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研究者・来館者が共創する展示:「ビジョナリーラボ」が目指すもの<特集 日本科学未来館>

2021.11.02

ビジョナリーラボ「知脳を○○する」のディレクター兼リサーチャーで科学コミュニケーターの松谷良佑さん(左)と、プロジェクトマネージャーの宮原裕美さん(右)
ビジョナリーラボ「知脳を○○する」のディレクター兼リサーチャーで科学コミュニケーターの松谷良佑さん(左)と、プロジェクトマネージャーの宮原裕美さん(右)

 科学技術の話題を楽しみながら体感できる日本科学未来館の展示。今、「ともに『未来』をつくるプラットフォーム」という新しいビジョンの下で、未来館の展示も変わろうとしている。今年公開された常設展示「ビジョナリーラボ『知脳を○○する-脳をみて、脳をつくる研究者たち』」の制作過程を通して、研究者や一般の人との共創による、新しい展示のつくり方を見る。

研究者の「ビジョン」を伝えたい

 未来館3階にある「ビジョナリーラボ」は、さまざまな人々の「ビジョン=理想の未来像」をみんなで一緒につくっていこうという、新しい常設展示エリア。ここで今年3月から公開されている「知脳を〇〇する-脳をみて、脳をつくる研究者たち」は、脳研究と人工知能(AI)研究の融合によって切り拓かれる「ビジョン」を、研究者・来館者とともに探る展示だ。

 「この展示、けっこう人気があるんですよ。やってみますか?」

 展示エリアの中、小型のディスプレイと鍵盤楽器が置かれた場所で、科学コミュニケーター(SC)の松谷良佑さんが声をかける。松谷さんは、大学で神経科学を研究していた経歴を持ち、今回の「知脳を○○する」では展示の企画制作を進行するディレクターを務めている。

 松谷さんに促され、鍵盤楽器で即興の旋律を弾き、既存のバッハの楽曲を一つ選択した。しばらくすると、スピーカーから、先ほど弾いた旋律の雰囲気を残しつつ、選んだバッハの曲にも似た音楽が聞こえてきた。

 「これは、僕たちの『個性』を測る研究のデモです。今、音楽などのさまざまな創作から、ヒトの個性を測ろうという研究が進んでいます」

 そう説明する松谷さんの隣で、「ビジョナリーラボ」のプロジェクトマネージャー(PM)の宮原裕美さんが、今回の展示の狙いを付け加える。

 「ただ研究成果を見せるのではなく、研究者がどんなビジョンをもって、どんな世界にしたいと思っているかを提示し、それにお客さんがアクティブに関われる展示をしたい。そんな想いが『ビジョナリーラボ』という名前に込められています」

 PMの仕事は、プロジェクトを統括し、展示の大きな方向性を決めること。宮原さんは未来館の展示企画開発課のマネージャーでもあり、これまで未来館のさまざまな展示に「つくり手」として携わってきた。今回の展示「知脳を○○する」は、宮原さんと松谷さんも中心メンバーとなって展示制作を進めてきた。

常設展示「ビジョナリーラボ『知脳を○○する-脳をみて、脳をつくる研究者たち』」の「音を奏でてみよう」。
常設展示「ビジョナリーラボ『知脳を○○する-脳をみて、脳をつくる研究者たち』」の「音を奏でてみよう」。

はじまりはワークショップから

 2018年、東京大学に設立されたばかりのニューロインテリジェンス国際研究機構(IRCN)から「いわゆる研究所の広報ではなく、もっと新しいことをやりたい」という相談が未来館にもちかけられた。

 IRCNは「ニューロインテリジェンス」という新しい概念の下で、柔軟性の高いヒトの知性の理解と、それに基づく新しいAI開発を目指す分野横断的な研究組織。文部科学省の「世界トップレベル研究拠点プログラム(WPI)」にも採択されている。

 IRCNからの相談をきっかけに、新しい科学展示の手法を模索していた乃村工藝社も加わって、IRCN―乃村工藝社―未来館の3者で、これまでにない展示を作ろう!と野心的なプロジェクトが始まった。

 それが「知脳を○○する」だ。ちょうど未来館で準備が進められていた「ビジョナリーラボ」の第2期として展示することになった。

展示制作の作業部屋、「開発工房」で計画を練る宮原さんと松谷さん。
展示制作の作業部屋、「開発工房」で計画を練る宮原さんと松谷さん。

 順調に滑り出したプロジェクトに、すぐ最初の課題が立ちはだかった。展示の中心となる研究者たちの「ビジョン」を、どう引き出し、共有するかという問題だ。当時は、IRCN創設からまだ1年余りの頃。多様な背景を持つ研究者の間ではさまざまな価値観が交錯し、「ビジョン」はなかなか定まらなかった。

 この状況を打開するために乃村工藝社が主導して企画したのが、IRCNの若手研究者によるワークショップ(WS)だ。展示企画の段階から研究者を交えたWSを実施するのは、未来館としても初めての試みだった、と松谷さんはいう。

 「参加してくれた約30名の研究者は、国籍も研究分野もバラバラ。それぞれの『言葉』も違っていて、最初は会話が成り立ちませんでした。僕たち未来館のスタッフも入って『こんな研究をしています』という自己紹介から始めました」

「白い箱何に見える?」

 そのような状況の中、グループに分かれて考えを発表したり、展示のアイデアソン(与えられたテーマの下でアイデアを競うイベント)をやったり、と工夫を重ねていった。

 「『ニューロインテリジェンス』という言葉も適した日本語訳がない中で、研究者と『ニューロインテリジェンス』とは何だろうか、と議論をしました。そこに込められた意味を来館者に届けるために、企画段階で提案したのが『知脳』という言葉です」

 「知能」ではなく、「知 “脳” 」。この言葉には、AIの知見を活かして脳科学を推進し、脳科学の知見を活かして新しい未来を創ろう、という思いが込められている。

 試行錯誤を重ねた結果、研究者どうしのコミュニケーションは徐々に活性化し、その中から、新しい展示のアイデアも生まれはじめた。そのひとつが「白い箱何に見える?」という映像展示だ。

 役者が白い箱をさまざまなものに見立てて演技する。その表情や動作、シーンの展開によって、来場者には、単なる白い箱が別の何かに見えてくる。これは、人間が「文脈」を理解していることを示している。

 「個性や想像力といった人間の脳ならではの特徴を、IRCNでは次世代のAIを創る研究のヒントにしています。この展示は、そんな研究の背景を表現しています」

研究者によるWSから生まれた展示「白い箱何に見える?」。
研究者によるWSから生まれた展示「白い箱何に見える?」。

誰でも参加できる展示制作

 実は、展示制作をWSから始めるという手法は、ビジョナリーラボの第1期「ビジョナリーキャンプ」でも採用された。ただし、第1期のWSに参加したのは、研究者ではなく、15歳から25歳の一般の若者たち。「2030年のコミュニケーション」をテーマに議論し、ビジョンをつくり上げていった。このような手法には「さまざまな人とともに展示をつくりたい」という宮原さんの強い思いが込められている。

 「一般に、展示は限られたプロフェッショナルだけでつくられて、最終的な成果しか外に見えません。それはとてももったいないな、と思っていたんです。実は企画会議での会話が一番面白かったりするんですよ。そういうプロセスを他の人にも見せたい。展示制作に直接は関係ない人でも制作に参加する余地をつくりたい。開かれた展示制作をしたい。そうすれば、展示を観る人が『今、観ているものは自分と地続きなんだ』と感じてくれると思うんです」

ビジョナリーラボ第1期展示「ビジョナリーキャンプ」
ビジョナリーラボ第1期展示「ビジョナリーキャンプ」

 この想いを「知脳を○○する」で展示として実現したのが、展示エリアの出口にある「ビジョン参加コンテンツ」だ。画面上に、「AIにはまだなくて、人間にだけあるもの。それは○○」といった質問が表示される。来館者が回答すると、その言葉はアニメーションになり正面の壁に投影される。同時に、データベースにも蓄積され、研究者と共有される。

 「展示を観た人がどう思ったかを、研究者に伝えたかったんです」と宮原さん。松谷さんは「いたずらのような投稿でも、ある研究者には新しい研究のヒントになることもありました」と付け加えた。

来館者も展示制作に参加してほしい、という思いからつくられた「ビジョン参加コンテンツ」。
来館者も展示制作に参加してほしい、という思いからつくられた「ビジョン参加コンテンツ」。

 「知脳を○○する」が公開されて半年が過ぎ、「展示」の可能性にあらためて気づいた研究者から、さまざまな提案が届くようになった。そのいくつかはすでに実現されている。たとえば、言語発達の研究者からの提案でつくられたのは、来館者に音によるゲームを楽しんでもらいながら、人が言語を習得する過程を調べる展示。研究に役立つだけでなく来場者にも人気がある。現在、他にもいくつかの展示を計画中だという。

言語発達の研究者の提案で追加された体験型の展示。
言語発達の研究者の提案で追加された体験型の展示。

「心に突き刺さる」感動体験を

 科学的な正確性と一般的なわかりやすさのバランスをどうとるかは、他の科学コミュニケーションと同様、科学展示でも常に課題になる。そこには正解がなく、いつも一番の悩みだ、と宮原さんはいう。

 「何かをあきらめるか、あきらめずに頑張るか、その判断の繰り返しですね。でも、今回は、松谷さんが以前近い研究をしていたので、研究者の信頼はとても厚かったです。そこが大きかったですね」。研究者と信頼関係をもつことで、正確性とわかりやすさのバランスをとっていくことができる。そういう宮原さん自身も、松谷さんを大いに信頼していることが伝わってくる。

 これからの科学展示はどう変わっていくのだろうか。そんな質問を投げかけると、松谷さんは「展示を通じてさまざまな人をつなげたい」と答える。

「展示を通じてさまざまな人をつなげたい」という松谷さん。
「展示を通じてさまざまな人をつなげたい」という松谷さん。

 「人とのコミュニケーションが、価値観を揺さぶるような感動を与えてくれることがありますよね。それを展示の中に実装したいです。どんなところで感動してもらえるかを考えながら展示を作っていきたいです」

 宮原さんは、いろんな種類の展示があっていいと思う、といい、こう続けた。

 「科学展示は、どうしても『何かを解説する』ものになりがちです。でもそれだけではなく、科学について何か新しいことを知った時に、お客さんの中で起きる心の動きを刺激するような展示を実現したいと思っています。たとえば、アートの展示を観て圧倒されるようなことがありますよね。そのようなものを科学の文脈でもやりたい。『心に突き刺さる』体験を、科学展示で実現したいですね」

「価値観を揺さぶる」「心に突き刺さる」科学展示を実現したい。
「価値観を揺さぶる」「心に突き刺さる」科学展示を実現したい。
宮原裕美(みやはら・ゆみ)

宮原裕美(みやはら・ゆみ)
日本科学未来館 科学コミュニケーション室 室長代理。千葉大学大学院教育学研究科 美術教育課程修了。秋吉台国際芸術村、九州国立博物館等を経て2008年から現職。

松谷良佑(まつや・りょうすけ)

松谷良佑(まつや・りょうすけ)
日本科学未来館科学コミュケーター(SC)、博士(理学)。慶應義塾大学大学院理工学研究科修了。2017年秋よりSC。

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