「女性参画で産業を変える、未来社会が変わる」をテーマに掲げたシンポジウムが、1月16日に京都大学時計台国際交流ホール(京都市左京区吉田本町)で開かれた。主催は公益社団法人の日本工学アカデミー(EAJ)で、この日はEAJ主催の2回目の「ジェンダーシンポジウム」。新しい社会価値を創造するイノベーションには多様性が大切でジェンダーの視点が必須との認識を共有して企画された。工学に関わる科学者がベンチャー企業を起こして新しい価値を創出するためにはどのような自己のマインドセットの変革が必要か。女性が共にイノベーションの主役になるためにはどのような社会的条件や制度設計が必要か—。 この日のシンポジウムはこうした課題などについて、基調講演や講演が行われた。また、2人の講演者のほか会場となった京都大学の山極壽一総長ら多彩な顔ぶれが揃ったパネルディスカッションで熱心な議論が展開した。
このシンポジウムは、日本工学アカデミーが主催したほか、京都大学ELP、京都大学男女共同参画推進センター、京都大学大学院工学研究科が共催。基調講演、講演とパネルディスカッションで構成された。午後1時に同アカデミー理事で東京大学大学院工学系研究科教授の辻佳子さんが総合司会を担当し「(会場に参加した)皆さんご自身も今回のテーマについて考えていただけるシンポジウムになればいいと思います」と述べて開会。休憩をはさんで閉会時間の5時すぎまで会場は熱気に包まれた。
「男性学者も危機感をもって警告を」と阿部博之さん
最初に日本工学アカデミー会長の阿部博之さんが開会のあいさつをした。阿部さんは「今、大学の国際評価は低迷しているし基礎科学の(評価)指標がどんどん下がっている。これを何とかしなければならない状況だ。工学アカデミーとしても2年前に(こうした問題意識を)緊急テーマとして『霞ヶ関』などに説明するなどの活動をしてきたが、危機感を持って表明してくれたのは2人の著名な女性科学者だった。一方男性の方というと警告する学者が少ない。国会もだが、そうした組織の女性比率を大幅に増やしていかなければならない。それができないと政策判断の健全化はほど遠い」と指摘した。
そして京都学派の哲学者で第2次大戦中も反骨の学者として活動し、終戦直後に獄死した故三木清氏と同氏の著作の「人生論ノート」を引き合いに出し、「言論の自由がある時代にあって自己保身から抜け出せない学者が多くいるのは残念」と直截(ちょくさい)に指摘した。東北大学名誉教授でもある阿部さんは東北大学総長や総合科学技術会議議員、科学技術・学術審議会委員会長などを歴任。2011年3月の東日本大震災後には、科学者・研究者の社会的責任のあり方や学界のあり方などについて積極的に発言している。この日の発言は、現在の日本の科学、科学技術の諸課題に対して科学者・研究者自ら行動することを促した形だ。
次に日本工学アカデミーの理事で関西支部幹事を務める京都大学大学院工学研究科教授の北村隆行さんがあいさつ。「工学は自然科学とシステム設計からできている。工学は技術に関する学問で、技術は人間を幸せにする道具だ。工学には女性が少ない。工学には多様性があるので工学自体が問題なのではなく工学への入り口や人の育て方に問題があるのかなと思う。課題に対して工学は飛び越えるのは得意なので、今日の議論が、技術が、幸せが社会全体にうまく行き渡るきっかけになればと思う」などと述べた。
この後、京都大学経営管理大学院特命教授(総長学事補佐)で、S&R財団CEO兼理事長の久能祐子さんによる基調講演が始まった。
久能さんは京都大学工学部で学び、1982年に同大学大学院工学研究科で博士過程を修了。ドイツ・ミュンヘン工科大学への留学や米国立衛生研究所(NIH)と共同でAIDS治療薬の開発に携わった後、89年に「アールテック・ウエノ」を共同設立、新薬開発に取り組み94年に新しい緑内障治療薬の商品化に成功した。その後96年に拠点を米国に移して新たな新薬開発会社を共同設立し、新しい慢性便秘薬の商品化にも成功するなど国際的な実業家として活躍した。その一方、2000年に若い芸術家や科学者を育てるS&R財団を設立。14年には米国ワシントンに「ハルシオン・インキュベーター」を創設。社会課題の解決を目指す起業家らの支援に力を注いでいる。15年には米フォーブス誌で「米国で自力で成功した女性50人」に選ばれている。
「跳ぶように考え、這うように証明する!」
基調講演のタイトルは「跳ぶように考え、這うように証明する!」。山口県下松市で生まれた久能さんは、まず「私の履歴書」と題して、京都大学工学部に進学してから1986年にNIHと共同でAIDS治療薬の開発に携わるまでを「科学者を目指して」とくくって紹介。続いて期せずしてバイオテクの起業家になって日米で2社を設立したころのことや、起業家を支援するインキュベーター事業を立ち上げた目的などを歯切れ良い語り口で紹介した。
久能さんによると、この日のタイトルは自身の人生を振り返っての実感だという。
工学部の定員千人のうち女性は6人しかいなかった。当時の恩師はあまりに女性が少ない環境を心配してミュンヘン工科大学への留学を勧めた。「留学が大きなターニングポイントになった」。自分で道を開いて自分で研究をする出発点だった。その後共同設立者となる上野隆司氏と出会った。「私の人生も変わっていった」という。
新しい緑内障治療薬や便秘薬開発の鍵となった物質「プロストン」の発見については「生理活性がないと思われていたが、上野氏と中枢神経の研究をしているときに何かあるのではないか、と考えた。そして細胞の修復過程で重要な役割をしていることが分かった」。バイオビジネスというツールを使って早く臨床現場届けることを目指した。ここで科学者から起業家への道が始まった。緑内障治療の新薬を開発して「レスキュラ点眼薬」として商品化した。だが、めどがたったところで新薬の販売権を大手製薬会社に売却。借入金80億円も返済し、新たな分野を目指して渡米した。「アメリカで一から出直すことにしたのは根拠のない決断だった」。久能さんは「日本ではたくさんの人に助けられた」とも強調している。日本を離れたのは何かがいやになったからではなかったという。
上野氏と渡米したのは1996年。そこで「スキャンポ・ファーマシューティカルズ」を設立した。ここでも資金調達に奔走したが、慢性便秘薬を開発することに成功し、米食品医薬品局(FDA)に認可される。
「2012年ごろにはできることはだいたいできたかなと思った。ペースダウンしたときに何をやろうかと考えた」と久能さん。それまで、若い人と接する機会が多かったので若い人の才能を支援することに目が向いたという。このように「目指すこと」が変ってきた時代を振り返って久能さんは「初めから見えていたわけではないが、ずっと考えているうちのどこの山を登るか見えてきた。あっ、ここでいいなというポイントがあった。直感的に本能的に何か見えた、という瞬間があった」。そして「ゴールがあってその登り方がビジョンで、リーダーはビジョンを示すことが大切だ」。「勇気とか自分を信じる力とか、自己効力感とかが大事でチームメンバーを集めるときに自分は持っていないものを持っている人と組む勇気も必要だ。そういうことがうまくいったときにイノベーションへと大きく変わっていく」と力説している。
「あなたの創造的ポテンシャルを解放しよう」と久能祐子さん
この後、久能さんは起業家の支援組織の在り方について語った。ワシントンにつくった「ハルシオン」を紹介。目的は「社会的なインパクトをつくるイノベーションを促進すること。社会起業家をここでインキュベートし、世の中を良くするためにインキュベートすること」という。宿泊施設もあり、社会・芸術企業における多様な変革者を募り、大胆なアイディアが「離陸」するまでの場所を提供しているという。
こうした「場」に必要なものとして、「一人で自由に安全に考えられること」「いつも同じ所で同じ人と会わないための非日常的空間であること」「オープンで多様な有機体の集合になること」「イノベーションが起きるための7、8人のコーフォートや互いに自己効力感を歓喜できること」などを挙げた。「ハルシオン」はこれまでに770人の雇用を創出したという。
久能さんは日本のイノベーションの今後の在り方についても語っている。「日本型スーパーエコシステム」と評し、日本の才能ある「トップタレント」の多くは大企業などの組織に所属していることから、組織に在籍したまま起業できれば、日本型イノベーションは爆発的に増加する可能性があるとの仮説を披露した。また組織外の「エコシステム」を通じて革新的事業シーズにアクセスすることや社会的課題解決をビジネス目標に置くことで世界のSDGsにも貢献できる、などと指摘してる。そして、21世紀型のビジネスモデルとして、利益と社会的インパクトを同時に追求することを目指すベきだ、と強調。リスクに寛容な場を提供し、個人と組織、社会が互いに「ウインウイン」となる「トリプルウイン」の関係を構築すること、個人と組織、社会が持つあらゆる創造性を結集し、「日本型スーパーエコシステム」を通じてより良い世界の構築を目指すべき、と説いている。
さらに久能さんは、イノベーションにおけるサイエンスの役割として「仮説を立てる」「パイロット実験をする」「スケールする(規模や大きさを判断する)」「社会的結果を評価する」「社会的インパクトを測定する」の5点を挙げて、それが「跳ぶように考え、這うように証明するイノベーション」だと語っている。
この日の課題であるジェンダーの問題については、(女性比率などが)5%以下では、マイノリティで無視されるか逆に優しくされるかで、これが30%になれば。(残りの70%と)価値観の対立が生じる、と指摘している。久能さんは最後に「自己を知る、社会を知る、自然を知る」という「自重自敬」と「よりよい世界を作るためにあなたの創造的ポテンシャルを解放しよう」と呼びかけるメッセージをスクリーンに映して基調講演を締めくくった。
「心理学的アプローチによるベンチャー企業創成を」と森勇介さん
続いて大阪大学大学院工学研究科教授の森勇介さんが基調講演を始めた。
森さんは大阪大学工学部電子工学科で学び、1991年同科電気工学専攻の博士前期課程修了。同科で助手、講師、助教授、准教授、教授、とずっと大阪大学で研究者としてのキャリアを積んできた。現在、大阪大学教授のかたわら大阪大学発ベンチャーの「創晶」など創晶グループ3社の代表取締役も務めている。創晶は2005年の設立で、結晶化技術などによる創薬や生命科学関連の研究開発事業を支援している。
森さんの講演のタイトルは「心理学的アプローチによるイノベーション創出とベンチャー起業」。森さんは「工学部の先生が何で心理学をテーマに選んだかというと、人生が大きく変わった2つの出会いのうちの1つに心理学の先生との出会いがあった。当時私は(メンタル的に)病んでいたんですよ」と切り出した。「工学部で教授をしていた父親に厳しく、時に罵倒されながら自信を持てないようになっていた」という自己開示が会場の参加者の心を一気に引きつけたようだ。
「学生のころにやっていたことと助手になってからやったことは全然違うんですよ」。学部で電気工学を学んだ森さんだが、後にベンチャー起業に結びつく、独創的な方法によるタンパク質・有機結晶などの新しい結晶育成の研究についてていねいに解説してくれた。
助教授だった2001年1月 。当時は産学連携の研究開発に携わっていたが、いろいろ悩みながら考えることも多かった。そんなときだった。著名な心理学者である田中万里子さんとサンフランシスコでの国際会議からの帰りの飛行機内で出会った。田中さんはサンフランシスコ州立大学の名誉教授で在米期間が長い研究者だった。トラウマがさまざまな問題に関わっていること、そのトラウマは解消できることなどを機内で聞いた。「人生で初めて心理学の研究者と出会った。日本のこともアメリカのことも分かる人だと思った」。日本は産学連携やベンチャーがうまくいかないのはなぜか、とたずねたところ、田中さんはひと言『メンタルの問題です』『メンタルは変えられます』と答えたという。機内では8時間も聞き、話し通しだった。そして、「自分に自信が持てないのは、『父親には絶対かなわない』というトラウマのせいだ」と確信したという。
その後、大阪大学で田中さんに講演してもらったり、実際に田中さんのカウンセリングを受けたりした。カウンセリングの効果はてきめんで、父親と向き合っても平気になった。そしてカウンセリングや心理学を自分の仕事や職場にどう生かすかを考えた。そうした模索が大阪大学で文部科学省の大型プロジェクト「フロンティア研究拠点構想」が始まることにつながった。「心理学的アプローチによるベンチャー企業創成」という工学部では実にユニークなテーマが採択されたのだ。
そのプロジェクトでは、学生や教員らが一緒にカウンセリングを受け、その効果を振り返った。プロジェクトのメンバーが自分を振り返ることにより、自分がやっていることを客観的に評価することにつながった。プロジェクトの推進に大いに役立ったという。「やろうと思えばやれる」と課題に前向きなれる。メンバー間のコミュニケーションが円滑になれるー。こうした効果は大きかった。心理学的アプローチを異分野連携によるタンパク質結晶化プロジェクトに応用したところ、メンバーのモチベーションが高まり、プロジェクトの活性化につながった。こうした成功が2005年の創晶設立につながった。トラウマを取り除いたことで、自己の創造性にとって障害となっていたものを除外できたのだ。森さんは2013年には心理カウンセリングを研究者や教職員らに行う創晶の関連企業も立ち上げている。
カウンセリングを受けなかったら起業には至らなかった、と森さん
カウンセリングを受けなかったらベンチャー起業には至らなかった、という森さんは、メンタルを変えることで人間は、そしてプロジェクトは活性化すると確信している。 「(プロジェクトを進める立場としては)メンバーに対するひとこと、ひとことが大事だ」。そうしてこうした自分自身やメンバーの心と向き合うアプローチは「イノベーションにも効果的だ」と強調している。
休憩を挟んでパネルディスカッションがスタートした。タイトルは「三途の川の飛び越え方」。
このユニークなタイトルがついたディスカッションのファシリテーターを務めたのは京都大学大学院思修舘教授の山口栄一さん。専門は物性物理だが、イノベーション理論にも詳しいことで知られる。ディスカッションには、久能さん、森さんに、京都大学総長の山極壽一さんと前総合科学技術・イノベーション会議議員で日本工学アカデミー理事の原山優子さんが加わった。
山口さんはタイトルについて「どうリスクを取るかが問題で、アメリカでは死の谷ということばをよく使う。会社を起こすということはそれだけ命がけのこと」で、あえて「三途の川」という表現を使った理由を説明した。
この日初めて発言する山極さんは「私の師匠の今西錦司さんはアルピニストでもあった。ふだんは一人でもいいが、山を登るのは命がけだからメンバーが一致団結することが大切と言っていた」。山極さんが久能さんに、男性と女性とでリスクの取り方、距離の置き方に違いがあるかをたずねた。すると久能さんは、この日の議論の柱のひとつであるイノベーションとジェンダーの問題に関連して次のように語っている。
「アメリカに行って一番良かったのは(女性であっても)放っておいてくれたこと。特に心配はしなくても助けてと言うと助けてくれる。うまくいったときはすごいねと、うまくいかなかったらグッド・ラックと言ってくれる。そんな距離感が快適だった。自分自身を作るためには周囲の人とべたべたしないことが大事。ゴールを目指すためのビジョンを示す人は一人であってもそのゴールを目指して進むときにはメンバーそれぞれが違う役割を持つことが大切。ビジョンを共有して互いに信頼することが大切でやはり山登りに似ている」
山極さんが森さんの講演を念頭に「親からの呪縛から逃れられない女子学生が多い。大事な宝物を花開かせるためにはどうしたらいいか」と森さんにたずねると、森さんは自身の体験から「どこかで親との関係絶たないと(親の呪縛から逃れられないという)連鎖が続くんです」。
挑戦のためには時に既存のルールを壊す、跳ぶことも必要、と原山優子さん
次に原山さんがマイクを持ち次のように指摘した。「私もそうだったが(女子は)母親の影響が大きいかもしれない。母親だけではない環境をつくることが大切」「久能さんと森さんの話を聞いて自分が主体的になって行動することが大事だ、と思った。そうした行動を継続するための体力も大事。(新しい挑戦をする時には)時に既存のルールを壊す、跳ぶことも必要だ。楽しい体験をすることも必要だが、女性はそういう体験をする機会が少ないかもしれない」「幸福とは何かということを軸に(若い人に)行動を促すことが我々に求められている。楽しみながらやろうとすれば時に苦痛なことも明日がんばろうと思える」と指摘した。原山さんは、社会全体の軸と個人の軸は相反するものではなく、頭の片すみには常に社会にどういうインパクトを与えるか、どう貢献するかを考え、周りの人たちをどのように持っていくかという配慮があれば、強いメッセージを持つ行動ができるという。
「自分を見るときには相対評価ではなく絶対評価が大事で、負け続けて落ち込んでも、生きているだけで幸せ。そこから頑張ればいいとマインドセットできたら実際に頑張れる」と森さん。久能さんは「(成功に結びつく)『できる感じ』を体に入れるためには、小さな挑戦を繰り返すことが大事。私は、他人と比べない、過去を振り返らない、変えることができないことは悩まない。といつも思っている。できることからやるという気楽な考え方をしているうちに自己実現できると思う」
ここで山口さんは議論の論点を、「内なるマインドセット」「女性の社会参画」「混迷する日本の産業・科学の未来」の3点にしぼった。
山口さんも物理学者の道を中断して起業家への道を探ったときに精神的にきつかった、と自己開示しながら「科学者がイノベーターになるにはどのようなマインドセットが必要か、リスクをどうとったらいいか」についてのコメントを求めた。
すると久能さんは「ハイリスクハイリターン、ローリスクローリターンと言うが、ハイリスクをとった人が成功すればハイリターン。ローリスクをとった人は成功してもローリターン。失敗することをみんな恐れるが失敗してもノーリターン。元に戻るだけ、元々何にもなかったんだからという感覚が大切だ」と答えている。
「カウンセリングを受けてトラウマを取り除いてもらっても簡単には起業できなかった」。山口さんがそう言いながら森さんにコメントを求めると「プレッシャーを受けたときにカウンセリングを受けた。そこで何とかなる、と思えるようになったのが大きかった」。山口さんは、自分でもできる、という感覚を抑えている研究生が多いと感じ、自己効力感をもってもらうためのカウンセリングを推奨しているという。
物理を学びたくて理学部に入ったという山極さんは途中で人類学の分野に進路を変えた。「未知のことに出会うことを目指さないなら学ぶ必要はない。理学部では皆、研究者になることを目指しているがそれ自体トラウマかもしれない。物理や化学、数学にしてもそれが社会実装につながるなんて学生は考えていない。自分でやっていることや自分の発想が人の役に立つかもしれないと目に見えるようになれば(研究も)面白くなってくるだろう」
2番目の論点「女性の社会参画」について山口さんは「日本では女性に対してまだ『ガラスの天井』である」と口火を切った。原山さんは東京・銀座の生まれだが、フランス・パリやスイス・ジュネーブにも滞在し、専門分野も数学、教育学、経済学と幅広い。「行き当たりばったりの積み重ねで今日があった。何に向いてるかはやってみないと分からないし、うまくいったらハッピーだしだめだったらまたやればいいという軸で動いた」。男性、女性という軸で考えたことはなかったという。
アメリカにも「ガラスの天井」はあり、「アジア人だから」と見られることもあるという久能さん。「一人一人が天井を壊すという覚悟と、壊される方はそれでもいいというおおらかさを持つ社会構造が必要だ。どうしたらおおらかさを持てるかと考えると、例えば、自分がうまくいっているからあなたもやったらという感覚。そうした感覚は女性に多くみられるものかもしれない。人間が前に進むためには競争も必要だが、男性が最初に行くと往々にして振り返らない。振り返って遅れている人をサポートする視点は、女性は得意かもしれない」
「社会的課題を見る力が大事」「ジェンダーギャップのハーモナイズを」と山極壽一さん
最後は「混迷する日本の産業・科学の未来」の論点だ。山口さんは科学・科学技術分野での急成長を遂げている中国と、逆に低迷している日本の実力を示すデータをスクリーンに映しながら「今後科学の覇権は、中国が握るだろう。日本は科学のどの分野でもアクティビティが下がっており、科学者が、博士の数が減っていることを示すグラフと重なる。1996、7年ごろから企業が基礎研究から離れた。企業からの論文数が減っている」と指摘。その上で「アメリカでは実は新しい研究開発モデルができて『イノベーション・エコシステム』と呼ばれている。ベンチャー企業が基礎研究を担っている。日本ではこのシステムが漂流している」と問題提起した。
「どうしたら日本の大学が再生できるか」という極めて重い課題について山極さんは「これまで製品をつくればつくるほど世の中のためになると思ってきたが、地球環境が危なくなって、これ以上新しい製品をつくって人間の生活が変わってもそれはマイナスになりかねない。そんな時代だがイノベーションのチャンスもある。社会的課題を見る力が大事だ。解決方法については男性と女性のジェンダーギャップをうまくハーモナイズする必要がある。そういう意味で女性の参画は必須だ」と強調している。
久能さんは「男性が慣れ親しんでいる得意分野と女性が慣れ親しんでいる得意分野がある。多様性が大事で、それぞれが得意なところを生かすことが大切で、それができれば成功確率も上がると思う。トレンドがあるからとか皆がやっているから、ということを外してみると、いろんな人のいろんな得意分野が出てくる」「日本は先に行く国を追っかけないで独自の価値観をもって強くて品格のあるイノベーションを出していくことが大事だ」と述べている。
森さんは「少数派が旗を振ることも大切」と言う。原山さんは「久能さんの意見と同感でアメリカをモデルにする必然性はない。今、全国の大学を回っているが社会的課題を自分事として考えている学生は多い。これは明るい未来だ。それを具体的な何かに結びつけるやり方や機会を提供することは大学の仕事だろう。例えばSDGsにしても自分で何をしなければならないかを体験ベースで考えることも大事だ」「日本は新たな学問分野を見つける投資が弱い。今から種をまくことが求められる」。それぞれの実体験に裏打ちされた説得力ある発言が続いてディスカッションを終えた。
「工学を含めて日本が良くなっていく要素はまだたくさんある」と渡辺美代子さん
熱い講演や意見のやり取りが続いていたシンポジウムも予定時間が来た。
最後に日本工学アカデミーのジェンダー委員会委員長で科学技術振興機構(JST)副理事の渡辺美代子さんが閉会のあいさつに立った。渡辺さんの感想コメントは「日本も着実に女性が活躍するようにはなっているがスピードが遅い。日本は何事もスピードが遅いが、中でも欧米と異なり会議を中心とした意思決定の仕方に時間がかかる。それは必ずしも悪いことではなく合意をとりながら進めることも大事だが、(課題によっては)ものごとを早く進める必要がある。もっと個人に任せる部分を多くする必要があると思った」「日本にも素晴らしい女性はたくさんいるが、講演などを頼むと最初は遠慮して断る方が多い。世界中で日本の女性が最も謙虚で自信が足りない。(久能さんの話を聴いて自分は自分という)もっと自信を持つことが大事だと思った」「森さんの話では、とにかくトラウマを除くことが大切で、それを実現できる方法があることを知り、とても勇気づけられた」。そして「今日は、工学を含めて日本がこれから良くなっていく要素がまだたくさんあることに改めて感じることができた、今日の内容を次のステップに必ずつなげていきます」と締めくくった。
(サイエンスポータル編集長 内城喜貴)
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