1. 社会的意義付けができない研究は無意味か
若い世代の理系離れは深刻である。このままでは科学技術創造立国を掲げるわが国の将来は危ないとの議論が多い。しかし、より本質的で深刻な問題は、現役の若い理工系の研究者たちが将来に対する明るい展望を持てないまま、チャレンジ精神を喪失しかけていることではないだろうか。研究者は何のために、研究の道を選択し、必ずしも賢明な選択とは言えない研究者としての人生を送るのだろうか。
人は長くても百歳の限られた寿命を百も承知の上で生き続ける。いかに聡明(そうめい)な哲学者や宗教家といえども、人は何のために生きるのか、に対して統一的な模範回答を示すことはできない。しかし、人は日々の充実した生活を送り、満ち足りた生涯を閉じる。もし、生きる目標を高々と掲げた特定のイデオロギーや宗教に強制された人生を送るなら、人は不幸であることは歴史が示すところである。
研究者にも研究意欲をかき立てる自分だけの動機が必須であろう。「自然界は解明されない不思議に満ちており、それを解明することに喜びを得たい」、「世界中の誰よりも先に未知の真実を知り、皆に知らしめる喜びを味わいたい」、「世の中に広く利用される技術を生み出し広く認められたい」、「歴史に刻む学理を築き上げたい」、のような研究者の個々の動機に優劣のランクづけをすることは無意味である。
しかし、現代の科学技術においては、社会的な意義付けができない研究は無意味とされ、国の施策に沿った研究、近視眼的な社会風潮に便乗した研究が高く評価される。そして研究者は真実の心の中の動機を隠し、自らの研究を見栄えのする意義づけの表紙で包み込む。そして、研究者は本当に心が躍る研究をすることからだんだん遠ざかり、創造性ある研究者ではなく陳腐な研究請負人と化してしまう。
2. 研究投資の効果の見極めは長期的視野で
現代社会ではいかなる研究をするにも資金が必要であり、他人の、特に公のお金を利用させてもらうには何らかの経済合理性の説明を求められる。投資した資金に見合う結果が戻されることが必要であるのは至極当然ではあるが、問題はそれを考えるベースとしての時間、空間の広がりである。営利企業が数年のスケールで費用対効果を計算するのは当然ではあるが、国民の税金を投入した研究開発への費用対効果の見積もりは短くても10年のオーダーで、場合によっては100年のスケールで考える必要がある。研究者に真の研究の動機を与えて創造性を発揮させ、長期的な視点での研究成果を挙げさせる施策、それを通して継続的に優秀な人材を育成して国としての科学技術力を向上させ、国際競争に勝ち抜く施策があってしかるべきである。
市場競争原理導入に邁進(まいしん)したかつての首相でさえ、所信表明演説で「米百俵の精神」を説いたではないか。「明治初期、厳しい窮乏の中にあった長岡藩に、救援のための米百俵が届けられました。米百俵は、当座をしのぐために使ったのでは数日でなくなってしまいます。しかし、当時の指導者は、百俵を将来の千俵、万俵として活かすため、明日の人づくりのための学校設立資金に使いました。その結果、設立された国漢学校は、後に多くの人材を育て上げることとなったのです」(2001年5月5日国会演説)。科学技術を育て、それを国の繁栄の糧にすることを本気で期待するなら、政治家にも国民にも安直な費用対効果の考えを改めてもらう「忍耐の精神」が必要であろう。
3. 研究費獲得競争の弊害を克服する
一昔前はナノテク、現在は地球環境やグリーンイノベーションのキーワードを使わなければ、研究企画は採択されないと研究者は勝手に思い込み、心の奥からの欲求から発したわけではない研究テーマを無理に設定し、自ら設定した安直な到達目標や数値目標にがんじがらめにされた研究を行う。そして、いつか高額の研究資金獲得が自己目的化する。
このような兆候があらわになってきたのは1995年に科学技術基本法が制定され、国の研究開発資金が強化されはじめて以降のように思われる。このような研究資金獲得の自己目的化現象の蔓延(まんえん)が、事業仕分け人に研究開発計画の底の浅さとして鋭く見透かされ、「2番では駄目なんですか」との厳しい批判を浴び、科学技術者たちの必死の抗弁のかいもなく、国民の科学技術に対する冷ややかな反応をもたらしてしまったのではないだろうか。若手研究者の研究意欲の低下を憂えるだけではなく、すべての研究者が心の底からやりたい研究テーマを主張し、国民に向けてその社会的、文化的な意義を丁寧に説明し、またライフワークとしての研究の楽しさを率直に表現する努力を今、始めるべきではなかろうか。
4. ロシアの科学技術の過去と現在
去る9月に筆者はロシアのサンクトペテルブルクでのある小さな国際会議に出席する機会を得た。会議ではロシアの科学者から、元素の周期律を発見したD.I.Mendelejev(1834-1907)、冷陰極管式テレビを提案したB.Rozing(1869-1933)とV.K.Zworykin(1888-1982)、半導体物理のA.F.Ioffe(1880-1960)などはサンクトペテルブルクにゆかりがあり、1900-1950年ごろに活躍した偉大な科学者たちであることが紹介された。確かに1960年代までのロシア(旧ソ連邦)からは、N.Semyonov(1890-1986)(化学賞)、P.A.Cherenkov(1904-1990)物理学賞)、L.D.Landau(1908-1968)(物理学賞)など多くの偉大なノーベル賞学者が輩出している。
40年以上前の1960年代に筆者が学生であった時代には、ロシアの科学技術に対するある種の畏敬(いけい)の念がまだ残っていたように思う。事実、筆者は学生時代にロシア語のユニークな内容の文献を読みたいとの思いでロシア語を学ぼうとしたことがあった。このことをサンクトペテルブルクの街角の看板のキリル文字が発音できることで、今回思い出した次第であった。
さて、ロシアから戻った直後の10月初めに、今年のノーベル物理学賞にロシア系の2人の研究者が選ばれたことが発表された。しかし、ロシア系の科学者によるイギリスでの業績が評価されたのであり、現在のロシアの科学技術自体には残念ながらかつての世界に輝きを放った栄光の残光さえ残っていないように思われる。なぜ、ロシアの科学技術はこのような冬の時代に入ったのであろうか。本質的には自由な発想が許されない全体主義体制の問題があったにしても、それに加えて1960年代以降のソ連邦末期の経済停滞から崩壊に至る時代の官僚主義の蔓延が最後のダメージとなったことは明らかである。そして、現在に至るもまだその痛手から立ち直っていないように見える。建前と現実が離れてしまった悪しき官僚主義の下では、客観的な事実にのみ立脚すべき科学技術においては、その土台が目に見えない形で次第に蝕まれてゆくのであろう。
5. わが国の科学技術の将来への懸念
さて、ノーベル賞(自然科学系)の歴代受賞者数はロシア(旧ソ連邦)が13人、日本は15人であり、ほぼ同じようなランクにあるのだが、ロシアの受賞者が1960年代以前に集中しているのに対して、日本の場合は2000年以降に大きな山がある。ロシアにおいて独創的な科学が展開された1930年ごろまでの蓄積が1950-60年代のノーベル賞に反映されているのに対して、日本において1960−70年代の高度経済成長期に科学技術の基盤が強化され、研究者が目を輝かせて研究に邁進した結果が、2000年代以降のノーベル賞の増加に寄与している。現在のノーベル賞受賞者の増加は、決して現在の莫大(ばくだい)な科学技術投資の直接の成果ではないことに注意すべきである。
ロシアの先例に見られるように、現在の日本における若い世代を中心とする科学技術モラルの腐食現象と研究意欲の減退現象が、次の時代のわが国の科学技術の総合力の維持発展を土台から蝕むことになることを懸念するのは、心配しすぎというべきであろうか。
筒井哲夫(つつい てつお) 氏のプロフィール
福岡県立修猷館高校卒。1967年九州大学工学部応用化学科卒、69年同大学院工学研究科応用化学専攻修士課程修了。69-70年三菱油化(現三菱化学)勤務。71年九州大学工学部助手。同大学院総合理工学研究科助手、助教授を経て95年教授。2003-06年同大学院総合理工学研究院長・学府長。07年同先導物質化学研究所教授。06年から科学技術振興機構・戦略的創造研究推進事業(さきがけ)「物質と光作用」研究総括。08年九州大学定年退職。08-09年(株)半導体エネルギー研究所研究顧問。現在、九州大学学術推進部大型研究支援センター最先端有機光エレクトロニクス研究センター特別支援室長。九州大学名誉教授。応用物理学会フェロー。工学博士。専門分野は高分子物性、機能有機材料、有機半導体材料、有機エレクトロニクス。)