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教育研究の推進は長期的視点で-「武士の家計簿」に学ぶ(石田寛人 氏 / 金沢学院大学 名誉学長、元科学技術事務次官)

2010.12.22

石田寛人 氏 / 金沢学院大学 名誉学長、元科学技術事務次官

金沢学院大学 名誉学長、元科学技術事務次官 石田寛人 氏
石田寛人 氏

 映画「武士の家計簿」が封切られた。堺雅人、仲間由紀恵、松坂慶子、西村雅彦、草笛光子、中村雅俊といった人気俳優が主な役をつとめている話題の映画である。これは、「金沢藩士猪山(いのやま)家文書」という古文書を探し出された磯田道史・茨城大学准教授の著書「武士の家計簿、加賀藩御算用者(ごさんようもの)の『幕末維新』」が映画化されたものである。さらに、金沢学院大学の石崎建治・准教授は、別途、同書の主人公猪山直之の日記を発掘されて、その内容を分かりやすくまとめられ、「加賀藩御算用者、猪山直之日記」として出版されている。私は、石川県出身者として、さらに金沢学院大学の学長を務めた者として、この映画に大きな関心を寄せている。

 この映画の広告用のチラシが手許にある。上段の写真に主人公たちが一列に映っている。彼らは、鯛の絵を前にして、お膳に向かいお椀(わん)と箸を手にしている。これは、一体何を意味しているのだろうか。実は、幕末の加賀藩で御算用者として採用され、会計係を務めた猪山直之が自家の支出を切りつめ、そろばん侍として家計立て直しに努力する姿を象徴的に表現したものだ。

 藩のそれなりの役に付けば、使用人の雇用、親戚や藩士同志のつきあいに金がかかる。そのため借財がかさんだ猪山家では、家の財政再建に取り組む。不必要な家財道具を売り払うとともに、支出を切りつめる。

 そんな中で、支出カットになったもののひとつが、髪置や袴着(はかまぎ)のような子供の成育儀礼の際、お祝いのお膳に付ける鯛(たい)である。鯛は、魚の王様、祝い事につきものではあるが、高価だ。本物の鯛を使うのは必須ではないとして、購入をやめながらも、祝意は十分に表わさなければならないと考えた直之は、実物の代わりに絵に描いた鯛を用いた。かくして、猪山家の人々は、食べられない絵鯛の前でお膳についているのである。

 石崎准教授の研究によれば、猪山家が実際に絵鯛でお膳を囲んだかどうか、必ずしもはっきりしないとのことだ。しかし、猪山家の家計簿から支出削減に絵鯛を用いた可能性を見いだされた磯田准教授の着眼は、誠にすばらしいものがあり、それを映画で巧みに映像化して世にアピールされた森田芳光監督の手法にも深く敬服している。

 しかし、直之は子供の養育には金を惜しまなかった。直之個人だけではなく、加賀藩は全体として学問や技芸や教育を重視する伝統を育んできた。これが、加賀は薩摩や長州や土佐のように明治維新をけん引する役割を果たせなかったものの、この大切な時期のわが国を多面的に支えた人材を北陸から輩出したことにつながったと私は考えている。

 藩主前田斉泰が将軍家から溶姫を正室に迎えるにあたり、現在の東大の赤門が建造された。直之の父信之はその担当者となったが、彼は経費節減のため赤門の裏側を朱色に塗ることをやめた。門を入った花嫁は、決して後ろを振り返らない。ならば、着色は不要である。懸命の財政支出削減であった。私は赤門の裏について全く意識していなかったが、先日あらためて確認したら、確かに門脇の塀や両側の番所の裏は今も赤く塗られていない。

 猪山直之たちの財政再建の努力。それは一面、徹底した支出の削減であり、他面、将来を見据えた選択による限られた資源の集中でもあった。誰でも可能な限り多くのものを選択したい。しかし、無い袖は振れない。

 歳入をはるかに上回る歳出が必要とされ、財政状況が極めて逼迫(ひっぱく)している現代のわが国は、まさに支出するものと当面不要であるものを厳しく弁別すべき局面に置かれている。大胆な選択とそれに基づく予算の削減は不可避である。

 国全体の支出項目の中で、科学技術は現下の状況にあってこそ優先度の極めて高い分野として位置づけるべきであると、私は確信している。猪山直之、今世にあらば、科学技術予算は削減すべからざるものと判断するのは確実であろう。ここ十数年、科学技術予算がかなり増額されながら経済発展への貢献が明確ではないから、支出のあり方を見直すべきという見方もあるが、その画期的充実の必要性は、林幸秀 氏がその著書「理科系冷遇社会−沈没する日本の科学技術」において、国内外の状況をも踏まえながら体系的に説くとおりである。

 同時に、そのように将来のわが国にとって極めて重要な科学技術予算の内部においても、関係者が相互に十分に吟味して、刻下の急務ではないと考えられるものについては、支出を削減するという苦しみに耐えざるをえないように思える。そうしてこそ、科学技術が全体として選択されるべき分野であることが、さらに堂々と客観性をもって主張できると思う。

 この11月の事業仕分けの結果、トップダウン型の研究開発をけん引するのに大きな役割を果たしてきた科学技術振興調整費は、継続分が終了し次第、廃止することとされた。これまで大きな役割を果たしてきた科学技術振興調整費が廃止の方向で仕分けされたのには、思うところも多い。事業仕分けにそのものついても、一事業あたり一時間前後の議論で事業内容を判定して結論を得る事業仕分けのやり方は、やや乱暴であって、このやり方では国の政策全体の整合性を確保することができないという意見が多く聞かれる。

 他面、乱暴に大ナタをふるうからこそ予算の削減ができるのであって、いちいち個々の事業の詳細ないきさつや社会的意味づけを掘り下げていては、とても大規模な経費削減は実現できないという見解もある。しかし、このようなやりかたをもってしても、予定の削減額にはほど遠いという現実があるから、経費の削減は至難のことと言わざるを得ない。

 事業仕分けは、見えにくい予算編成の過程を、一部でも国民の前に開いたことに大きな意義があると評価する人が多かった。それはそれとして、科学技術にかかわる者としては、予算が研究開発の現場の状況を正確に忠実に反映することを願うものの、国家予算は国民全体の負担の上で支出されるものである以上、究極の判断は、現場から遠い人によって行われるものであることを認識する機会になったのが、この事業仕分けの効果の一つと思っている。もちろん、その判断がわが国の将来にとって最も望ましいものであるように関係者は全力を尽くさなければならないが。

 しかし、現場で研究開発に献身する人々は、たとえ自分の研究が予算で取り上げられなくても、それが研究者として必要なものと考えるからには、項目を特記しないで用いうる予算の範囲内で徹底的にその道を追求してほしいと思う。事業仕分けのスパコンに対して発せられた問い「なぜ2位ではいけないか」に対する一般的な答えは、およそ研究とは世界でただ一つの成果を目指すものであるということであろう。それは、多くの賛同者があろうとなかろうと、予算で推進されようとそうでなかろうと、研究者は信ずる道を行くしかない。その中で、現場に近い人、現場から遠い人を含めた予算に関係する人々が、国民全体の資金をその推進のために充当しようと決めたものが、「予算がついた研究開発テーマ」ということになる。

 もちろん、事業仕分け人を含めて関係府省の予算編成に携わる人々は、むやみやたらに刃物を振り回すようにして元の要求を切ってはならないし、実際にそうはしていないと思う。研究課題の選択に関する判断を誤りなきものとするよう、最大限に目をこらすことが求められるのは当然である。そうはしても完璧な選択はあり得ない。それぞれ、悩み、そして迷いながら、国民のための最善の選択は何か懸命に模索すべきである。そうしてこそ、関係者は、その結果をひっさげて、堂々と歴史の審判台に立つことができると信じている。

 私は、今も金沢学院大学で「名誉学長の鯛焼教室」と称して、学生たちと鯛焼を食べながら議論、懇談をする機会を設けている。先日、学生たちに、わが鯛焼教室も猪山直之に倣って絵鯛を使うかと冗談交じりに問いかけたら、存外、学生たちは受け入れてくれそうだった。しかし、午後4時半以降に始まることが多いこの教室で、絵鯛にして最も困るのはこの時間帯に小腹がすきやすい私であると気付いて、すぐに提案を撤回した。現在行っていることをやめるのは難しいとあらためて感じながらも、鯛焼は学生との議論を活発にする大切な教育の手段と認識して、わがポケットマネーの支出はやめるべきではないと心に決めたが、これは、いかにも大食いの石田らしい結論と友人たちに笑われるであろうか。

金沢学院大学 名誉学長、元科学技術事務次官 石田寛人 氏
石田寛人 氏
(いしだ ひろと)

石田寛人(いしだ ひろと)氏のプロフィール
金沢大学附属高校卒。1964年東京大学工学部原子力工学科卒、科学技術庁入庁。米国イリノイ大学政治学部修士課程修了、在米大使館参事官(科学担当)、科学技術庁原子力局長などを経て95年科学技術事務次官。99-2003年駐チェコ日本国大使(2000-02年駐スロバキア大使兼務)。04年金沢学院大学学長、10年同名誉学長。財団法人原子力安全技術センター会長、東京大学客員教授、石川県人会会長も。歌舞伎、文楽を愛し、歌舞伎脚本、文楽床本執筆をライフワークとする。作品は人形浄瑠璃床本:秋津見恋之手鏡(あきずにみる・こいのてかがみ)、子供歌舞伎台本:銘刀石切仏御前(めいとういしきり・ほとけのおんまえ)など。著書に「プラハ 金沢 街角だより」(時鐘舎新書)、「仏御前への旅 小松の子供歌舞伎『銘刀石切仏御前』」(時鐘舎新書)など。

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