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女性研究者育成と学問研究の多様性確保を(土屋由香 氏 / 愛媛大学 女性未来育成センター長・教授)

2016.04.20

土屋由香 氏 / 愛媛大学 女性未来育成センター長・教授

愛媛県の取り組み

土屋由香 氏
土屋由香 氏

 筆者の専門は冷戦史で、特に核・原子力をめぐる米国の広報文化外交を研究しているが、2015年度から学内では女性未来育成センター長の役割も拝命している。日本の大学における女性研究者の割合が先進国の中で底辺にあることは、これまで何度も指摘されてきた。国立大学協会でも2000年以来数値目標を設けてこの問題に取り組んでいる。愛媛大学も「2020年までに18%」という目標を掲げて、女性教員の採用にインセンティブを与える「愛大式ポジティブ・アクション」や学内保育所の整備などに取り組んできたが、目標達成は厳しい状況である。

 このため今年2月22日には、国内外のポジティブ・アクションに精通し、国立大学の女性枠人事に関する外部委員も務めてこられた大坪久子先生(日本大学薬学部薬学研究所上席研究員)にご講演をお願いし、各学部の学部長および学部長代理によるパネルディスカッションを開催した。学内で情報と問題意識とを共有する好機となったが、実際の対策は今後に委ねられている。

講演する大坪久子氏(愛媛大学で)=筆者提供
講演する大坪久子氏(愛媛大学で)=筆者提供
講演する大坪久子氏(愛媛大学で)=筆者提供
パネルディスカッション(左端筆者、その隣大坪久子氏)=筆者提供

 一方、地元経済界では管理職を対象とする勉強会を開いて意識改革を図るなど、女性活躍推進に本気で取り組んでいる。この背景には、急速な少子高齢化・労働人口不足への深刻な危機感がある。2013年の愛媛県の出生数は戦後最少の10,696人で、公益財団法人日本創成会議人口減少問題検討分科会の推計による「消滅可能性都市」のリストには、県内13市町村が含まれている。まさに少子高齢化「最先端」を行く県の生き残りのためには、女性が地域に残り活躍できるようなシステムを作るしかない。

 こうした状況に伴い、愛媛大学も実は危機的な状況にある。上記の2013年生まれの子どもたちが18歳になる2031年に、もし現在の愛媛大学の入学定員(約1,800人)が続くと仮定するならば、受験倍率3倍前後を維持するためには県の18歳人口の半分以上が愛媛大学を受験しなくてはならないという、とんでもない計算になる。

 こうした大学の「危機」と、女性研究者支援とは無関係ではない。女性教職員が研究・教育に打ち込みながら安心して家庭も維持できるような環境づくりは、人口対策という直接的な意味だけではなく、女子学生のロール・モデルとなり、彼女らが研究者を目指したり地域で活躍したりするきっかけを作るだろう。また女性研究者の流入によって多様な研究教育スタイルがもたらされ、活力ある地方文化を育むことにもつながる。そのような環境づくりは、地方の知と文化の拠点たる国立大学の矜持(きょうじ)でもあるのではないだろうか。

知の多様性

 ここまでローカルな女性研究者活躍推進について書いてきたが、実はこうした問題は、より大きな知のパラダイム転換にも関係しているように思う。「複雑系」という言葉はすっかり使い古された感があるが、現代社会の抱える問題の多くは、ある一つの学問分野や研究方法のみでは解決できない。「なぜテロが後を絶たないのか」「どうすれば難民問題を解決できるのだろうか」−。そこには政治、歴史、経済、宗教、心理、ジェンダー等の要因が複雑に絡まり合っている。

 気候変動による環境変化を測定するためには生物学や気象学の知識が必要だが、二酸化炭素(CO2)排出規制の負担を先進国と途上国に平等に求めるべきかどうかという問題になれば、国際関係や国際法の知識を動員しなくてはならない。さらに「なぜ女性研究者が少ないのか」という問いに対しても、心理学や脳科学のみならず、歴史的・社会的に構築されてきた規範や通念に踏み込まなければ答は出ないであろう。

 このように現代社会のほとんどの問題は複合的原因で起こり、したがって複合的な解決方法が求められる。文系と理系の融合や多様な研究方法の組み合わせのみならず、女性研究者が多い分野—例えば家政学・看護学・ジェンダー研究など—から生まれる知見も必要であるし、多様な視点(例えばマイノリティーからの)や問題意識(例えば介護や看護を誰がするべきか)に基づく研究テーマ・研究方法も求められるであろう。生物多様性が環境変化への適応に重要であるのと同じように、知の多様性も複雑な問題に対処するために重要である。女性研究者の育成と活用は、知の多様性を担保する上でも必要なのではないだろうか。

文系の研究活動と新たな知の創出

 ところで最近、18歳人口の減少や科学技術振興の要請から、文系の研究は軽視される傾向にあるが、このことは上に述べたような知の多様性とどのように関係するであろうか。理系の学問分野において研究と教育の連動は半ば自明であるが、文系でも研究と教育が連動していることに理解を得るのは、必ずしも容易ではない。形のあるモノを創るわけでもなく、病気を治したり災害を防いだりする手段を開発するわけでもない。「何のために研究をするのか」という疑問は当然かも知れないし、そうした疑問に答える努力がこれまで十分なされてこなかったのかもしれない。

 文系の研究も、上に述べた知の多様性の担保と大いに関係があるように思う。冷戦史研究は、かつては核兵器開発による軍事対立や米ソを中心とする大国間関係にテーマが限定されていた。そして、これらの研究者はほぼ例外なく「先進国の男性」に限定されていた。もちろん大学教育の現場でも、こうした研究に基づいた冷戦像が教えられていた。ところが冷戦終結後20年以上たった今、旧社会主義国を含む多くの国々での公文書の公開と、かつては語れなかった証言、そして「先進国の男性」以外の研究者の躍進によって、冷戦史研究は熱気を帯びた討論と日進月歩の展開を見せている。

 当然、大学教育の現場にも最新の研究成果は反映されている。「今ある世界が、どのような経緯を経て形成されてきたのか」についての理解が、より複眼的で多様性に富んだものになったと言ってもよいだろう。もし大学教員が、20年前に定説となっていたことだけを教えるとしたら、現代世界に対する理解を著しく欠くだけではなく、探求によって新たな発見が生まれるという、研究の真髄を学生に伝えることはできないだろう。

 冒頭でも述べたように、筆者は核と原子力をめぐる広報文化外交に焦点を当てているが、日本ではまだ、核や原子力のことを扱う研究者はなぜか男性が多いし、文化や家庭生活に焦点を当てる研究者には女性が多い。統計を取ったわけではないが、明らかにそのような傾向が見てとれるのである。「核と原子力」をめぐる「広報文化外交」という研究テーマは、あえて誤解を恐れずに単純化するならば「男性の研究分野と女性の研究分野の境界線上」にある。そのような研究テーマにたどり着いたのは、筆者が米国の大学院で教育を受け、日本ではまだ女性が進出していない分野を扱うことに心理的抵抗が無かったからかもしれない。

 このように文系の研究においても、新たなテーマや視点が導入され知の多様性が拡大することによって、歴史や外交に対する解釈や語り方はダイナミックな変化を続けている。研究に裏付けられない大学教育はあり得ないし、研究が停滞すれば教育も停滞するというのが実感である。その意味で、文系の研究教育のすそ野を地方大学にまでしっかり拡げておくことは、今後日本が立ち向かわなくてはならない複雑でグローバルな問題の数々に対処するための、知的体力を維持することにつながると考える。

新たな規範や通念の構築

 研究の進展によって、これまで常識とされてきた世界観や通念が再構築されるのは、文系・理系を問わない現象であろう。例えば、これまで学問的に無視されてきた小国についての研究が進むことによって、大国中心の世界観が覆り、冷戦の定義自体が見直される。実際に、冷戦期のアジア・アフリカ諸国についての研究は近年著しく進展し、大国と新興独立国との関係についての理解は、20年前とはまったく違う深さと厚みをもっている。研究者の側の常識や通念も、研究の進展によって再構築されたのである。このような変化の過程に着目する「構築主義」(constructivism)の考え方は、社会学を発信源として多くの学問分野に波及してきた。

 ジェンダーにまつわる規範や通念も、それをとりまく社会経済的環境によって構築されてきた。例えば「男らしさ」や「女らしさ」の概念も、時代や文化によって変化してきた。少子高齢化という大きな社会変化によって、今まさに新しい規範や通念が構築されつつある。愛媛県の企業や団体から成る「えひめ女性活躍推進協議会」は、「私たちは、これ以上柔軟な働き方ができないのかを確認することによって、女性の活躍を阻害する要因を取り除くとともに、男女の働き方の変革を進めます」など9カ条から成る「行動宣言」を採択した。男女雇用機会均等法一期生世代の筆者にとっては、目の覚めるような変化である。

 こうした変化が男女平等思想に基づくものではなく、経営上の要請に起因するものであったとしても、新たな価値や規範が生まれていることに変わりはない。歴史的にも常に、戦争や産業革命などの大きな社会変化が、ジェンダー規範の変化をもたらしてきたのである。

 ジェンダー規範においても文系の学問研究においても、社会変化に適応して新しいアイデアが構築されてきた。少子高齢化とグローバル化、それに伴う複雑な課題が山積する今日の世界において、こうした歩みを止めることは自らの首を絞めることに値する。女性研究者の育成と文系を含む学問研究の多様性確保は、大学や地域社会の生き残りをかけた投資である。

参考資料

  • 愛媛県ウェブサイト(出生数および合計特殊出生率の推移)
  • 総務省人口推計(2015年4月17日)
  • 毎日新聞ウェブサイト「消滅可能性 全896自治体一覧」(2014年5月9日)
  • えひめ女性活躍推進協議会「女性が輝くえひめをつくる:行動・発信・打破・連携の取り組み」(平成27年度えひめ女性活躍促進事業報告書)
土屋由香 氏
土屋由香 氏(つちや ゆか)

土屋由香(つちや ゆか)氏プロフィール
1986年大阪外国語大学英語学科卒。企業勤務の後、米国メリーランド大学歴史学部でM.A.取得(93年)。広島大学総合科学部助手(92〜99年)米国ミネソタ大学に留学、2004年アメリカ研究学部でPh.D.取得。同年愛媛大学法文学部准教授、09年同教授。15年愛媛大学女性未来育成センター長、13年愛媛大学教育研究評議員。日本学術振興会科学研究費で、冷戦や核に関する研究プロジェクトの代表者を務め、それらの成果として「文化冷戦の時代—アメリカとアジア」(共編著、09年)、「占領する眼・占領する声—CIE/USIS映画とVOAラジオ」(共編著、13年)などを出版。

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