3回「大切な基本的文化」参照)。青少年の理科離れや日本人一般の科学リテラシー低下に対し、具体的な手が打たれつつある。しかし、どうもことは小中学校の理数科の授業時間数増といった手直しだけで済む話ではなさそう、と感じた読者はいないだろうか。

 今大きな話題となっている足利女児殺害事件のケースはどうだろう。えん罪であることを事実上、検察も認めたと受け止められ、自白重視の現在の捜査、裁判のあり方があらためて問われている。今回はDNA鑑定に対する過去の判断の誤りが認められたことで、えん罪が辛くも避けられた。では、これまで膨大な数の裁判で成されてきた証拠に対する判断は、すべて司法以外の世界で通用するものばかりと言えるのだろうか。法曹関係者の科学リテラシーは心配なうちの一つ。そんな声を、社会人の科学リテラシー向上活動に取り組もうとしているあるNPO法人の代表(物理学者)から聞いたことがある。

 4月に公表された経済協力開発機構(OECD)の報告書「Top Of The Class」に、いろいろ気になる指摘が見られる。

 「OECD諸国では科学で最上位の成績を収めている高校生の約40%が科学関係のキャリアへ進むことに興味がなく、約45%は科学の勉強を続けたくないと思っている」

 これはどういうことか。科学でよい成績をとっている高校生たちの半分近くが、科学を職業に生かしたいとまでは思ってなく、またOECD加盟国の多くが、教育でそうしたモチベーション(動機付け)を与えることに失敗している、ということではないのか。

 OECDの公表資料には次のような記述も見られる。

 「動機付けに欠ける成績上位者は、テストでよい成績をとっても、科学の授業を面白いと思わず、学校外では科学と接する機会をもたない傾向が見られる」

 「科学の成績最上位者の約3分の2はテレビの科学番組を見たり、科学関係の記事を読んだりせず、4分の3以上は科学分野のウェブサイトにアクセスしたり、科学クラブに入ったりしていない」

 これらを読む限り、若者の理科離れや社会人の科学リテラシー低下の理由は、学校で理科が不得手だからそうなったというだけでは説明できないようにみえる。科学を一生懸命勉強しても自分の人生設計にそれほど役立つとは思えない。科学技術は社会のありように決定的な役割を果たしていない。必要だけど一部の“専門家”に任せれば済む程度のこと。このように考える成績優良者が少なくないということではないだろうか。

 科学技術、あるいは科学的精神が社会の健全化、安定化、発展に欠かせない基盤の一つになっている。こうした現実を理解させることは、簡単な話ではないのだろう。

 「科学技術の問題というのは、実は科学技術にとどまらないで、日本人がどう生きていくかということでもある」(阿部博之 氏)というのは、日本に限らず、成熟した国家に突きつけられている共通の課題ということだろうか。

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