「知のエートス - 新しい科学技術文明創るために」
科学技術が日本の将来の鍵を握るということは、よく言われてきた。しかし、日本の高等教育はこれでよいのか。大学のあり方は今のままでよいのか。これまでこのような議論はきちんとなされてきたのだろうか。2007年1月まで総合科学技術会議議員として、今の第3期科学技術基本計画を策定する上で中心的役割を果たされた阿部博之・元東北大学総長が、議員退任後に科学技術のあり方を根本から問い直す目的の研究会を主宰している。その最初の活動成果とも言える本「科学技術と知の精神文化-新しい科学技術文明の構築に向けて」(丸善)が出版されたのを機に、阿部氏が21世紀の日本人に必要だとする精神的基盤「知のエートス」とは何か、をうかがった。
―研究者の役割というものについて伺います。何でも米国を引き合いに出すのはどうかとは思いますが、米国科学アカデミーの役割に比べると日本の科学界の社会への影響力はいかにも見劣りするように見えますが。
米国にはまねをしたくないことがいろいろありますが、15年くらい前でしょうか、NASA(米航空宇宙局)に長くいたチュル・パークという研究者に言われたことがあります。「米国では人口の3%くらいの人たちは将来の米国をどうしたいか、をいつも考えている。しかし、日本人にはそのような人々の層はない」というのです。
―その方は日本のことをよく知っているのですか。
ええ、よく知っている人です。韓国出身で、小学校5年のとき終戦を迎え、その後、ソウル大学卒業までは韓国にいました。その後ずっと英国、米国で研究生活を送った人ですが、日本のこともよく知っています。パークさんに言われてみると、確かに思い当たることもあります。日本の知識人には、今のことをしっかり心配している人は山ほどいるけれど、と(笑い)。
総合科学技術会議議員をしていたときの話です。第3期科学技術基本計画を首相の下でつくりました。総合科学技術会議の議長は首相ですが、首相が出席する本会議は1月に1度しか開かれません。それも1時間程度です。第3期基本計画の議論を本会議だけではできませんから、21人から成る専門調査会をつくり、私が議長となって侃々諤々(かんかんがくがく)の議論をし、ある程度論点が整理されたところで本会議に紹介するというピストン運動をしました。
そこで面白かったのは、最初の専門調査会会合で「これからの日本をどうしていくかという指針が首相から示されないと、議論に入れない」という意見が出されたことです。1人だけじゃなくて、複数いました。私は議長としてどう答えたかといいますと「おっしゃる通りだと思うが、今、急に首相に日本の将来の姿を示してほしいと質問したところで、困ってしまうだろう」ということです。知識人、大学教授のような人たちが将来のことをがんがん言って、その中で首相が「これはぜひ自分のスローガンにしたい」というものが出てくればいいのです。ところが、日本の知識人や学者は、将来の日本の姿についてほとんど語らない。首相にお願いしてもすぐ答えは出てこないから、大変つらいけれども、今後5年間を対象にする第3期科学技術基本計画でも15年ぐらいは見据えて、われわれが議論するしかないという話をしたら、みんな納得してくれました(笑い)。
福沢諭吉が、学者の役割と、政治家および行政の役割は違うということを言っています。明治の初めにすごいことを言っているのです。今、いろいろ困っていることをとにかく解決して、いい方向に手を打っていくのが政治家、役人の役割だ。しかし学者は違う。学者は将来のことを考えなきゃ学者じゃない、と言っているのです。今、学者の方の問題としては、例えば有力な政治家に会うと、とかく自分の研究の関連予算を増やしてもらうことの陳情ばかりするということがあります。それは決して否定しませんけれども、学者なら半分ぐらいは長期的視点で日本の将来のことを政治家に提言してほしいものです。そういう人たちが少なく、いたとしても政治家に会わないんです。
現状を知ったら、福沢諭吉も多分嘆いているんじゃないかと思ったことがあります(笑い)。
私は、行政にもし責任があるとしたら、新型インフルエンザのような今のことの対応も大切ですが、もう少し長期的な視点で物を話す学者をもっと多用すべきではないか、と感じています。審議会や委員会の委員を選ぶ場合でも、自分たちのやっていることの代弁しかしないような学者ではなく、自分たちが考えてもみなかったようなことをしゃべってくれる人でないと何のプラスにもならない、と講演で霞が関の新入職員に話したことがあります。
何となく、特に戦後、米国の後ろを追っていれば済むというのが染みついてしまったかなという気がして、残念ですね。
(続く)
阿部博之(あべ ひろゆき) 氏のプロフィール
1936年生まれ、59年東北大学工学部卒業、日本電気株式会社入社(62年まで)、67年東北大学大学院工学研究科機械工学専攻博士課程修了、工学博士。77年東北大学工学部教授、93年東北大学工学部長・工学研究科長、96年東北大学総長、2002年東北大学名誉教授、03年1月-07年1月、総合科学技術会議議員。02年には知的財産戦略会議の座長を務め「知的財産戦略大綱」をまとめる。現在、科学技術振興機構顧問。専門は機械工学、材料力学、固体力学。