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ARを通して、多様な価値観を受け入れる社会を《川田十夢さんインタビュー》【未来を創る発明家たち】

2021.10.27

百貨店の広場で「拡張現実オーケストラ」を指揮する川田さん (C)川田十夢

 本特集では、独自の発想で社会を変え、未来を創り出そうとしている発明家たちに注目して、新しいイノベーションを展望する。初回は、開発ユニット「AR三兄弟」の「長男」として、ユニークでユーモアのあるAR(拡張現実)作品を次々に生み出している、川田十夢さん。川田さんの発想の根底には、時間や空間、経験、想像と現実とのギャップを越えたいという思いがあり、そこに発明や科学の面白さがあると言う。ARを通して多面的なものの見方を知ることで、多様な価値観を当たり前に受け入れる未来社会を創ることが理想だと川田さんは語る。

あきらめていた夢を叶える

 4階分の吹き抜けになっている広場に大型ビジョン。その前には指揮台。広場を取り巻く階段には座ってくつろいでいる人がいる。川田さんが指揮棒を振り上げると大型ビジョンにオーケストラの映像が現れ、指揮に合わせて演奏を始める。指揮棒を速く振れば演奏は速くなり、ゆっくり振れば演奏も遅くなる。川田さんがオンラインで指揮をしているかのようだが、実はオーケストラが演奏している映像と音楽が指揮棒の動きと連動するようにプログラムされている。

 場所は、阪急百貨店うめだ本店(大阪市)。2012年に全面改装し、開店した時の記念のイベントの一環として川田さんが創ったAR作品だ。演奏が始まると買い物客が集まり、ついには拍手喝采が起こった。買い物客が観客に変わった瞬間だった。

 希望者は行列に並べば指揮者を体験できた。川田さんは、孫を連れて順番を待っていた女性に、「これ作ってくれたの、お兄ちゃんやろ」と、声をかけられた。女性は、音楽の先生になって指揮するのが夢だったが、叶(かな)わなかったと話した。「その女性に、『指揮者なんてあきらめてたけど、おかげで今日、夢が叶うわ、ありがとう』って言われて、本当にやってよかったと思いました」

 「専門的な勉強をしていなくても最初からできて、あきらめていた夢が叶うこともある。買い物客が観客や指揮者になる。一般の人の心持ちが変わり、行動が喚起されるのがいいなぁと思ってね。そういうところでみんなを楽しませたいし、それがARの可能性のひとつだと思っています」と川田さんは言う。

原点はミシンメーカーの開発者時代

 AR(Augmented Reality)は「拡張現実」と訳され、実際の風景に動画や画像、3Dデータなどのデジタルコンテンツを重ね合わせて表示することで、現実に情報を付け加える(現実の世界を拡張する)ことを指す。スマートフォンやタブレットなどを現実の何かにかざすとデジタルコンテンツが現れる、といったものもある。ゲームの「ポケモンGO」も一種のARだ。

 川田さんの社会人生活のスタートは、ミシンメーカーの開発者だった。アジアの国々をまわって開発した特許技術などを説明していた時のことだ。川田さんは現地採用のスタッフに、「私たちの困っていることを解決してほしい。壊れたものを直接、発注できるものをつくってほしい」と言われた。

 「ミシンの部品が壊れたら、現地のサービス担当スタッフはそれを注文する必要があるのですが、ミシンには膨大な数の部品があって、辞書みたいに分厚いパーツブックを読みこなして注文しないといけない。でも、当時は文字を読めない人もいたんです」と川田さんは振り返る。

 早速、パソコンにウェブカメラをつけて、部品の輪郭で形状認識し、それが品番で何番なのかを識別してその場で注文できるシステムを試作した。

パーツブックを読めなくても部品がすぐに注文できるシステムを開発。川田さんのARの原点となった (C)川田十夢

 「これが後から考えるとARでした」。川田さんのARは、実用からスタートしたのだ。この時に川田さんはARの可能性に気づいたそうだ。「部品の品番など詳しい情報は、ある程度の経験を積んだり、パーツブックを使いこなしたりしないとすぐにはわからない。この技術を応用すればそういう経験をすっ飛ばして、最初からできるようになります。テクノロジーのいいところだと思います」と川田さんは笑顔で語る。技術を使って問題を解決したり、誰かの夢を叶えたり、社会にインパクトを与えることもできる、それが発明の醍醐味(だいごみ)かもしれない。

テクノロジーを介して勉強も楽しいものに

 学校の勉強への応用も川田さんは考えている。温泉や果樹園の地図記号を描き、スマートフォンのカメラをかざすと、むくっと温泉のイラストやブドウの絵が浮かび上がる。1600と書くと関ヶ原の戦いが現れる。広場に博物館・美術館の記号を書くと、立体的な美術館が画面の中に立ち上がる。

温泉の地図記号を書くと温泉の絵が、果樹園の記号ではブドウが現れる。広場に描いた地図記号からは美術館が建ち上がって見える (C)川田十夢

 無味乾燥に思えるものをテクノロジーで楽しいものに変え、「現実的ではない」ことを「拡張現実的に」できるようにする。「これって一種の超能力じゃないですか? 子どもたちに見せると、わーって熱狂するんですよ。地図記号や年号を暗記するだけだとつまらないけれど、楽しんでプログラムごと覚えれば勉強のモチベーションになるかもしれないし、学問の入り口としてすごくいいんじゃないかと」(川田さん)。

理想と現実のギャップを埋める

 川田さんは子どものころから、想像、理想と現実のギャップについて考えるのが好きだったと言う。「傘をさして階段を2段ほど飛び降りたらふわっとしたような気がしたから、屋上からも飛べるんじゃないかと思ったんです」。当時、住んでいたマンションの9階のベランダから飛び降りようとしているところを母親に見つかって「あんた、死ぬよ!」って止められたが、納得できなかった。でも、「どうしてあんな必死の形相で止められたんだろう」と思っていろいろ科学的な知識を勉強しているうちに、人体の強度だとか飛行機が飛べるのは揚力の存在があるからだとか把握して「あっ、確かに死んじゃうわと」。どうしたらイメージ通りにできるのかを考え、自分が楽しく思える想像に近づこうとする時、科学は一つのブラウザーのようで楽しかったそうだ。

 理想と現実のギャップを埋めたいという思いは、今も続いている。例えば災害があると、「ARがもっと社会実装されていて、逃げ道が一瞬でわかったら、助かる命があったかもしれない」とやるせない気持ちになると言う。

 川田さんの頭にあるのは、『日本沈没』などの著作で知られる作家の小松左京さんが阪神淡路大震災の後に書いていたことだ。「江戸時代、お祭りでおみこしを担いでみんなで練り歩いていた順路は、避難経路になっていたそうです。人々が熱狂して経験としてやっていたことが、いざという時に役に立ったんですね。僕もAR技術で、そんなふうに役立ちたいと考えています」

江戸時代、祭りは大勢の人でにぎわった(イラストはイメージ)

 例えば、現実の街を多面的にスキャンする。そこで見える世界と同期させるようにAR技術を組み込むことを川田さんは考えている。平時にこの技術を使って街の中で宝探しやかくれんぼをして遊ぶことで、いざというときにどこへ行くかということを感覚的に覚えれば、災害時も役に立つ。実際に街をスキャンするイメージを形にもしている。

AR三兄弟の三密回避シリーズ INSPIRED BY DEATH STRANDING:混んでいる場所をひとめで可視化する仕組みを独自開発 (C)川田十夢

 「これを社会実装するときに必要になってくるのが、空間にフラグを置くというか、空間に何らかの情報が浮かんでいる状態です。実はそれを技術的にかなえるような特許を最近、とりました。最先端のことを考えながら、着地もちゃんとしたい。果樹園の地図記号からブドウを出して喜んでるだけじゃないんです。ま、ブドウもうれしいですけどね」とちゃめっ気を交えて川田さんは話す。

アゴラでも独自の視点を追求

 川田さんが実現したい未来はどんなものだろう。

 「それはもう明確で、個々の違い、年齢や立場、文化、考え方、つまり個性に宿るあらゆる物の見方の尺度が、個々に異なるということが、とても豊かなことだと自(おの)ずと伝わるようなものを作りたい」。人は簡単に「つながる」ことができるようになっているが、今のソーシャル技術だけでは、人は価値観を一色にしたくなりがちだと川田さんは見ている。「価値観を一つにしようとするのは窮屈です。同じものを見ても人によって見え方が違うこと、自分とは違う見方の美しさ、楽しさもあるということ。これを一瞬で理解してもらえるようなARの技術を開発したい。そうすれば、もっと自分とは考えや立場、個性が違う人のことも認められる寛容な社会になるんじゃないかと思っていて、そこが僕のゴールです」

 川田さんは11月3日~7日開催の「サイエンスアゴラ2021」で、4つの企画に登場。その中の一つに「科学者が考えるレシピは美味しいか?」という企画がある。そこにはタンパク質や触覚研究の専門家が登壇するが、料理人とは違った科学者ならではの視点が面白いそうだ。川田さんは専門家の視点から多くを学んでいると言う。

 発明は決して特別な人だけのものではないと川田さんは言う。「自分の頭で考えたアイデアを実装することによって、現実とか社会と接点が生まれる。僕の場合はARとかプログラムですけれど、自分の得意なことに置き換えればいい。どんな角度からも科学と接することはできるし、それまでになかった発想というのはいくらでも出てきますよ」。川田さんが語ると、なんだか簡単にできそうな気がしてくるから不思議だ。AR三兄弟の開発成果物を通して、川田さんが描く世界や未来をぜひ一緒に考えてほしい。

ARを通して、多様な価値観を受け入れる社会を《川田十夢さんインタビュー》【未来を創る発明家たち】

川田十夢(かわだ・とむ)
開発者。開発ユニット「AR三兄弟」の「長男」。
中央大学商学部会計学科卒業。1999年に大手ミシンメーカー系列会社に就職し、同社のシステム開発と特許開発に従事。システムの設計や開発のほか、自社のウェブ広告や展示会のプロデュースなども手掛けた。2010年に独立。映像担当の「次男」、プログラム担当の「三男」とで開発ユニット「AR三兄弟」を編成して活躍。企画、発明、設計、執筆、司会などを担当している。新著に『拡張現実的』(2020)、 旧著に『AR三兄弟の企画書』(2010)がある。

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