インタビュー

第2回「学力低下は授業時間削減から」(滝川洋二 氏 / NPO法人理科カリキュラムを考える会 理事長、東京大学 特任教授)

2008.06.09

滝川洋二 氏 / NPO法人理科カリキュラムを考える会 理事長、東京大学 特任教授

「望ましい理科教育とは」

滝川洋二 氏
滝川洋二 氏

昨年12月に公表された経済協力開発機構(OECD)の国際的な学力調査(PISA)結果から、日本の高校生の学力、特に応用力が低下していることが明らかになった。教育再生会議(1月に最終報告者)も理科教育は英語と並び抜本的な改革が必要と提言、中央教育審議会もまた、理数系と英語の授業日数増を提言している(昨年10月)。日本人の科学技術に対する関心の低さに危機感を持つ日本学術会議も3月「日本人が身に付けるべき科学技術の基礎的素養に関する調査研究」(科学技術の智プロジェクト)最終報告書を公表した。文部科学省は同じく3月、9年ぶりに見直した小中学校の学習指導要領を公表、理科教育重視の姿勢を示している。これらの動きとその影響について教育現場はどう見ているのか。理科教育改善に長年取り組んでいる元高校教師で現在、NPO法人理科カリキュラムを考える会理事長などを務める滝川洋二・東京大学特任教授に聞いた。

―理科の授業時間が減ったことの影響についてもう少し具体的に話していただけませんか。

1993年春にガリレオ工房(注1)の例会で、メンバーである中学の先生から89年の学習指導要領改定で中学3年の理科の教科書がいかに変わったかという報告がありました。「電流と磁界」について30ページを費やしていたのが8ページに減ってしまった、と聞いてびっくりしました。1週間の理科の授業時間が4時間から3時間に減らされたのですが、授業時間が減ったにもかかわらず、教える中身はほとんど変わりません。教科書のページ数が減少、という形でしわよせが来たわけです。高校入試の中身も同じですから、先生としては本当に教えるのに苦労したはずです。私は日本物理教育学会の理事でしたから、その結果どのような影響が出ているか、学会誌で特集を組みました。ベテランの先生が、実験が減ってしまったと嘆いていました。

小学生も授業時間数が減りました。小学生はそれでも理科嫌いにはならないだろうと楽観視していたのですが、これも小学生の先生たちに集まってもらったら大違いです。例えば、気体について習う時間は、1年から6年までの間に全部で32時間あったのが9時間になってしまいました。その結果、教科書で扱う気体の種類が14種類からわずか4種類に減ってしまったのです。

学習指導要領をつくる人は基本的な間違いを犯していると思います。今使われている指導要領でも例えば昆虫の種類は3種類、石の種類も3種類だけ教えればよい、と教材の数を限定しているのがものすごく多いのです。小中学生に理科を理解させるには、昆虫ならチョウを一つだけ取り上げて完ぺきに教えるのが大事なのではありません。昆虫の共通点は何かを教えることの方が重要なのです。教える昆虫の種類が少ないと、共通点が見つけにくいわけです。4種類の気体しか教えられないと、どういうことが心配になるか。気体というのは空気のようなものという考えから抜け出せなくなり、プロパンなど理解できなくなってしまうのです。

意欲、関心があれば学力はついてくるという89年以降の「新しい学力観」では、全国の指導主事の方々が一生懸命に教えている先生に「あなたは教えすぎだ」と指導していました。その典型的な例が小学1、2年生に導入された生活科でしょう。理科と社会をなくして新しく作られた教科です。小学校に入ったばかりの子どもに、教えないで支援する教育方針を徹底するという考えに立っています。ゆとり教育と言うと言葉はきれいですが、これでは学力は落ちます。93年に日本物理教育学会が、このままでは日本は駄目になるという危機意識から、理科の授業時間増加を求める会長声明を発表しました。さらに日本物理教育学会が日本物理学会と応用物理学会に呼びかけて、喧々囂々(けんけんごうごう)の議論を重ねた結果、翌94年に3学会共同声明を出したわけです。

―それで事態はよくなったのでしょうか。

もちろん、簡単には変わりませんでした。私自身、この状況を変えるのは大変だろうし、学会声明だけで世の中が変わるとも思っていませんでした。ガリレオ工房は、学校の授業を楽しく、分かりやすくする目標で始めたわけで、当初は社会的な活動をやろうなどとは考えてもいません。しかし、社会をよくしないと学校教育はよくならないと気づき、このころから社会的な活動を始めたわけです。

92年に、「青少年のための科学の祭典」を始めました。「やってみよう何でも実験」というNHKの番組は祭典を契機にスタートしました。有馬朗人(注2)先生と中学生を対象に5日間合宿させる実験教室をオリンピックセンターでやりました。これは5年間続きましたね。NECの支援で「NECガリレオクラブ」というのを始めました。全国9カ所で実験教室を同時に開くというもので、企業が実験教室を支援する草分けでしたね。これは今も続いています。財団法人省エネルギーセンター主催で読売新聞が後援する「エネルギーを考えるサイエンスライブショー」という千人が参加する大がかりな実験ショーも10年ほど続きました。これらの催しを行いながら、取材されるたびに「日本の未来は大変なんです」と訴えたものです。

こうした活動が一方で進められた中で、3学会の声明が出たことが大きな影響を与えたのだろうと思います。マスコミにも、ことの重要さをだんだん理解してもらえるようになりました。当時、文部省は「理科離れはない」と言っていましたが、どうもそうではないらしい、とマスコミも考えるようになったのだろうと思います。大学の研究者たちもまた3学会の声明が出たことで、「そういえば自分のところの学生の学力も落ちているのではないか」と実感するようになりました。当時、ちゃんとしたデータはなかったのですが、学力が落ちていないかデータを取り始める大学の研究者も出て来ましたから。

「公立に行くと学力は落ちる。よい私立はどこか」といった特集を週刊誌が載せるなど、学力問題は、98~99年に社会問題化し、こうした中で99年に学習指導要領が改定となるわけです。

  • (注1)ガリレオ工房
    1986年「楽しくわかりやすい理科の授業を作ろう」と、小・中・高校の先生らによる研究会としての発足した『物理教育実践検討サークル』が前身。2002年12月『特定非営利活動法人(NPO法人)ガリレオ工房』(滝川洋二理事長)に。月1回の例会で実験や実践や考えなどを発表し合い、科学を重視する社会づくりを目指す活動を続けている。
  • (注2)有馬朗人氏
    物理学者。俳人。東京大学総長や理化学研究所理事長、中央教育審議会会長などを歴任した後、1998-2004年参議院議員。98年7月-99年11月文部大臣、99年1月-99年11月は科学技術長官も兼ねる。現在、日本科学技術振興財団会長、武蔵学園長などを務めるかたわら数多くの講演会やシンポジウムに講師として招かれるなど、日本の科学技術振興や理数教育の重視を訴える活動を続けている。(当サイトの関連記事「教育費と理系の待遇上げずに科学技術振興あり得ない」)

(続く)

滝川洋二 氏
(たきかわ ようじ)

滝川洋二(たきかわ ようじ)氏のプロフィール
1949年生まれ。埼玉大学理工学部物理学科卒、国際基督教大学博士課程修了、1979年から国際基督教大学高等学校教諭、2006年から東京大学教養学部附属教養教育開発機構特任教授。教育学博士。高校教諭時代からNPO活動を通した理科教育の改善に取り組み、この功績で05年文部科学大臣表彰。「青少年のための科学の祭典」2006全国大会実行委員長、NPO法人理科カリキュラムを考える会理事長、NPO法人ガリレオ工房理事長。専門は概念形成研究、科学カリキュラム研究、物理教育。『どうすれば理科を救えるのか-イギリス父子留学で気づいたこと』(亜紀書房)、滝川・吉村編『ガリレオ工房の身近な道具で大実験第4集』(大月書店)、「発展コラム式中学理科の教科書第1分野」(講談社ブルーバックス)など著書、編著書多数。

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