2009年は、ICSU(国際科学会議)とUNESCO(国連教育科学文化機関)の共催のもとにブダペスト会議とも呼ばれるWCS(世界科学会議)が開催されてから10年目である。WCSで採択されたブダペスト宣言で科学者たちは、科学は社会のために役立たなければならないという立場を明確に述べたのであったが、それは実現したのであろうか。
現代の世界が抱える問題には、政治的には国際社会の平和とガバナンス、経済的にはグローバル化の中で深刻化する地域的な貧困や金融危機、そして環境問題として、地球温暖化、資源・エネルギー源の枯渇、水不足、生物多様性喪失などがある。そして、これらの問題の解決に科学が有効であることは早くから指摘され、特に環境問題については直接的に、政治経済については間接的に、科学的知識の使用が長い間、期待されていたのである。
この期待は、必ずしもすぐに応えられたわけではなかった。様々な会議を経て、今から10年前に開催されたのがブダペスト会議である。その宣言書は、“科学と科学的知識の使用”と題され、4つの項目にまとめられている。それは、1.知識のための科学;進歩に必要な知識、2.平和のための科学、3.開発のための科学、4.社会の中の科学そして社会のための科学というものであり、科学的知識は社会にとって役立たねばならぬこと、そして実際にそれが使われることは当然として、それを自らの責任において使うことをも科学者が想定しなければならないことを宣言したのである。その宣言の採択は、科学は社会から影響を受けず、独立していなければならないとされた長い歴史を軌道修正する、重大な瞬間であったと思う。
この決定の意味は、科学研究の重点が基礎から応用へ移るということではない。したがって科学研究が知的好奇心に導かれて行われることを決して否定するものでもない。むしろ、新しい困難な課題を抱えた現代は、従来は考えつかなかったような独創的視点での科学の展開が期待されるのであって、そのためにはますます研究者個々人の関心に基づく自由な基礎研究が必要である。前述したような、平和とガバナンス、資源枯渇、多様で相互に関係する複雑な環境問題などの、どれをとってもそれを現実的に解決するための方法を生み出す十分な基礎的知識が存在しない。既存の自然科学、社会科学、人文科学の基礎知識のどれもが必要なことは分かっている。しかしそれでは不十分なのである。
私は長い間、一般設計問題すなわちシンセシス(構成)の基礎的問題を研究してきて、そのための一つの方法として学術領域の再編成を課題としているのであるが、再編は解くべき問題を設定し知識使用の場を作ることで可能となる。ブダペスト会議の基調講演で、私は持続性のための知識使用を志向した学術領域の再編について発表したのであったが、これは宣言の主題であった“科学的知識の使用”と一致していた。私はこの会議の準備には参加せず、宣言の内容を当日まで知らなかったからこの一致は偶然だったが、新しい基礎の必要性について、私は改めて確信を持った。
これから必要となる基礎的知識、それは地球や社会の持続性を理解し実現するためのものであり、従来の基礎的知識の延長上にはなく、新しいものである。それは知識使用の基礎的学問を作ることでもあって、従来の学術領域にこだわる限り作れない。従来の科学は、顕微鏡で二次元の、望遠鏡で三次元の拡大を進めながら、できるだけきれいな環境の実験室で存在の本質を明らかにするというものだった。しかし持続性の研究はこれと違い、過去から将来にわたる変化を対象としながら、実験室でない現実の中で人がどのように行動すればよいかを見極めるものでなければならず、そのためにスーパーコンピューターによるシミュレーション、それは四次元のレンズと考えてよいが、それによって変化を予測しながら正しい行動の指針を得るための構成理論を作り出すというものである。
ブダペスト宣言によって、この方向へと科学は変わりつつある。しかしもう一つの重要なことがある。それは方向だけでなく速度も重要だということである。政治、経済、そして環境の問題のすべては、緊急の対策を必要としている。温暖化問題を見ればこのことが容易に理解されるが、他の問題もすべて時間的制限の中で解決することが要請されている。それはあたかも、かつての弱い人類が、攻めてくる外敵に即応しつつ知恵を働かせて生き延びたのと同じように、今も急がなければ生き延びることができない状況になったのである。
私たちは今、この生き延びるために必要な、“社会のための科学的知識”を、手遅れにならないように作り出すことに努力しなければならない。おそらくその知識量は膨大なものであろう。しかしこれを作り出すために十分な人口を、人類は持っている。現代の課題を克服して人類が生き延びるために、いま緊急に必要なことは、できるだけ多くの人の参加のもとに、学問領域を超え、専門分野を超え、また国境を越え、企業を超える協力を通して、全力を挙げて必要な知識を作り出すことである。知識生産者としての科学研究者はもちろんのこと、知識使用者である社会のアクターたちもこれに参加しなければならない。これは開かれた科学研究である。またこの知識生産のために可能な限りの投資が必要である。そしてまた、若者たちがこの状況を感知して研究をはじめとする知識生産の世界に入ってくることが望まれるのであり、そのためには、教育の進化が必要で、教育も開かれることが強く求められる。
吉川弘之(よしかわ ひろゆき)氏のプロフィール
1952年東京都立日比谷高校卒、56年東京大学工学部精密工学科卒、株式会社科学研究所(現・理化学研究所)入所、78年東京大学工学部教授、89年同工学部長、93年東京大学総長、97年日本学術会議会長、日本学術振興会会長、98年放送大学学長、2001年から現職。1999年から2002年まで国際科学会議会長も務める。1997年日本国際賞受賞。「社会のための科学」の重要性をうたった「科学と科学的知識の利用に関する世界宣言」を採択した99年世界科学会議(ユネスコと国際科学会議共催)で、基調報告を行う。科学者の社会的責任を一貫して主張し続けており、産業技術総合研究所の研究開発方針でもその考え方が貫かれている。