「必要な薬物を必要な時間に必要な部位で作用させるための工夫や技術」といったDDS(Drug Delivery System 薬物送達システム)についての研究者組織「日本DDS学会」の第28回学術総会が7月4、5日、「基礎から拓くDDSフロンティア」をメーンテーマに札幌コンベンションセンターで開かれた。
4日の開会にあたり、原島秀吉大会長(北海道大学大学院薬学研究院教授)が、「医薬品開発の世界ではいま、バイオ医薬への歴史的なパラダイム変換が起っている。特に“アンメット・メディカル・ニーズ(Unmet Medical Needs)”と呼ばれる、まだ有効な治療法がない、がんやアルツハイマーなどの疾患領域で、画期的な創薬への期待が大きい。DDS研究が先駆的な医療において不可欠となってきた。より高度なDDS技術が求められている」とあいさつした。同日午後から、次の特別講演と最先端特別シンポジウムが行われた。
特別講演「ゲノム創薬の現状と展望」中村 祐輔 氏(シカゴ大学医学部血液・腫瘍内科教授)

* 中村教授は「高齢化が進み、医療のニーズが高まっている。日本の医療費が高騰するのは必至だ」として、日本の貿易赤字の半分を占める医療機器と医薬品の輸出入額について解説した。
《要旨》特に医薬品は2000年で輸出が頭打ち、05年から輸入が急増している。輸入超過は10年が1兆1,500億円で、11年は1兆3,600億円に拡大している。中でも、がんの分子標的治療薬は非常に高額で、ほぼ海外に依存している。なぜこのような状況が生じたか。1つには“ドラッグラグ”の解消にだけ焦点が当っているためだ。患者さんに薬が早く届いても、結局は輸入が増え、国内の創薬バックアップになっていない。もう1つは、創薬研究におけるアカデミアと企業のギャップ。基礎研究から応用、実用化への「死の谷」を埋めることに汲々としてきたことにある。
以前に厚生労働省の依頼で、米国やカナダ、英国などの公的創薬支援機構の現状を調べた。台湾の「超高速薬剤スクリーニングシステム」には、100万種類以上の化合物が保管されている。他方、米国では900種類のがん医薬品を開発中で、がんワクチンは100種類以上の治験が行われている。それらが承認されれば、もっと輸入が増える。日本の医療経済の面からも強い危機感を抱いている。
いま世界では、ゲノム手法(全遺伝情報を基に疾患に関わる標的分子を特定する)による薬の開発が主流だ。米国はゲノム科学への大きな投資で、バイオメディカル分野に多くの雇用と経済効果を生み出した。オバマ大統領は11年の一般教書演説で、イノベーションと教育の重要性を挙げている。同年12月には、米国立衛生研究所(NIH)に「国立先進トランスレーショナル科学センター(NCATS)」が創設された。日本にも、大学と国内製薬産業のスピーディな橋渡しと、そのために省庁を横断的に束ねた形の「創薬支援機構」が必要ではないだろうか。
* 中村教授は、日本で新薬が生まれにくい状況を次の5つの視点から論じ、研究の再評価の仕組みづくりも提唱した。
《要旨》<1>研究者の場合、社会還元の追求よりも、評価の高い雑誌への発表の方が評価される傾向があり、早く結果が出る研究に目が向いてしまう。<2>医師は、診療業務で忙しく治験業務の余裕がない。臨床研究は非常に時間がかかるのに評価が低い。<3>製薬企業は、創薬手法の転換が遅れている。米国では、患者が限られていても有効な薬がない分野で新薬を開発しようという流れだ。市場の大きな薬をよしとする日本の考えは戦略のミス。また企業にも言えるが、<4>規制当局は、失点しないように革新的な医薬品・医療機器のリスクを回避する傾向だ。
特に<5>メディアについては、科学的リテラシーの不足、行き過ぎた商業主義が背景にある。人間はミスをするし、薬の影響は非常に個人差があるのに、「ミスや副作用は絶対悪」という見方では、医療現場や企業を萎縮させる。どうしても「患者対医療側」という対立構造が作られてしまい、ひいては、がん患者さんが新しい治療にアクセスする権利さえ奪うことになる。
* 中村教授自身が、約10年前から東京大学医科学研究所で行ってきた滑膜肉腫の研究についても紹介した。
《要旨》「FZD10」と呼ばれる膜タンパクが、特異的にがん細胞の中に入り込む性質があることが明らかになった。しかし日本では臨床試験の補助金が得られず、欧州がん研究・治療機構のブレ教授とのご縁で、現在フランスのリヨンで治験を行っている。抗FDZ10抗体が、滑膜肉腫の肺の転移巣(てんいそう)に届いていることが分かった。24時間、72時間後の病巣への集積を検証すると、腫瘍の増殖が止まり壊死(えし)を起していた。
抗FDZ10抗体では、白血球の減少が一部認められたが、従来の抗がん剤に比べれば、副作用としては遥かに軽微だった。抗体そのものに抗腫瘍活性はなくても、このような方法でがんの治療薬に変換させることができる。ただ、フランスで承認されて補助金が出ており、フランス人が対象だ。歯がゆい状態が続いている。
20年ほど前から、腫瘍の抗原になりうる「特異的細胞傷害性T細胞(CTL)」を選択的に活性化させるペプチドワクチン(以下ワクチン)の開発も研究している。日本国内の約60の病院の協力を得て、「がんペプチドワクチン臨床研究ネットワーク(CAPTIVATION NETWORK)」を設立し、臨床研究を進めてきた。すでにがん患者さん1,700人にワクチンを投与し、安全性を確認するとともに、免疫学的反応と臨床学的効果との関係などを解析している。
食道がんの症例では、患者さんの血液から採取・増殖させたがん特異的リンパ球の攻撃によって、がん細胞に穴が開き、あちこちで破裂していく。それを映像で検証できるようになった。こういうリンパ球をうまく誘導できれば、がん細胞を殺すことができる。肺がんの症例でも、ワクチンに反応するリンパ球が間違いなく増えて、再発が抑制されている。
米国では免疫力の向上に主眼がおかれ、新薬の開発が進んでいる。FDAは、2011年10月にワクチン療法に対する最終ガイダンス「Vaccines,Blood & Biologics Draft Guidance for Industry:Clinical」をまとめた。最近、一言追加された。「複数の新規ワクチンを混合する場合でも、一般的には、それぞれのワクチンを個別に評価する必要はない」。がんワクチンの安全性はかなり確証されたといえる。そして抗腫瘍効果は、腫瘍縮小という尺度だけで測れなくなった。
再発がんでは元の薬剤が効かなくなることが多いが、ワクチンで免疫を高めていると、半数の人に引き続き効果が見られた。ワクチンは、がんの早期や免疫力が低下してない段階でこそ、より効果を発揮すると思われる。しかし最大限に免疫活性を誘導できるには、ワクチンの「デリバリー法」が大きな課題だ。ここをクリアできれば、進行がんの厳しい予後を改善できるのだが。DDS学会でもぜひこの点に眼を向けていただきたい。
* 会場との質疑応答から
《要旨》薬は用途によって利点欠点がある。サリドマイドのように新しい薬効を探したり、俯瞰的に見ていく必要がある。米国の強みは、患者さんも新しいものを受け入れ、チャレンジするカルチャーが根付いていることだ。ある程度リスクを覚悟で試みて、そこから生きる希望というものが出来てくると思う。薬を「作る側、使う側、受ける側」が1つの方向に向かって進み、より良いものに仕上げていくという、社会の仕組みが出来ていることが大切だ。
最先端特別シンポジウム
現在「FIRST(注)」の研究開発支援制度を受けている3氏が、医療機器、革新的医薬、再生医療の各分野から最新の話題を提供した。
◆ 「Ionization delivery system(IDS)としての最先端放射線治療」白土 博樹 氏(北海道大学大学院医学部放射線医学分野 教授)

* 放射線治療の利点や成果の紹介後、「分子追跡陽子線治療装置」の開発について解説した。この装置は、北大開発の「動体追跡照射技術」と日立製作所開発の「スポットスキャニング照射技術」を融合してできた。肺や肝臓などの腫瘍は呼吸によって動くので、腫瘍の近くに1.5-2ミリメートルの金マーカーを刺し入れ、X線透視によって3次元で位置関係を捉え、さらにプラス・マイナス1ミリメートルの精度で調整して、ピンポイントで陽子線ビームを照射する。照射範囲は従来の50-75%ほどになり、正常な組織へのリスクが減る。現在、北海道大学病院敷地内に同装置による治療施設を建設中で、14年3月完成の予定だという。
《要旨》この空間および時間を制御する“4次元”放射線治療技術は、世界標準になってきている。日本発の医療機器で世界の市場に一定のシェアを確保したい。島津製作所と海外仕様の装置、アキュセラと微小がんの治療が可能な高精度X線治療機器などが、上市に向かっているところだ。また本学の未来創薬・医療イノベーション拠点形成事業では、先端メディカルハブにおいて、PET(陽電子放射断層撮影)に半導体技術を応用するなど、最適な診断情報を得るための高性能な技術開発も行っている。
患者さんにとって一番辛いのは、「自分のがんは治らない」と、希望が失われること。こういう最先端の治療技術が進歩して明日への望みにつながるなら、患者さんの苦痛を緩和することにもなるのではないか。常にそういうことを考えながら治療している。
◆ 「薬物・遺伝子ターゲティングのための超分子ナノデバイス設計」片岡 一則 氏(東京大学大学院工学系研究科/医学系研究科 教授)

* 世界に先駆けて開発した、がんを標的とする「高分子ミセル」の研究最前線を紹介した。「高分子ミセル」(以下、ミセル)とは、親水性の外殻と疎水性の内核の構造を持つナノスケールの粒子のこと。高分子物質は固形がんに集積しやすい。薬物や遺伝子を内包させ、高精度でがん組織に運ぶことで、優れた効果が見込まれる。難治がんに対する3例のDDS実験の概略を述べた。3例ともミセルに、白金製剤の「オキサリプラチン」(1年ほどで耐性獲得)を内包させている。
《要旨》
<1>薬剤耐性のがん:ミセルが腫瘍に集まったころに、薬剤をうまく放出するように製剤した。マウス大腸がんモデルに投与し、蛍光色素を使い顕微鏡で経過を観察した。ミセルは血中を安定的に循環し、約10時間後、がん組織内のがん細胞にも侵入し、薬剤を放出していることが明らかになった。
<2>間質(臓器の繊維性結合組織)が多いがん:すい臓がんが典型的で、がん組織に薬剤が浸透しにくい。そこでヒトすい臓がんモデルに対して、ミセルの粒径を30、50、70ナノメートルとサイズを変えて、抗腫瘍効果を確認した。30ナノメートルのものは深部まで到達してうまく腫瘍を抑制できた。がん組織を大型放射光施設「スプリングエイト(SPring-8)」で蛍光エックス線分析すると、組織の深部にプラチナ元素がきちんと分布していた。自然発症モデルでも検証した。50、70ナノメートルのものは効かなかったが、他の薬剤との併用など、有効性を高めるさまざまな治療法を検討したい。
<3>転移がん:見えないことが問題だ。スキルス胃がんの同種移植モデルを使った。ミセルが血中から直接、転移リンパ節に薬剤を放出し、転移を抑制していることが分かった。メラノーマの遠隔転移のモデルでも確認した。
さらに、ミセル化で副作用を軽減できる。例えばシスプラチンの強い腎毒性が抑制され、正常範囲に保つことが可能になった。水分の大量負荷が不要になり、QOL(生活の質)が向上する。いま世界各国で、5種類の抗がん剤を別々に内包した高分子ミセルが臨床試験に入った。抗血管新生と腫瘍の抑制、核酸医薬品による標的医療、低侵襲性の診断にも有望と思われる。
◆ 「細胞シート再生医療の臨床応用の現状と今後の展望」岡野 光夫 氏(東京女子医科大学先端生命医科学研究所 教授)

* まず、医薬品の海外依存に危惧を示し、「学問を横断的に、医学と工学のフュージョンを図るべきではないか」と訴えた。岡野教授は2000年ころ、世界で初めて「細胞シート」による再生治療の研究を、大阪大学の澤芳樹教授と始めた。ES細胞、iPS細胞を含む全ての細胞ソースを治療手段として、応用が期待できることや、心臓や角膜などの細胞シートの臨床例や課題、展望を語った。
《要旨》07年5月、人工心臓をつけて移植待機していた拡張型心筋症の患者さんに、本人の「筋芽細胞シート」を移植した。9月には心臓機能が回復し、人工心臓を外してリハビリ、同年12月に退院した。この方は、今年の再生医療学会に元気に来てくれた。「角膜上皮細胞シート」は、04年に、大阪大学眼科学の西田幸二教授と世界で初めて臨床で成功した。患者さんの口の粘膜細胞を2週間37℃で増殖・培養する。その表面の温度を20℃に下げることで、細胞の機能を維持したまま、専用の培養皿からシート状にはがせる。そして角膜に乗せて治療する。
食道の上皮がんでは、切除部分が大きいと狭窄(きょうさく)が起きる。するとバルーンを入れて大手術になり2カ月の入院だ。患者さんの「口腔粘膜細胞シート」を貼ると狭窄を防止し、数日で退院できる。本学で10人に行われ、スウエーデンのカロリンスカ大学と共同研究が進んでいる。近年取り組んでいるのは、歯と骨の間にある「歯根膜細胞シート」だ。例えば歯周病で歯茎が落ち、下の骨まで無くなって歯が抜けるのを防ぐ。それから中耳粘膜再生治療。中耳のがんの場合、聴力を保てる摘出手術をしたい。いま他の大学の耳鼻科医や血友病の医師が、私の研究室に来て必死に頑張っている。アシストの仕組みが全くない中で、研究者に負担がかかりがちだ。
細胞シートは厚さが100マイクロメートルを超えると酸素と栄養分が無くなり、血管が必要になるので、薄いシートの積層化を開発している。細胞製剤・再生医療の製品は、完全な無菌が求められる。作業には、「細胞プロセッシングセンター」(Cell Processing Center:CPC)という細胞培養の専門施設が必要で、かなりの費用だ。いま「組織ファクトリー」という、一連の工程の自動化を構想している。コンピュータで積層も制御し、秤量や培地の交換など全てロボットがする。コスト増が大きな課題だが、新しい技術で安全を担保できないかと進めている。
かつて自動車が発明されると、道路交通法などの新法や免許証、保険制度などが作られた。現行の医療法では、再生医療に対してルールが不明瞭だ。安全に効果的に進めていくために法制度の整備を提案している。
写真提供:同学術総会事務局(北海道大学大学院薬学研究院未来創剤学研究室)
(注1) FIRST(Funding Program for World-Leading Innovative R&D on Science and Technology、最先端研究開発支援プログラム):内閣府・総合科学技術会議が研究課題を公募し、日本学術振興会が執行する研究支援制度。基礎研究から実用化を見据えた研究開発まで、約5年で世界のトップを目指し、総額約1,000億円、各課題に対し約15-60億円の研究費が支給される。2010年3月に、全国から30人の中心研究者と課題が選ばれた。