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コミュニケーション力でイノベーション創出を(山本佳世子 氏 / 日刊工業新聞社論説委員 兼 編集局科学技術部記者)

2013.01.24

山本佳世子 氏 / 日刊工業新聞社論説委員 兼 編集局科学技術部記者

日刊工業新聞社論説委員 兼 編集局科学技術部記者 山本佳世子 氏
山本佳世子 氏

 国立大学法人化から10年弱。それ以前から産業専門紙で大学・産学連携の専門記者としてきた私が、もっとも感じている変化のプラス効果は、「多くの大学の研究者・教員が、大学や研究の意義を社会に知ってもらう努力をするようになったこと」です。税金を元とする公的な資金を使って活動している以上、非常に基礎的な研究テーマであったとしても、「この分野の新たな知の構築を通して社会に貢献したい」と考えたり、「若者の知的好奇心を刺激し、科学技術を担う人材が育っていくように」と願ったりし、社会とのコミュニケーションを思案するようになりました。中でも今、期待が高まっているのは、既存の仕組みを大きく変える、技術を中心とする社会革新(イノベーション)に、大学の研究者が貢献することです。

 科学技術の研究は伝統的に、現象を細分化し要素に分けて新たなものを見いだす「分析型」でした。けれども近年は、さまざまな要素技術を組み合わせて価値を生み出す「統合型」が重要になっています。そのため、イノベーションは異分野融合によってしか出てこないといわれるほどです。科学技術としての異分野や、企業と大学など異業種の融合です。

 一例として、東京女子医科大学生命先端医科学研究所の再生医療グループを挙げてみましょう。培養細胞シートの基本技術を武器に、まずは目の角膜やがん除去後の上皮細胞再生に取り組んでいます。将来は、重ねたシート内で血管を増殖させ、厚い組織の臓器まで作り出そうという画期的な再生医療ビジネスも狙っています。このため、表面加工や細胞パターン作製に応用できる印刷技術で大日本印刷、細胞の大量生産に向けたロボット技術では日立製作所などと連携し、シートを供給する大学発ベンチャーも動いています。従来は想像できなかったようなつながりをするために、異分野の専門家同士のコミュニケーションが進んでいるのです。

 中心となる同研究所の岡野光夫所長は、私が初めてお会いした約20年前、普通の高分子材料の研究者でした。温度によって親水性、疎水性が変わる材料を開発し、この材料で培養皿を作って細胞をシート状に培養したうえで温度を変えれば、機能を損なわずに細胞シートが回収できると考えていました。材料の基礎研究者としての応用開発の見通しといえるでしょう。

 ところがその後、岡野所長はそれを実際に使った医療へと研究の道を大きく踏み込むことになりました。新しい医療システムの必要性には皆が同意してくれますが、患者相手に日々、駆け回っている医師には余裕がありません。岡野所長は工学の研究者でありながら「これは自分がすべきことだ」と心を決め、自らの専門性を広げながら、多くの人にこの新たな仕組みの普及を訴えていきました。材料から生産や医療の技術へ。研究から医療現場へ。「今ある治療法では救えない大勢の患者を、新しい工学技術によって救いたい」。岡野所長の熱い思いが、多くの異分野の研究者や研究費助成の担当者とのコミュニケーションを促進し、活動が広がっているのです。

 「イノベーションとは何か」を実感させた点では、一般には2012年ノーベル医学生理学賞受賞の山中伸弥・京都大学教授が先に思い浮かぶかもしれません。多量の報道がなされたので説明は省略しますが、同じ再生医療分野で人工多能性幹細胞(iPS細胞)によるイノベーションを、大勢が予感するところとなりました。

 山中教授の経歴・エピソードのうち私が関心を持ったのは、何度も進路・専門や所属機関を変更してきたことです。しかも、山中教授は要領のよいタイプではありません。指導的立場にあるはずの教員から「ジャマナカ」と揶揄(やゆ)され、米国から戻った時にも精神的に追いつめられています。

 では、山中教授がiPS細胞を創り出す舞台となった大学の採用面接を通ったり、後に重要な相棒となる学生を研究室志願者に引き込んだりした力は、いったい何だったのでしょうか。光輝くような実績や、背後にある研究コミュニティーにおけるボスの影ではありません。それは自身の研究意欲と人柄であり、それを相手に感じさせるコミュニケーションだったといえるのではないでしょうか。独立した小規模な研究室において発揮される熱意と誠実さ、そして粘り。iPS細胞作製に成功してからは、研究環境を大きく発展させられましたが、ここでも政府や製薬や機器の企業など、自身とは専門が異なる人を相手に夢を伝えることがキーになりました。

 私も少し前に取り組んだ博士研究を通して、両研究者にもちろん及ぶべくもありませんが、これに似た経験をしました。「大学発ベンチャーを中心とする産学官連携のコミュニケーションの研究」をテーマとしたのは、イノベーションのけん引役として期待される大学発ベンチャーで、発明者や技術者と、ビジネスの専門家や金融機関関係者とのなじみがよくないことが、取材で気になったのがきっかけでした。そして中心となる調査研究で、大学発ベンチャーと、その技術を活用する大手製造業の間では適切な技術コミュニケーションが成立しており、世間一般の「大学発ベンチャーはうまくいっていない」というのとは異なる評価がされていることを、明らかにしました。

 この研究に向けて私は、大学発ベンチャーの発明者、経営者、ベンチャーキャピタリスト、大学の産学連携支援者といった現場実務家、それに技術経営(MOT)、経営学、経済学、博士学生として所属した化学工学など多分野の学術研究者とかかわりました。先達の知を学ぶという意味だけではありません。「この研究の仮説はこれまで言われていなかったものであるけれど、絶対に重要だ。社会科学だけの、また技術一筋の、どちらの学術研究者にも、そして産学官連携の現場関係者にも、このことを伝えたい」との思いが、日々の新聞記者とも違うコミュニケーションの原動力になったのです。

 研究者は専門分野を深めることに全力を尽くせばよい—。それは過去の話です。社会の豊かさに貢献する研究開発をしたいのなら、何としても他分野とつながるコミュニケーションに踏み出さなくてはなりません。目的は、一人では達成できない新しい何かを生み出すことです。実はそれは、研究に限りません。教育でも、産学官連携でも、国際交流でも。コミュニケーションによって多様な力を結集し、相乗効果を発揮することが求められているのです。

 けれども研究者は専門性が高いため、専門の異なる人々の側に自ら降り立ってコミュニケーションするのを苦手するようです。そのため私は少し前に、技術のコミュニケーションを主題とした書籍『研究費が増やせるメディア活用術』(丸善出版)を記しました。大学院修士までは理工系研究者を夢見ていた私ですから、記者という本業だけでなくこの本を通して、大勢の研究者のコミュニケーション力向上に貢献できれば、それは何と素敵なことだろうと思っています。

 専門用語も、価値観も、文化も異なる世界の人々との交わりは、決して簡単ではありません。けれども、少なくともイノベーションに向けたコミュニケーションは、科学技術に価値を置く相手との交流なのです。失敗してもくじけずにまた、取り組んでください。コミュニケーション力を磨きながら、イノベーション創出に向かうステップに、今はあるのだと信じて。

日刊工業新聞社論説委員 兼 編集局科学技術部記者 山本佳世子 氏
山本佳世子 氏
(やまもと かよこ)

山本佳世子(やまもと かよこ) 氏プロフィール
神奈川県生まれ。神奈川県立厚木高校卒。1988年お茶の水女子大学理学部化学科卒。90年東京工業大学大学院総合理工学研究科電子化学専攻修士修了、日刊工業新聞社入社。科学技術(バイオ、医学、化学)担当、ビジネス(化学、食品)担当を経て、13年間大学・産学連携担当。2011年博士(学術)を東京農工大学で取得。同年度産学連携学会業績賞を受賞。東京工業大学、東京農工大学、電気通信大学で非常勤講師。

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